友達ができない人

「友達ができない」と悩んでいる子、全てではないのだが、多くのパターンとして、自己主張がないどころか、自分の意見や趣味趣向を出さない、持たない人が多い。 おそらくは長い物に巻かれていたい子なんだと思う。
 というか、少子化や空気がそうしているのだが、雉も鳴かずば撃たれまい、自己主張はリスクであり、みんなと同じであることが、何よりも無難という考えがあるのだ。
 だから、「○○はどう思う?」ときくと、誰々と同じ、とか、どっちでもいいと答える。 とても「いい子」だ。 だが、その子のキャラクターはわからない。だから、集団では便利だけど友達にするには物足りない。

結果として、コミュニティ(クラスとかチーム)の中で、孤立はしていないけど、浮いている……何か、相手にされていないという不安にさいなまれている人というのは、案外多いような気がする。
だからといって、リアルな社会で自分の意見を主張すれば、反発する人間がいるのが怖くて何も言えない……。
まあ、なかなかのストレスだと思う。

昨今の、飲食店での寿司ペロなんてのは、そういう不安の裏返しによる、歪んだ承認欲求の副作用なのではないか? などとも思う。
自分がしたくてやっているというより、仲間内で「すげぇ」「やるなぁ」と思われたいという、みじめさが感じられてしまうのである。

こういう歪んだ承認欲求を満たしてくれそうな気がするのがネット空間というやつで、これは子供に限らず、こうした「孤独や孤立を極端に恐れてリアルでは自己主張ができない」いい子ちゃんたちが、やたらと過激な発言をしたがる。
炎上している動画の主の人格を否定したり、アイドルのスキャンダルを、推しでもないくせに過剰に攻撃し、攻撃されている政治家や市民活動家を必要以上に叩きまくる。
誰かの尻馬にのって、安全性を確保しながら、だけど、目立ちたいからより一層汚い言葉でさも自分が言い出しっぺであるかのような快感を求めているのだろう。自分の考えや意見が言えない分、誰かが言った言葉をそのまま自分で脚色して目立ちたがるというのも、この手の人間が陥りやすいようだ。

ただ、悲しいかな、他人の悪口や誹謗中傷で感じる連帯感や一体感というものは、現実の世界における人間関係に比べて、悲しいぐらい希薄だし、あてになるものではない。

現実の世界で、自分はどういう人間なのか、あるいはどういう人間になりたいのか、地に足をつけた自己主張をして、本当の友人を見つけてほしい。
悪口、非難、誹謗中傷でつながるみじめな人間関係よりも、好きなこと、面白さを共有できるリアルな人間関係のほうが楽しいよ。


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