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母子手帳はなぜ親子手帳ではダメなのか

エビデンスを求めて三千里、着太郎 (@192study) です。
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映像制作/ディレクターの Masahiro Ymamoto (@masa_rhythm) さんが2020年10月1日にツイートした「母子健康手帳」に関するツイートが2,700を越えるいいねを集めました。

同時に「被害妄想だ」などの否定的な意見も少なくない数を見かけます。また「否定はしない」などと中立を装いながらも根拠の乏しいコスト増や主観的イメージに基づく社会的拒否感を理由に実質的に認めない立場の人も少なくありません。

定期的に話題になる名称問題

母子健康手帳の名称に関するツイートはTwitterの育児界隈で定期的に話題になっており、自分が過去に初めて反応したツイートは育児休業を絡めた2018年2月のあつたゆか(@yuka_atsuta)さんの以下のツイートでした。

#ゆるゆるお父さん遠足 で顔見知りのコンペイ (@maamiitosan) さんも2018年9月にこんなツイートをされており、1,600を越えるいいねを集めています。

なかなかこの記事をまとめ切れていなかったら、2020年の年末にカピパラおじさん (@woodybuzzmitai) さんがお母さん食堂で万越えのバズりを見せており、関連した話題として母子健康手帳についても前述のような否定的な議論が再燃していました。

母子健康手帳の歴史的変遷

ここで母子健康手帳の歴史的な経緯について振り返ってみます。
自治体に妊娠届けを出すともらえる母子健康手帳ですが、実は母子保健法という法律によって定められています。

手帳の名称は最初から「母子健康手帳」だった訳ではなく、「妊産婦手帳」と「乳幼児体力手帳」として始まり、敗戦後に「母子手帳」に統合され、「母子健康手帳」へと変遷しています。

1942年 妊産婦手帳制度、乳幼児体力手帳制度が発足
1945年 第二次世界大戦(太平洋戦争)敗戦
1947年 児童福祉法の制定
1948年 母子手帳の交付
1965年 母子保健法の制定(1966年施行)
1966年 母子健康手帳に改称
1976年 母子健康手帳の全面改定
1981年 母親が成長記録が書き込める方式へ変更
1991年 母子保健法の改正
1992年 母子健康手帳の全面改正
2002年 母子健康手帳の改正
2019年 母子保健法の一部改正(産後ケア法案、2021年施行予定)

産めよ殖やせよ、国のため

妊産婦手帳制度が始まる前の戦前は、第一次世界大戦による不況で1918年米騒動が起き、農村や都市下層階級の生活難が顕在化、人口過剰と貧困問題を解決するために産児調節運動が展開されました。その結果、出生率は今からちょうど100年前、1920年の36.2(特殊出生率5.11人、人口5,596万人)をピークに減少傾向にありました。

1918年 米騒動第一次世界大戦終戦
1931年 満州事変
1937年 保健所法の制定
1938年 厚生労働省の発足
1940年 国民体力法の制定
1941年 人口政策確立要綱を閣議決定、太平洋戦争が勃発

しかし1931年満州事変をきっかけに日本は再び戦時下に入り、1937年保健所法が制定、1939年には新設間もない厚生省が「産めよ殖やせよ、国のため」の標語を発表、1941年に閣議決定された人口政策確立要項では人口1億人を目標に出生増加の方策、多子家族への物資の優先配給、産院や乳児院の拡充、避妊堕胎等産児制限の禁止が定められました。
このような時代背景の中、母子健康手帳の起源とも言える妊産婦手帳制度乳幼児体力手帳制度が翌年の1942年より始まったのでした。

妊産婦手帳

母子健康手帳の起源である妊産婦手帳1942年厚生省令第35号の妊産婦手帳規程により定められました。

妊産婦手帳の立案にあたっては、後に旧厚生省の児童局初代母子衛生課長になる瀬木三雄が、1938年ドイツのハンブルグ大学産婦人科教室において見聞した妊婦健康記録自己携行システムおよび妊娠中定期診察法についての産科学的内容事項を参考にしたようです。

また「手帳」という親しみやすい表現は、長らく愛知県一宮市長を勤め当時厚生事務官だった伊藤一の着想によるもので、瀬木は「これが健康記録表という形であったならば、戦中または戦後のいつかの時代にか消え去っていたかもしれない」と述懐しています。

