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高千穂記録文芸誌『かなたのひと』

 尾翼のある不思議な飛行物体、なんだろうと思って暫くながめていたら、ただのカラスだった。四十半ばの老いと、スマホ依存で夜中もダラダラ映像と情報を追いかけていたら、すっかり視力が落ちてしまった。
 一等星は重なる星、光を八方に放つし、この前の自動車の免許更新の視力検査なんか、Cが全部かさなってシャネルマークにしか見えなくて難儀した。

 目に不自由してこなかったので、これが単なる視力低下なのか、老眼なのか、乱視なのかも分からない。

 遠くから歩いてくる知人の顔の判別も難しいし、近くで見ても、視覚から脳へ伝達するのにタイムラグがあり、ちょっとぼんやりと間抜けな感じになる。

 ああ、これが落合の言っていた視力の低下か〜と、ひとり納得する。イチロー引退の2,3年前には、もうそろそろ引退かと思っていたそうだが、問題は目であり、脳への伝達だったのだろう。

 プロ野球ではないけれど、ぼくの目下の課題は「かなたのひと」の原稿。もう締切が過ぎているが、脳とやる気がフィットしない。老いては学なり難しとはこのことか〜と、これまた納得。神経が鈍感となり精神が図太くなる。

 山深い神話の里高千穂で、年に一度出版している記録文芸誌。今度で6号目だ。書く時間は一年間あるのだから早めに書けばいいのに。締切が近づかないと力が発揮できない。なんてことを言っていたら過ぎてしまった。光陰矢の如し。

 昔の人の言うことは凄いな。後の人もみんな同じ目にあうから言葉として残ってきたのだろうな。なんだか怠け者を奮い立たせる、フィットした金言ないのかな。

 空と自分の間の空をぼんやりと手を伸ばしても掴めない、今日も一文字も書けずに終わってしまった。

 自分の気持を吐露する文章なら書けるのに。ずっとピントはずれたままだ。

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