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戦後世代?!

夫が倒れたとき、何を思ったか次男が言った。
「人生はさ、なにかのために積み上げるんじゃなくて、
積み上げているそのこと自体、その瞬間自体を楽しむものなんだよ」
いつも将来のため、未来のため、夢の実現のため、
今を犠牲にして生きていく。それが私の生き方だった。
それが無意識にでも根本にあったから、“今”という瞬間を楽しんでいなかった。もちろん嬉しかったり、思わずウフフと笑ってしまうこともあるけれど、それはおまけのようなもので、楽しんだり堪能したりしてこなかったし、できなかった。次男はそれこそを楽しめというのだった。

一年近くが経ってこんどはこんなことを言った。
「戦後世代? あなたたちは、そうじゃない?」
私は60。
母の世代は90に手が届く。その世代はもう戦後世代ではなく
老いの世代なのだろう。
代わって、言動に戦争が投影されているという意味でその世代かもしれない、私たちが。
十に満たない少女の頃、七里ヶ浜で機銃掃射に追いかけられ
命からがら防空壕に逃げ込んみ生き延びた母。
そんな戦争を体験した世代に育てられた私たちは、
物質の豊かさと、努力すればなんでもかなうという神話のもと育ってきた。
経済的発展と物質的豊かさが正義、
そのまばゆい未来を照らす光の中に、戦争への恐れや後悔の影は
二度と戻らない過去の事実として封じ込め、
カラ元気のような陽気さで負の記憶を塗りつぶしてきた。
ーけれども、母の、祖母の、そして年長者が過去を語る時の
言葉のかどかどに、縁側にはりだす軒のように、
あるいは野球帽のひさしのように、
戦争の灰色がかった茶いろの記憶を感じていた。

それでも母たちの作った社会は、
“未来”が投射してくる光のおかげで明るく活気に満ちてた。
その社会で育ってきた、私たち。
いまだ華やかな青春時代の面影を引きずり、
時代は変わったと、新しい価値観でドラマティックに生きられる、
そう信じてた。
言ってみれば、戦争の過去を払拭するように戦争のない時代を明るく生きてきた世代。

それなのに、戦後世代なのだとは・・・。
少なからずショック。

でも、それも一理ありか。
久しぶりに電車で東京に出た。
休日の子供づれは誰もが賢そうでおとなしい。
車内で騒ぐ子供はいないし、ましてや靴のまま座先に登るガキもいない。
音の漏れる大音響で音楽を聴く若者もいない。
大人たちは低い声でゆっくり話し、
思慮深い眼差しで子供達に話しかける。
一時代昔のセレブのような立ち居振る舞い。
はみだし世代の私たちの、
終電の発車を待つ車内で、
ハンカチで包んだワンカップを空けるような
乱暴な態度の出る幕もない。
私の時代はちょっと豪気な作法が
群れから抜き出る秘訣だったけどな。

今という時代の人たちは、
そんな乱暴な作法には、特に厳しいのだろう。
お行儀のいいお子達と、頭の良さそうな大人たちは
私にそんなことを感じさせた。
祖母の昔語りの端っこに感じた戦争の影みたい。

戦後世代か。
気づけば、そんな歳になったのね。
どう生きたか、誇るために生きるんじゃなくて、
今のこの瞬間、楽しいと思えるよう、軽々といきたいね。
あこがれのホテルが無期休館した。
静かであったかい。
でも、今の時代には生き残れなかった。
私もそんな風かもしれない。

せめて、自分が生きてきてよかった、楽しかったと、
何も果たせなくても、
笑って目を摘むれるように、
いきたいー
これからは。

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