手帳の持参により、米、出産用脱脂綿、腹帯用さらし、砂糖などの配給を受けることができるインセンティブがあったこともあり、新しい試みにもかかわらず短期間で浸透したようです。妊産婦手帳は敗戦の混乱の中も生活物資不足に際して配給の実施に役立ったことから、 その利用が続けられました。

乳幼児体力手帳

妊産婦手帳に先立ち、1942年国民体力法の改正で乳幼児を対象とした体力検査と保健指導が導入され、乳幼児体力手帳制度が設けられました。制度自体は1954年に廃止されたものの、予算が講じられたのは第二次世界大戦の終戦を迎える1945年までのようです。

母子手帳

1947年に厚生省に児童局が新設され、そこで母子衛生課の課長となったのが先述の瀬木三雄でした。同年12月児童福祉法が公布され、翌年1月に保健所法が施行されます。1948年5月より妊娠した者の届け出によって「母子手帳」が交付されるようになります。最初の母子手帳は全24ページで、多胎児でも子ども一人につき一冊交付されました。その後3回(1950年, 1953年, 1956年)の改正が行われました。

蛇足ですが、母子手帳には規則的授乳法の奨励、添い寝の禁止、抱き癖への注意が「しつけ」として掲載されていて、母子健康手帳に変更された際にこれらの記述は削除されました。

母子健康手帳

1965年母子保健法が制定されたことに伴い、母子手帳は母子健康手帳と現在の名称に変更され、1966年の厚生省告示第236号により母子健康手帳が公布されるようになりました。

父親像の変遷

育児は必ずしも父母のみが担うものではありませんが、時代背景の変化に伴い、父親の育児参入が社会的に強く要求されており、父親像は大きく変化しています。

近年の父親像の変遷についてはいくつかの研究がありますが、例えば板東 (2018) が井上・富岡 (2013) の研究を以下のようにまとめています。

家庭における近年の父親像の変遷として、井上・富岡(2013)によって、「威厳ある父親からよく働く父親」(1950〜1960年代)、「家庭人として求められる父親」(1970〜1980年代)、「育児参加を期待される父親」(1990年代〜2000年代)と、父親像が時代背景に伴い変化していることが明らかにされた。

これを見る限り、近年の日本における父親像は20年単位でも大きく変化しています。1950〜1960年代には既に威厳(権威性)からよく働く(労働力)へと封建制度的家父長制に変化が見え、20〜30年前である1990〜2000年代には「育児参加を期待される」と明確に父親像として育児参入が期待されはじめています。

また、逆を言えば少なくとも半世紀前は期待されていなかったことになります。ちょうど育児世代のその親の世代に当たりますね。この辺りも念頭におきながら議論を検討する必要があるでしょう。

国による名称変更に関する検討

母子健康手帳については厚生労働省で10年ごとに検討会が開かれており、実は少なくとも20年前から国でも名称変更に関する検討が行われています

厚生労働省の旧雇用均等・児童家庭局(現子ども家庭局)母子保健課が2001年9月28日から11月21日にかけて3回の「母子健康手帳改正に関する検討会」を、またその10年後の2011年9月14日から11月4日にかけて3回の「母子健康手帳に関する検討会」を開催しており、その記録から国における名称変更に関する提案や議論の様子をうかがい知ることが出来ます。

母子健康手帳改正に関する検討会(平成13年/2001年)
2001年平成13年度第2回議事録を見ると、足立区東和保健総合センターの保健婦(当時)の吉岡京子委員が以下のように発言しており、20年前に既に名称変更を期待する声があったことが分かります。

手帳の名称につきましては、「子ども健康手帳」ですとか「親子手帳」といった名前でもそろそろいいのではないかというふうな意見もありました。

当時の議事録等にはこれ以外の記述が見当たらず、残念ながら名称に関する議論の様子をうかがい知ることは出来ません。

母子健康手帳に関する検討会(平成23年/2011年)
それから10年後の2011年平成23年度第1回議事録を見ると、大阪大学大学院人間科学研究科教授および NPO 法人 HANDS 代表理事の中村安秀参考人が以下の通り発言しており、10年前の時点で沖縄県茨城県常陸大宮市で既に親子健康手帳という名称を使用していることが紹介されています。

