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【小話】新興宗教オモイデ教を読みました

こんにちは、なるぼぼです。
ゲーム以外の話をするのは初めてじゃないか?というぐらいに違和感を感じますが、今日は小説の話をします。
新興宗教オモイデ教。
以前「Needy girl Overdose」の記事を書いたのですが、影響されている(であろう)作品群を漁っているうちに、「雫(Leaf発の電波ゲ―)」のコンセプトのもとになった小説としてたどり着いたのがこれです。

一日で一気に読み終えました。
小説である分いつもよりも文体がおかしくなる気もしますが、気楽に読んでもらえれば、と思います。
よろしくお願いします。

読了後なので当然のようにネタバレします。
これからまっさらな気持ちで読みたい方はブラウザバック推奨。

1.電波と強烈な恐怖

この本の特徴を(陳腐な)言葉で語るとすると、「狂気とエログロ」だと思います。
本作には、「誘流メグマ祈呪術(メグマ)」という電波攻撃を行うことで対象を発狂させる技(?)が存在します。
おそらくこれが「雫」の「毒電波」の元ネタなんでしょう。
あのカミーユが「S〇X!」って言うやつね。
相手が狂っているので、嫌悪感を感じるレベルでの狂気行動が当然のように出てきます。
電波ゲーの最上級クラスにいるゲームって、こういう感じの演出が基本になっているんでしょうね。
精神的な嫌悪感とかではなく、生理的に「ヤバすぎだろこいつ」みたいな感じです。
特にゾンのメグマ攻撃の時は最悪でしたね。
なまじ意識があった栗本くんがとどめ刺しにきたみたいできつかったです。

狂気的な演出はこうした生理的な部分が結構な部分を占めているのですが、人の狂気にもいくらか言及がなされています。
特に印象的なのは相棒(?)の中間。
中間はオモイデ教に入る前から結構狂っている人であり、やっていることも中々におかしい奴でした。
オモイデ教もメグマのパワーが欲しかっただけであり、ゾンと出会い敵対関係になったことに気づいた後も、「どっちが狂気に飲み込まれるか楽しみや!」みたいなこと言って笑うバケモンです。
普通にイカれてる奴です。
ただ関西弁でコミカルな雰囲気がセリフから伝わってくるような奴なので、イカれてる分の生理的嫌悪感はあまり感じませんでした。

一通り読んで感じたのは、「暴力的な狂気」ということ。
精神から肉体へと破滅を呼び起こすような電波は、暴力的な狂気を印象付けます。
しっとりと絡みつくような狂気というよりかは、一気に壊れていく様が出されているので、「電波」という展開に相応しい演出なのかな…と思います。
「ムーンライトシンドローム」を少し思い出しました。
あれも電波や狂気、集団自殺などどことなくこの本のような展開を匂わせていたような気がします。
もちろん原因となる電波の影がほぼない(街のせいにされてる)ので、むちゃくちゃであることは間違いないのですが…。
この暴力的な狂気は、今ではそこまで使われなくなったような気もするので、そういった違いは電波ゲーをやりながら検討してみたいなと思っています。

2.ディープでダークな世界

この本の世界は当然のように狂気がはびこっているので、当然と言えば当然なのですが世界観もかなりダークです。
ダークと言えばそれまでなのですが、ゲーム系で出来るようなダークとは根本から違う、どす黒い感じがします。

例えば、中盤で狂わされた神猟塚聖陽。
彼女はオモイデ教を潰す可能性のあるA教に関わる拝み屋ですが、彼女は友人「しづ」の父親の死後の魂(?)を見ており、彼による罵声を浴びていました。
そして彼女の父の遺言に嘘をついて、父と引きはがし自分と居られるように仕向けます。
その後もしづとの良好な関係を続けますが、しづの方が「狂気に溺れる側にいたくない、普通でいたい」と思ってしまったことで裏切られます。
結局しづは聖陽の仕向けたチンピラによって処されますが、彼女の中に残るトラウマは計り知れないものでしょう。

