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俺は「Needy girl Overdose」が嫌いだ

※以下、Needy girl Overdoseのネタバレを含みます。

「俺はこのゲーム嫌い」
エンディングを回収していくたびに、そんなことを考えていた。

別にこのゲームがクソゲーと言いたいわけじゃない。
クソ面白い。
あめちゃんのコミカルな顔は見ていて飽きないし、配信の内容もキッツいのもあるがバリエーション豊かでいいし、パラメーターを調整しながらJINEに返信するのも結構楽しかった。

ただ、コンセプトがとてつもなく嫌いなんだろう。
正確に言えば「コンセプトが刺さりすぎていて直視したくない」ということかもしれない。

Needy girl Overdoseのコンセプトはなんなのだろう。
個人的には「インターネット世界からの脱出」のような気がしてならない。
あめちゃん(超てんちゃん)はことごとく破滅する。
寝取られやA〇デビュー、ピの刺殺は当然破滅だが、グッドエンドのように見える「Do You Love Me?」であっても、「ピ」との情報をSNSにバラしてる時点で破滅が確定している。
今後超てんちゃんは間違いなく炎上するだろう。
つまり、このゲームは「インターネットで上手くやろうとしても破滅するだけだぞ」ってことを言いたいように感じる。

極めつけは隠しエンディング「Happy End World」だ。
このエンディングは超てんちゃん自身がインターネットから卒業し姿を消す。
しかしそれは満足したが故の消失であり、「Healthy Party」のようなデトックスしました、とかいう考えとは違う。
超てんちゃんを追いかけていたオタクは確実にインターネット断ちをした。
少なからず他者に絶大な影響を残している。

加えて、このエンディングはあめちゃん自身の破滅を意味しない。
もちろん所得なんぞはなくなっているだろうし、その後のあめちゃんの詳細なんて一切わからない。
しかし、少なくとも未来の破滅が確実ではないのだ。
「まるで天使のように微笑む強めの幻覚」というラストワードには、これこそがハッピーエンドなのではないか、と言わんがごとくの意味合いが込められているような気がする。
もっとも「強めの幻覚」なわけだから、「このエンディングに現実性はないよ~んw」という意味合いなのかもしれないが。
ともかく、このエンディングはインターネットからの脱却を通じたハッピーな世界があるように思えてならない。

ここで、ゲームがプレイヤーに投げかけているのは、「超てんちゃんはインターネットで破滅したよ。じゃあおまいらはどうなん?」という問題である。
プレイヤーは少なからず、「ピ」としてあめちゃんをサポートする。
「ピ」である俺らは、プレイ中はあめちゃんの行動にニマニマすることもあれば、裏切られて凄い感情になることもあれば、刺されて悲しくなることもあるだろう。
しかし、現実にはどうだろうか?
今も超てんちゃんのYoutubeチャンネルが開かれているが、そこに向かってコメントしているということは、俺らも「コメントのオタク」と同じなんじゃないか?

じゃあ、もし本作を「コメントのオタク」という立場から見たらどうなるんだろうか?
少なからず冷ややかに彼女を見てしまうんじゃないか?
「俺たちは超てんちゃんのファンだからありえん!」本当か?
俺たちは少なからず「ピ」だったわけだから、裏の「あめちゃん」を見ている。
そこにあるのは彼女への没入と依存だ。
絶対に超てんちゃんのファンになる。そう仕組まれている。
あめちゃんがクソ過ぎてアンチになりました!だったらそれはそれでいいけどね。

ゲーム内のオタクは、超てんちゃんの破滅をどう思ったんだろうか。
「ピ」みたいな感情になったんだろうか。
ガチ恋勢なら「ピ」と似たような感情だったのかもしれない。
でも大抵はほどほどに忘れるだろう?
5年10年ぐらい経って「あ~なんかそんな奴もいたなw」ぐらいになるだろう?多分そんなもん。
偶像崇拝なんてたかが知れている。
もちろん10万人までの人口減少を唄う破滅天使ちゃんは別として。

じゃあなんで俺はゲロエンディングであんなにヤな思いをしたんだろう。
それはあの時は「ピ」か超てんちゃんに感情移入してたのかな。
わかんねぇや。
罵詈雑言なんて受けたくないからね。

なんか色々言ったけど、そろそろまとめます。
このゲームのエンディングをいくつか見てから、ずっと責められているような気がする。
オタクはゲームやめて外出ろよ!みたいな気持ちなのかもしれない。
ただそう言うことでもない気もする。
超てんちゃんは配信者で、俺は彼女の「ピ」でなく、ただの芋オタクだ。
芋オタクなら傷つかないように生きていればいいじゃない。
ただそれは何の意味もないんだろう。
超てんちゃんがヘラりながら耐えたオタクの罵詈雑言ほどではないものの、インターネットには暴言が普通に転がっている。
そんな苦痛にも耐えられないようじゃ生きていけないのかもしれない。

正直このゲームの主題から逃げたいから嫌いなんだ。
逃げたいなんて思わなかったらこのゲーム絶賛してみんなに配りまくってる。
超てんちゃんを失った喪失感とかじゃない。
なんか重大なことを突きつけられて「お前は変わらないとダメなんだよ」って言われてるような感覚。
テーマソングで逆説的に「考えなくていいんだよ もうすぐ楽になるんだから」なんて言っておいて結論でこんなん出すんだ。
すごいよ。
OMORIは面白かったし頭をぶん殴られたような衝撃があったけど、こっちは時間が経てば経つほどにねっとりとまとわりつくような不快感がある。
それが嫌なんだろう。
なんかずっとこのゲームの存在が頭の片隅にある。
凄い嫌な思い出として残ってる。
でも適当なゲームとか動画とかで上書きするのもなんか違う気がする。
残したくないけど残さないといけないもの。そんな感覚。

要は「ネット以上の何かを見つけよう」ってことなのかも。
それが断片的に感じ取った「外に出ろ」じゃないのかな。
MOONみたい。
少し探してみようかな。外に出る理由。新しい趣味。
色んな人に会って話してみるのもいいのかも。
ネットだと感じ取れないものもあるからね。

妄言の数々でした。
読んでくれてありがとう。
キモオタクでした。

※7/6追記
これ書いた後にTwitterで少し話をしてみた。
フォロワーさんに「解脱」という言葉を使われて、それがすごいしっくりきた。
皆があめちゃんに何を思うのかわからないが、俺はあめちゃんから「解脱すること」を教わったのかもしれない。
あめちゃんが何者か、という話は一切していないが、それを考えるのも大事なのかもね。
気が向いたらまた別記事で考察します。

※2021/11/7 続き書きました





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