寒さに負けて40分ほどで退散、明石町の散策
会社があるのは東京都中央区築地1丁目だ。築地というと多くの人は市場を思い浮かべるようだ。
ところが、その築地の隣の「明石町」を知っている人は少ない。
ちなみに「築地」は築地本願寺を築くために、海を埋め立てた場所から名付けられたらしい。
一方、「明石町」は播磨国明石(現在の兵庫県明石)の漁師が移り住んだことから名付けられたという。
明石町は江戸時代には明石町には築地居留地が設けられ、文明開化の中心地だった。慶応義塾大学、立教大学、明治学院大学など、数々の大学の発祥の地でもあった。
明治に入り、治外法権の撤廃により、居留地は廃止されたが、聖路加病院などの西洋風の建築物は残った。
第二次世界大戦末期の大空襲では周辺は壊滅状態になったが、聖路加病院があったため、明石町界隈は空襲をまぬがれたようだ。
会社からわりかし近いのだが、明石町にはそれほど頻繁には行かない。理由はシンプルで、行く理由がないからだ。
明石町でよく知られているのは「聖路加国際病院」だ。ここにはいろいろとお世話になっている。ここに行くから明石町に行くといってもいい。
前置きが長くなったが、昨日、築地の京橋郵便局に行く用事があったので、ついでに、明石町界隈をぶらぶらしてみようと思って出かけた。
出かけたはいいが、隅田川が近いのとビル風の影響もあり、とにかく寒い、寒い。熱燗を飲めるところを探したけど見つからず、あえなく40分ほどで退散した。
それでも、歩いていると古い建物や住宅と出会うのがうれしい。古い銅板葺きの建物は風情があるなあ。ビルとビルの間には人の匂いがする路地裏が残っている。これは路地裏好きにはたまらない。
「つきじ治作」は三井財閥の創業者の岩崎弥太郎の別邸だったところ、この界隈では別格の雰囲気、お値段も別格のようです。
まだまだディープなところがある明石町、寒さに負けて40分ほどで退散したが、今度もう少し暖かい日に時間をかけて歩いてみます。
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