また、中間とゾンの過去もともにダークです。
中間は母が父を刺し他界、母は逮捕され弟は自殺してしまいます。
ゾンは中間と出会った時点でA教の幹部に親権を利用した性奴隷扱いをされており、火炎瓶を投げようとした後も男娼になったりと壮絶な人生を歩んでいます。
どちらも凄惨な過去を歩んだことで、自らの狂気が前面に押し出されるようになっています。
ゾンは静かな狂気、中間はわかりやすい狂気なのが印象的ですね。

もちろん他の人も相当に狂っている、もしくは狂った過去を送っています。
こうした狂人たちが作り出すダークな雰囲気は、現代社会に近い世界観だからこそ特異的に映るのかもしれません。
電波ゲーの代表格ともいえる「雫」「終ノ空」「さよならを教えて」なんかはこの本の影響を受けてか、現代社会に近い学園生活を起点としてイカれた人物たちのストーリーが展開されていきます。
なんというか張り付くような恐怖感がそこから演出されているような気がします。
「こんな狂った過去があるから今も狂っているんだろう」と腑に落ちてしまうような感覚。
それに付随して、「現代社会だからこそこんな狂ってる状況が合っていいはずがない」という理性の反発。
混じり合った相反する感情が生まれることで、こういった作品の狂気は際立っていると感じます。

3.キャラクターに潜む「普通」と「特異」

本作のテーマは、「普通と特異の境目」だと僕は感じました。
これは作中でも度々言及されていて、主人公の「爆弾を作ってこの世の中を壊してやるんだ」という考えや、中間の「世の中の全部をぶっ壊してやりたかった」というロックと暴力。
こうしたものに、本作の「みんなと同じでありたくない」というものに対する強い反抗が見受けられます。

ただ、本作は「普通じゃない」を目指していた二人は、静かに狂気にまみれたオモイデ教を去り、自然と日常の中に溶け込んで消えていきました。
その一方で、宗教に溺れ、教祖を信仰するあまり誰かに人生を決められるような「普通」になっていたオモイデ教のメンバーやなつみは狂気に駆られるか、狂気の世界そのものに飲み込まれて死んでいってしまいます。
普通に戻った中間はどうなったのかわかりませんが、ゾンという相棒を失い全てが見えなくなった彼の人生は、いいものであるとは言い切れません。
主人公に関しても、自分で見捨てたとはいえ洗脳されていた好きな人を失ってしまい、最後に泣いている描写を見ると、少なくとも「普通じゃない」ことへの憧れは全くないと言えるでしょう。

こうした「普通じゃない」世界に、普通の感情でいることがどれだけ恐ろしいことかという部分に、本作のテーマ性が埋め込まれていると思います。
主人公とオモイデ教メンバーの対比を通じて、読者に対して電波や狂気に入り込んでしまうと破滅に向かっていくと説く本作は、様々な電波ゲーなどによって表現されていることに近しいです。
かなり古い小説であることもあって表現の直接性は今表現しようとするとまず無理だと思いますが、この水準でサイコホラーにあるような純粋な狂気を表現できるのは凄いと思いました。
そしてそれが文章で表現されている分、ゲームや映画などの映像媒体よりも頭でのイメージ像が映り込んできて、不快感が高い。
こうした生々しさは、小説でしか表現できない重さだと思います。

4.終わりに

いかがでしたでしょうか。

鬱ゲーを起点として小説に触れる機会がありましたが、なんというか凄いものでしたね…。
読んだのが実は9月ごろで、これをアップしている頃にはもう大体の話を忘れてしまっているのですが、ヤバかったシーンが何となく頭に思い描けるぐらいには、インパクトの高い作品だったのかな…なんて思います。
凄かったですね。

さて、鬱ゲー周りに関しては結構話してきましたが、新しい奴を入荷してきました。
クリアしたころにまた話そうと思います。
しばしお待ちを。それでは~。

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