【感想?レビュー?】ムーンライトシンドローム 狂気入り混じる夜更け
こんにちは、なるぼぼです。
前々からやろうとしていた「ムーンライトシンドローム」を、先日ようやく確保することができました。
あまりボリュームもないと思い一気にクリアしてみたのですが、意外とあってちょっとビックリしました。
それはともかく、本作はこのムーンライトシンドロームのプレイ後の感想です。
いつもの如く色々と思うことはあるので、できる限りまとめてお話していこうと思います。
今回も例にもれずネタバレを含みます。
気になる方はブラウザバック推奨です。
それでは行きましょう。
1.まとわりつく狂気
さて、本作を簡単に言い表すと「悪意ある狂気」です。
本作は徹底的なまでに人の悪意が凝縮されています。
考察を調べてみるとどうやら街の特性が原因なようですが、それにしても悪意が表出しすぎです。
人の真意が見れるような「開扉」はまさに悪意を覗き込んでいるようなものですが、混ざりない狂気が爆発したかのような序盤の「夢題」、普通の通路にも関わらず変人貴人が集まる謎の回「変嫉」などもあり、本作は悪意が様々な手段、展開でプレイヤーにまざまざと示されています。
道歩く人が何を考えているのだろうか?というなんだかんだ分からない部分を軸として人の闇の部分をしっかりと示すことは、本作のテーマとして一貫しているのではないでしょうか。
僕は、本作が強い狂気を持っているのは見ず知らずの人間の狂気だけではなく、プレイヤーの周りにいる人のちょっと変な言動も理由にあると思います。
序盤のミカとミホの喧嘩は、今の世代から見ると友達の喧嘩で済んでいるのか怪しいレベルでの暴言が飛び交っています。
ユカリもアリサに「クソガキ!」とか平気で言いますし、なんだか暴力的な雰囲気を感じます。
もちろんこれが前作扱いのトワイライトシンドロームからこうであるのならシリーズ特有の流れなのですが、そうでないのならこの世界観での狂気の一端を担っているのかもしれません。
話の内容はともかくとして、テーマとしての悪意と恐怖は伝わってくる点は、素直に評価できる点だと思います。
2.奇怪ながら、美しいビジュアル
本作の魅力として、「ビジュアルがいい」という点があります。
ビジュアルってなんやねん、って話なのですが、個人的にダントツで良かったのが章の初めに出てくる一枚絵。
これがマジでセンスの塊です。
特に「電波」の一枚絵は天才級です。
電波の文字がネオン灯のように重なり合って光っているさまは、複雑ながら奇怪で理解しようのない、電波の違和感を丁寧に表現しています。
昔からこういう絵がめちゃくちゃに好きなんですけど、こういう絵ってジャンル分けするとどう表現するんですかね?
あと、「電波」以外だと「浮誘」「片倫」あたりの一枚絵も好きです。
あと、ところどころで喋ってる人の一枚絵が出るんですけど、それもいい感じに狂気が出ていてとてもいいです。
ローポリならではの顔の見せ方って言うんですかね。
特に序盤での見せ方がとても上手く、最初に出てくる謎の男とか、スミオやキミカは狂気を見せる前からちょっと不安定な印象をつけるような青い顔をしているので、「ひょっとしてこいつなんかヤバいんじゃ…?」と思わせるような、絶妙な不安感を煽ります。
こういった一枚絵の使い方や、ローポリを活かした癖のある人物絵などが、見事なまでに作風の狂気とマッチしているのも、本作の芸術的な魅力の一端を担っている、と僕は思います。
3.アドベンチャーの意味付け
さて、本作のシステム面の話。
正直本作のシステムに関しては、かなりの虚無なので特に言えることがないです。
アドベンチャーというよりは、ノベルのおまけに探索がついている程度の認識だと思います。
だからこそなのですが、結構探索がめんどくさいです。
ノベルチックな前半はあんまり深く迷うこともないのですが、終盤の「働悪」までくると普通に迷います。
しかもアイテムとかを使う場面もなく、そもそも使えるアイテムらしいものも存在しないので、探索アドベンチャーとしての魅力もあんまり高くないです。
