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共和政末期ローマの内戦とヌミディア王国

大清水裕「共和政末期ローマの内戦とヌミディア王国ーユバ1世の挑戦と挫折ー」『滋賀大学教育学部紀要』70、pp.71〜85、2020年。

目次
はじめに
1.ヌミディア王国ローマ
(1)ヌミディア王家とポンペイウスおよびカエサル
(2)「ローマ国民の同盟者にして友」
2.ユバ1世の軍隊
(1)前49年のヌミディア軍
(2)前46年前後のヌミディア王と軍隊
3.ヌミディア王支配下の人々
(1)マウレタニア王の攻勢と王都キルタの陥落
(2)ガエトゥリ人
(3)ザマ・レギア
(4)レプティス・マグナとウティカ
おわりに

要旨
 本稿は紀元前1世紀半ばの内戦期におけるヌミディア王ユバ1世の行動と、同時期のヌミディア王国のあり方について検討を行っている。①ユバ1世はポンペイウスとのクリエンテラ関係ゆえに元老院に加担したのか、あるいはヌミディア王国の支配拡大を目指して内戦に関与したのか。②共和政ローマの内戦期において、彼の治めるヌミディア王国はどのような状況に置かれていたのか。
 まず大清水は、ユバ王とポンペイウスやカエサルとの関係を軸に、ヌミディア王国と共和政ローマとの関係を確認する。ユバ王の父が王位に復帰するときにポンペイウスの助力があったことは確認できる。しかしヌミディア王が常にローマ支配に従順だったわけではなく、ユバ王は当時のローマ人から「傲慢」で「攻撃的」であるとの評価を下されている。ユバ王の軍隊は、ヘレニズム諸王国に類似した洗礼された構成をもっていた。ヌミディア王国が滅亡する直接の原因であるタプススの戦いの前後においても、ヌミディアの軍隊は大規模であった。
 しかしヌミディアは前46年4月のタプススの戦いでカエサルに敗北する。この戦いがはじまる前に、ヌミディアにおけるユバ王の支配はすでに動揺していたことを大清水は指摘する。ポンペイウス派、もしくは元老院派の劣勢が明らかになり、ファルサロスの戦いでポンペイウス派が敗北すると、ユバ王はその後ろ盾を失うことになった。ユバ1世は強大な軍事力とポンペイウス派の後ろ盾でもって、ローマの内乱を機に支配拡大に向けて挑戦したが、結局はその後ろ盾を失ったうえに北アフリカに住むローマ市民の協力を得られなくなった。

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