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読書メモ:「三十年戦争における「宿営社会」ー『ある傭兵の手記』を中心にー」

渋谷聡「三十年戦争における「宿営社会」ー『ある傭兵の手記』を中心にー」『社会文化論集 : 島根大学法文学部紀要社会文化学科編』1、27〜42ページ、2004年。

目次

1.はじめに
2.『ある傭兵の手記』
 1.『ある傭兵の手記』の資料的価値とその成立状況
 2.ある傭兵の空間的・社会的移動
  (1)戦争の第二段階 デンマーク・ニーダードイツ戦争 1624〜29年
  (2)戦争の第三段階 スウェーデン戦争 1630〜34年
  (3)戦争の第四段階 スウェーデン・フランス戦争 1635〜48年
  (4)ヴェストファーレン講和の成立以後
 3.傭兵と「宿営社会」
  1.J.ペータースの考察より
   (1)行動様式:傭兵の日常
   (2)ある傭兵の価値観
  2.B.R.クレーナーの「宿営社会」論
4.むすび

要旨

 三十年戦争のイメージはかなり修正されつつあるが、30年におよんだこの戦争がドイツの社会に独特な影響をおよぼしたこともまた事実である。本稿は同時代の第一級史料である『ある傭兵の手記』を、「空間と移動の社会史」の観点から紹介し、これに対してコメントをこころみることを目的とする。そして著者の渋谷は、その際に近年のドイツにおける「近世軍事史研究」ならびに三十年戦争を対象とする「社会史的な見直し」という、双方の動向に学びつつ検討を進めるとしている。

 『ある傭兵の手記』についての詳細は割愛するが、この資料はJ .ペータースによって詳細な解説が加えられて1993年に刊行された。この手記の特徴は、25年間におよぶ傭兵生活ならびに家族生活の様々な局面を、淡々と事細かに記述しているところにある。

 渋谷はペータースの解説をもとに「空間と移動の社会史」の観点から分析を進める。三十年戦争末期においては、人々、特に都市下層民にとって戦争が「生きのびる」ために何らかの形で関わらざるを得ない存在であったことを指摘する。この傭兵もそのような人々のうちの1人で、かつ才覚のある者であった。そして戦功をあげて資金を蓄えることで、軍団内での昇進、すなわち社会的上昇を目指したのであった。また駐屯地での物価の高騰に目をつけて、妻と共にパン焼きかまどを作って、パンを製造し販売したように「軍団内での副業」も行なった。さらに「宿営生活」は、決して地域社会から隔絶された存在ではなく、地域社会(特に駐屯先の都市)との接点をもち、一般の都市住民との接触がごく普通に生じ得たことがうかがえる。そのひとつの側面が「略奪」であった。三十年戦争期における傭兵とその妻は、効率的な「略奪と生産のパートナー」であった。

 『ある傭兵の手記』からは、この傭兵の価値観をうかがうことができる。ペータースによれば、この傭兵の帰属先は「多民族からなる戦場共同体」たる所属連隊であった。この帰属意識が、連隊のなかでの社会的かつ軍事的な名声を重視して「名誉」とみなす彼の価値観につながっている。また士官と良好な関係を築くことで、この傭兵とその妻は生活の物的な安定を引き出していた。

 ところで「宿営社会」とは、B.R.クレーナーが提唱した三十年戦争期の社会をあらわす概念である。17世紀後半以降とは異なり、三十年戦争の時期において軍団の宿営そのものがひとつの「社会」を構成していた。近年のドイツにおける軍隊の社会史研究は、軍隊と社会とのさまざまな関係を明らかにしつつ、軍隊を社会との関係から隔絶された存在とみなしてきた従来のイメージを大幅に修正しつつある。軍団のなかで、男性と女性は「保護と世話」の関係があった。パートナーたる兵士の「世話」という女性の役割が顕著にはたらいたのが、戦闘終了後の略奪行為においてであった。クレーナーは「略奪共同体」と表現している。

 渋谷は本稿のまとめとして、クレーナーが指摘するふたつの点に渋谷の私見を加えて、3つの論点を示している。①戦闘員(男性)と随行者(女性)との間における相互依存の関係、②「宿営社会」における「階層性」ないしは「中心と周縁」として概念化される社会層の配置、③宿営社会としての軍団が駐屯地としての都市にいってい期間にわたって留まる場合には、傭兵およびその家族と都市住民との間の交流が頻繁に起こりえた。

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