アドラー心理学に感銘を受けて
最近「嫌われる勇気」「幸せになる勇気」の2冊を読破した。
この本を読むまでは「アドラー心理学」の「ア」の字も知らなかったが、読み進めていくうちにどんどんアドラー心理学の魅力に引き込まれていった。
2冊を読み終わったわたしの目に映る世界は上手く言葉にできないが、なんだか今までとは違うように見えた。
今までわたしが疑いもなく持っていた考え方ってどうしてこんな風に考えるようになったんだろうって不思議に思うようになった。
例えば、「人から嫌われたくない」「誰かから認められなきゃいけない」「こんな出来事があったから今こんなに不幸なんだ」「ほめられて伸びるタイプ」「自分にしかできない仕事をするべき」「将来こんな風になりたいな」「運命の人はこの世界のどこかにいる」
アドラー心理学ではこれらの考え方を否定していた。わたしは実践できるかできないかは別として、これらの考え方を否定しているアドラー心理学をすっと受け入れることができた。
アドラー心理学では「嫌われることを怖れるな」「他者の期待を満たすのではなくて、自分の価値は自分で認める」「自分の手で不幸になっている」「ほめる、叱ることによって縦の関係を結ぶことになるので、対等である横の関係を結ぶべき」「どんな仕事もなくてはならず、分業することで生活ができている。どんな仕事をするかではなく、その仕事にどのような態度で取り組むのかが大切である」「過去も、未来も考えず、『いま、ここ』を全力で生きることが大切である」「運命とは自分で作り上げるもの」
わたしは「こんな考え方もあるのか!」とはっとさせられた。
今まで、さまざまなことで悩んできたが、考え方次第で自分の心を軽くすることができる。
その中でも、特に心打たれた考え方が2つある。
「人間の価値は、『どんな仕事に従事するか』によって決まるものではない。その仕事に『どのような態度で取り組むか』によって決まる」
社会人6か月で退職し、転職した今。
転職して良かったと思うこともあるけれど、やっぱり時々あのまま続けていたほうが良かったのではないかと思うこともある。
今の仕事がどうのこうのではなく、大卒で入社し総合職として雇ってもらったことに価値があったのではないだろうかと心のどこかで思っていた。
しかし、この一文によって気づかされた。
わたしは『どんな仕事に従事するか』に目を向けていたけど、今たどり着いた新たな職場で態度で示すことによってわたしの価値を見いだせるということに。
もう一つは
運命とは自分の手で作り上げるもの
「運命の人に出会いたい。」そのようなことを常日頃考えていた。
しかし、
運命の人に出会いさえすれば、すべてがうまくいく
これは机上の空論に過ぎないそうだ。
だって人々は、毎日さまざまな人と出会っているのに、運命の人に出会いたいと思う。
運命とは
運命だと信じることを決意しただけ。
なるほど。
運命と思うか、思わないかは自分次第ということなのだろう。
だから、わたしは運命だ、と信じることができる人に出会いたいと思った。
わたしはこのようにアドラー心理学に感銘を受けたが、これを実践できるかといわれると難しいと思う。
だけど、アドラー心理学を知ることができ、自分の中にほんの少しでも取り入れることができ、ほんの少し、世界がシンプルに見える気がする。
この世界の見え方の変化に伴う、なんともいえない心の変化がおもしろかった。
多くの人がアドラー心理学に触れて、このような心の変化を感じていただきたいと思いました。
アドラー心理学に興味を持った方、ぜひお話ししてみたいです。
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