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さらば旧友よ。
「ざるそば、お前変わったよ。」
最近学生時代からの友人によく言われる言葉だ。
当初は言われて結構ショックだったが、飲み会や通話での雑談を経て自分自身も学生時代の友人との価値観が合わないことにうっすらと気付き始めていた。
ただ学生を卒業して何年も経っているのだから価値観が変わるのは当たり前じゃね?と私は思う。
昔はくだらないことで大笑いしていた。
雪が降れば友人に雪玉を投げつけたり、自分のろくでもない武勇伝を語ったり、恋人とデートしたことを自慢したりと。
ただ今となっては、正直あまり面白くない。
子供は様々な事を経験して成長し、大人になっていく。人を通じて辛いこと、楽しいことを沢山経験して他人そして社会を分かるようになっていく。むしろ価値観が変わらないことの方がおかしいのだ。
そんな考えを馳せる中で久しぶりに高校時代のメンツとプチ同窓会という形で彼らと会うことになった。
結論から言うと
楽しくなかった。
自分の高校はお世辞にも学力がいいとは言えず、周りはおろか自分自身も学力や精神年齢はかなり低かった。
辛口にはなるが高校をとうの昔に卒業した彼らに人間としての成長はあまり見られなかったように感じる。
その中身は殆ど変わっていない。
社会人になってまで出し物にヤジを飛ばすような奴もいたし会話内容も正直酷い人が多かった。
気遣いの出来なさすぎる奴、くだらないマウンティングをする奴、ゲームのステータスをアピールする奴、刑務所にいた事を自慢するような奴、一言余計な奴…。
確かに当時の私は彼らと完全に同類だったと思う。でも今の私が話したかったのはそんな話じゃなかった。
今後のキャリアや将来どう在りたいか、結婚はするのかしないのか。子供は作るのかどうか。人生の目標について。仕事をしてて辛いこと、金はどうか。 などなど…。
高校の友人達と私がしたかったことは過去の思い出話に浸ることではなく、お互いを励まし合い、認め合い社会人として、人間として共に前へ進んで行けるような情熱の共有。
……。
…。
なぜその年でマウンティング合戦なんてしてるのか私にはわからなかった。大きな衝撃が走ったのだ。
つまり高校時代と会話の質が全く変わっていない…。彼らは30越えても昔話とマウンティングしかしないのだろうか。今となっては間違いなく関わりたくない人種である。
……いや、違う。期待する時点で間違っていたのかもしれない。人によって成長曲線は違うし、少なくとも私は40近くになってもみっともないマウンティングするおじさん、おばさんを沢山見てきている。
自分自身、大学の友人よりも高校の友人の方が付き合いは濃かったし価値観も合った。それでも時間という残酷な物が恐らく私を変えてしまった。
今では大学の友人の方が価値観は合う。
学生時代の頃は「大人になると価値観が変わる」と言うことをよく言われていた。
正直当時はあんまりイメージ出来ていなかったが、今では痛いほどわかる。
「俺たちはずっと友達だからな!!」
昔はこんなことも言った気がする。
私にとっての彼らの友人としての賞味期限は想像していたよりもずっと早かったのだ。
ただそれだけの事だ。
私は25歳 独身。 社会に出てまだ3年。
あの集いから時は流れたものの現時点では周りもほぼ独身で生活や人生の価値観自体にそこまで大きな差異はないだろう。
ただ少なくとも私のコミュニケーションに対する価値観は大きく変わった。
彼らの殆どの人達にはもう会うことは無いだろう。その方がお互いに幸せだと思う。
私は元々言いたいことをストレートにぶつけるタイプだったが、今となっては言いたいことや考えを相手にぶつけても相手は幸せにならないと思っている。タイミング、言い方等を気を付けて言葉というボールをぶつけるべきだ。勿論ボールを投げないという選択肢だって大いにアリだ。
他人は他人で良いのだ。大人になって皆、それぞれの幸せに向き合って行くのだろう。
学生時代はいつの時代もとても楽しかった。それでも、もう戻りたいとは思わない。
頭では分かっている。 理屈では分かっている。
……。
それでも私は時間の残酷さに何かを感じずにはいられなかった。
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