ピュアは努力で得られるものではない『ベニスに死す』
どこでとめても美しい映画。30年ぶりに再観。20歳の時には理解できなかった、悪臭・菌・道化・老い・誤魔化し、そして・美。今回はマーラーの曲やマンの少年愛と共に、理解できたように思う。
実はこの映画にはもうひとつの物語が私にはあって。20代になったばかりの「超」生意気盛りのころ、やたら難し気な映画評論で語られるこの『ベニスに死す』。
公開時から10年たった80年代ではかなりのアングラで。ようやく観る機会があって朝から並んでいた。その最終回でようやく番が回ってきて、今日は観られる、と思っていたらなんと、私でラスト。
なのに私のすぐ後ろに、紙袋に家財道具一式をつめたおじさんがいて。そう、明日からは浮浪者、という巴里では映画になりそうな風情の男性が、1,000円を握りしめて「自分のひとつ前で締め切られる事実」に落胆していた。
東京がバブルの時代のその「紙袋に突き刺したビニル傘」。私は思わず「私の代わりにこの方を」と口にしたのだった。自分でも不思議なひとこと。私だって朝から並んでいたし、今日これを観て、みんなに自慢しようとしていた自分中心に生きていたワタシだったのに。この男性の方が私よりこの映画を観たいはず、と。
それからどのくらい後にこのフィルムを観たのか今では覚えていない。けれど、マーラーのこの交響曲を聴くたびに想いだす出来事。はたしてあの男性は、本当にその1,000円払った翌日から浮浪者になったのか、今となっては絶対にわからないけれど。
私にとっては、『ベニスに死す』とイコールで記憶されている大切な感情。すべてをなげうってでも見るべき映画もあるのだ。そんな、自分にとっての映画を探すために、いい映画探しを続けたい。
いい映画には理由がある。
~ピュアは努力で得られるものではない~
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