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夏休みの日記「今の望み」

 エアコンの性能がいいようで、27℃除湿で快適な睡眠がとれている。仕事のある曜日だけアラームが5:30になるけれども、私と妻はいつもその呼び出し音を台所で聞いている。歳をとると早起きになるから目覚ましは必要ない。
 ICT支援員の仕事が夏休みになってから毎朝5kmの散歩をしている。気が向けば夕方も散歩をしている。汗をかき、シャワーを浴びてエアコンと扇風機の風で体を冷やしながら作文を書いている。書き終えると2階に行って動画を作る毎日である。
 朝7時前からスタートしても散歩中は暑い。汗をかきながら色んな思いが浮かんでくる。楽しく生活している。これは夫婦揃って健康だからである。痛風の発作さえない。これは多分、ビールなどのアルコールをやめているおかげだ。暑くてもビールが飲めないのは残念だが、それでも十分満足している。
 地球温暖化で生きていけなくなるかも知れない。地震で住む場所を失うかも知れない。格差社会で分断が進み戦争が起きる不安さえある。そんなに劇的でなくても日本経済が振るわず、年金生活が破綻するかも知れない。嫌なことがいくつも浮かんだ後で気がつくこともある。
 地球や人類の心配をする前に、人の行き着く先は「臨終」と決まっている。このしがらみからは誰も逃れることはできない。ここで思考は停止して、祈る気持ちが湧き上がってくる。
「苦しまずに死なせてください。」
今、いくら健康に過ごしていても、やがて病を得て闘病生活に入る。妻が先か私が先かは分からないけれども、介護生活も覚悟する必要を感じる。
「痛風の発作で痛い苦しみは充分体験したから、痛みを伴わず苦しみの時間を極めて短くお願いします。」
こんな願い事が頭に浮かぶ。
「嫌だ。苦しいのはいやだ。」
そうだ。だからこそ、今を楽しく過ごそうと思う。けれども、歳をとると大きな希望は思いつかない。
「毎日、食事をして、寝る。出来なくなるまで仕事を続け、作文と動画を作って過ごしたい。」
まあ、これぐらいが望みである。

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