「医学的記録と健康情報提供の一貫性の確保」をして、できれば18歳までの予防接種と身体発育の記録は継続したものをきちんと確保する。「母子健康手帳」が良いのか「親子健康手帳」が良いのか。実は、常陸大宮市でも沖縄県でも、法律を改正しないで「親子健康手帳」という名称の手帳を発行しています。そういうやり方はできると思いますので、名称は「親子健康手帳」の方が良いのではないかと思っています。

第1回検討会配付資料「資料5-1:母子健康手帳に関するご意見」に「各自治体からの意見」として、以下のような11市町村からの名称変更を要望する意見の記載も見られます。

①父親の育児参加を促進するためにも「母子健康手帳」の名称を「親子手帳」に変更(11市町村)

しかし、同じく平成23年度第1回議事録を見ると椙山女学園大学教育学部教授の中島正夫参考人が以下のような発言で名称変更を強く反対しています。

父親は医学的にいえば妊娠・出産はいたしません。そして、機能的に未熟でもありません。ですから、この時期、父親が少なくとも身体的な健康を害することはありませ(ん)ので、現在の手帳も父親の健康は視野に入れておりません。なので「母子健康手帳」だと思っています。当事者家族の妊産婦と乳幼児の健康管理を促すことは、昭和17年当初から既に意図されていました。父親は妊産婦をサポートし、まだ育児を共にするのは当たり前のことであります。このことに関して、既に多くの自治体で「父子手帳」もしくは「父子健康手帳」を別に作っておられ、父親の育児参加が強く求められる時代への対応に関してはもう一冊、「父子手帳」もしくは「父子健康手帳」を各自治体が発行すれば、その趣旨は実現できるのではないかと考えております。

中島 (2011) は父親を医学健康面に限定することで最初から成熟したものとして扱ったり、妊産婦サポートや育児を性善説で根性論的に当たり前論を論じるなど、立場に非常に偏りのある危うい論法で議論しており、「別に手帳を作れば事足りる」との主張に至っては新たに手帳を作らなければ解決されないことに。
実際に父子手帳を発行する自治体も存在しますが、母子健康手帳と異なり規定がなく、副読本的な位置づけに過ぎないものが多く、内容も質も各自治体でバラバラです。同じ論法で言えば、名称変更で事足りるはずです。

次に開催された平成23年度第2回議事録を見ると、まず馬場課長補佐が「「親子健康手帳」に名称変更すべき」という検討会等での主な意見を紹介しているものの、整理した論点として以下のようにも発言しており、この時点で既に内々で結論は決定されていたようです。

母子健康手帳の役割は、法の趣旨に照らして、母子健康手帳の健康の保持及び増進であり、名称は変える必要はないのではないかということ。もう一つは、父親の育児参加の促進のために、父親も記載できるような欄を設けてはどうかということ

その後、発言のあった6人の委員の中で唯一の名称変更賛成派である藤内修二委員(大分県福祉保健部健康対策課課長)が最初に以下のような発言を行っています。

今日のように父親を含めた親子にしっかりアプローチしていかないと母子の健康が守れないという状況を考えると、母子保健法の定めでは母と子だから、父親も含めた親子という枠組みは不要ではないかというのは、現状を考えると厳しいのではないか。

前述のように最初から結論が決しているため、他5人の委員の反対する発言があった後に「この論点に関しては、大体皆さまのご意見が一致しているように思いますが、よろしいでしょうか。」と柳澤正義座長によって黙殺されて終了したようです。

コロナ禍でどうなるか分かりませんが、タイミング的には2021年の今年がまた同様の検討がなされる年と推測されるので、議論の進歩を期待したいところです。

既に存在する「親子健康手帳」

社会的に受け入れられないとする確固たる信念を伴う意見も見かける親子健康手帳案ですが、実は母子健康手帳を「親子健康手帳」や「親子手帳」に名称変更している自治体は既に存在しています。

親子健康手帳は、2011年グッドデザイン賞の博報堂生活総合研究所によるものだけでも2018年4月時点で196自治体の採用があるようです。また、一般社団法人親子健康手帳普及協会では海外事例なども紹介されています。

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以下はGoogleの検索結果で順番に調べた結果を以下一覧にしています。(手作業で途中なので網羅性はありません)
沖縄県は県全体で採用しているのでしょうか、出生率が34年連続全国1位の沖縄県に導入が進んでいるのは興味深いですね。
また、親子健康手帳の配布はしているようであるものの、役所の公式サイト内では母子健康手帳の名称のままの自治体も残念ながら複数ありました。

母子健康手帳に親子健康手帳等の名称を採用する自治体の一覧
福島県
 いわき市、双葉郡 楢葉町
宮城県 登米市
茨城県 行方市常陸大宮市
埼玉県 志木市狭山市ふじみ野市
東京都 江戸川区(2020年4月)、墨田区(2015年4月)
長野県 上田市
山梨県 富士吉田市、南巨摩郡 南部町
愛知県 小牧市長久手市蒲郡市
三重県 津市、南牟婁郡 紀宝町
滋賀県 草津市近江八幡市栗東市
奈良県 五條市
大阪府 大東市泉南市茨木市
兵庫県 赤穂市丹波市
岡山県 岡山市総社市玉野市
広島県 福山市廿日市市
山口県 宇部市
福岡県 遠賀郡 遠賀町
熊本県 熊本市宇城市、阿蘇郡 西原村
宮崎県 宮崎市
沖縄県 那覇市、沖縄市うるま市豊見城市浦添市南城市宮古島市本部町、中頭郡(読谷村中城村北谷町)、島尻郡(南風原町与那原町伊是名村)、中頭郡(西原町、北中城村嘉手納町

海外の母子健康手帳

母子健康手帳は歴史的経緯からも妊産婦の健康を管理する意味合いがあり、これを持って名称を変更すべきではない、という議論があります。
ここで皆大好き出羽守、母子健康手帳の元となったムッターパスの故郷、ドイツではどうなっているのかを見てみましょう。

Mutterpass
ドイツ
では妊娠が分かると産婦人科医か助産師からムッターパス(マザーパスポート)を受け取ります。英語版もあるようです。この制度は日本の妊産婦手帳や母子手帳よりもずっと後の1961年に導入されたようです。
かなり渋いデザインですね。あまりに渋すぎるせいか連邦健康教育センター (BZgA) の情報ポータル Familienplanung.de で無料のカバーを配布しているようです。

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Kinderuntersuchungsheft
また、子どもが生まれると「キンダーウンターズッフングスヘフト」(Kinderuntersuchungsheft) を受け取ります。Google 翻訳では「子供の試験小冊子」と訳され、英語版のタイトルは "Your child’s medical records" と翻訳されています。「子ども検診手帳」といったところでしょうか。こちらのデザインはやや今風ですね。

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日本では子どもの健康情報は乳幼児体力手帳として独立していたものが母子手帳以来一体化されていますが、ドイツではこのように別冊となっているようです。ちなみにオランダでは7冊に分かれているそうです。

母子健康手帳は体重など母親のプライベートな情報も記載されるため、夫を含め他人に見られたくないという人もいるようで、このように母と子で再び別冊にするのは一つの解決策かもしれません。

当時占領下にあった日本において、GHQ母子手帳を監修する際に担当の小児科医ナイトが「妊娠というのは女性個人にとって最もプライベートでパーソナルなことなのに、何でわざわざオープンにして役所に届けなければならないのか」「アメリカの平均的女性の立場からすると、疑問だ」と疑問を呈した逸話もあります。

子供手帳モデルの検討

遅々として進まぬ国の動きに対して、東京都は2017年に「子供手帳モデルに関する検討会」を設置しているようです。4回の検討会が開催され、2018年3月に報告書がまとめられています。

終わりに

母子健康手帳の名称について、母親や父親がいなくなる子どももいることを考えれば親子手帳親子健康手帳が最適解とも思えませんが、20年経っても国の議論が遅々として進まないのは父として残念なところです。

ただ、名称案としては「子ども手帳」や「赤ちゃん手帳」、「いのちの手帳」などのアイディアも見かけますが、個人的には妊産婦手帳と分離の上、「子ども健康手帳」や「子ども健診手帳」ぐらいがちょうど良いのではないかと感じます。

また、父親や男性は「か弱い女子供を守るべき存在」であり、「他人に守られるようなことがあってはならない」という、いわゆる「有害な男らしさ」も問題の背景にあると言って差し支えないでしょう。
父親が育児に参入せざるを得ない時点で従来の「男らしさ」は既に崩壊しているにも関わらず、「守られること」だけ取り残されては当事者としてはたまったものではありません。「男は弱音を吐いてはいけない」という既に内在している男らしさからそれを自発的に声に出しにくいことも問題をさらに難しくしているかもしれません。

守るべきものは何なのか、大事なことはその辺にあるように思います。

参考文献

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