それでいて割とノーヒント探索を要求されることが多く、変に迷うところがあります。
正直アドベンチャー部分に関してはあってないようなものだと思います。
そこを見て欲しいわけじゃない、っていう雰囲気をひしひしと感じます。
人の感情と狂気の揺れ動くさまは、おそらく述べる部分でしか表現できないんでしょう。
難しいですね。
4.浮誘
さて、実はこの章を避けるように進めてきましたが、満を持してお話しようと思います。
本作唯一の良心と呼ばれる「浮誘」の話です。
浮誘は、とある団地の中における飛び降り自殺の増加に端を発して、ミカを中心とする女子高生メンバーが調査を行うというものです。
若干サイケとオカルトが入っている点には目をつぶるとして、この章の最大の特徴は「ミカの成長が描かれている」という点と、「社会問題を通じた、意味付けのある狂気である」という点でしょうか。
一つずつ見ていきましょう。
まず、ミカの成長が描かれている点。
ここまでミカの扱いはストーカーされたり、チサトとユカリについて回っていたりと被害者的な立ち位置の人でした。
先輩だよりなところは前作からの名残らしいですが、本作の序盤でも先輩たちに頼っているところや、実際に助けられている(リョウも助けに入ってはいますが…。)ところからも、ミカは助けられる側、というのがわかります。
ところが、本章ではミカが奮闘。
ナナのダイブ(飛び降り自殺)が近いことを知り、慌てふためくタケルに「行動しないと何も始まらないよ」という姿は印象的です。
そしてリルと対面し、リルに対しても「どうにかならないのか」「みんなを助ける方法はないのか」と問うなど、ミカの優しさと行動力には感心するばかりでした。
こうしたミカ自身の成長が見られるというのは、ある種トワイライトのような、人の成長を示した章なのかもしれません。
僕はトワイライトをプレイしていませんが、多分トワイライトが伝えたかったのはこういう成長なのかな、なんて感じます。
トワイライトプレイ済みのユーザーに人気ですし。
さて、次に透き通った狂気であるという点。
ここまでの章やこの先の章では、ネバつくような人間の悪意が、主人公たちにまとわりつくように絡みついてきました。
それも大抵は意味のないものです。
スミオはともかく、ミカ周りの狂気は大きな意味付けがないものでした。
しかし、本章では明確な意味づけとして「革命」という言葉をかかげ、世代間の時間の取り合いを定義して、反抗の意思をもってダイブするという狂気の活動が行われています。
ここまで丁寧な意味づけがなされ、他世代の圧力に屈しないように懸命にもがくという中学生の姿は、行動は狂気に駆られておかしくなっているものの、まだ良かったのかもしれません。
むちゃくちゃな世界観ではあるものの、ある種透き通ったような終わり方をする点でも本章はどこか美しいような悲壮感があり、個人的に本作の中ではかなり異色かつ面白い章になっていると思います。
あと、本章の特徴として「圧力の現実感」があると思います。
他人に見られている恐怖、監視されている不安感、同世代の中での絶妙な力関係、それら全てが団地の中で丁寧に織り込まれている点は、見事だと思います。
ナナの圧力に屈してしまう緊迫感、団地の子供たちのリルへの徹底された恐怖心、大量の目に見られているという不安感…。
同世代しか団地内にいないことで生まれた、時間への犯行を見せつけるという強い決意や、中学生という他を突っぱねた存在を通じた独特な空間像は妙な現実味があり、浮誘というタイトルとは矛盾しているようにも感じます。
ともかく、本章は他の章と比べて格段に出来が良かったように感じます。
トワイライトをクリアしたら、本章の良さをより強く感じることができるかもしれません。
でも、チサトとアリサのテレキネシスバトルだけはいらなかったかな…。
5.サイコホラーとしてのミス
さて、ようやくかもしれませんが、本作の問題点をお話していきます。
ムーンライトシンドロームはクソゲーなのか?
まず、この疑問に自分の視点から答えていきたいと思います。
初めに結論だけ言ってしまいますが、正直本作はサイコホラーのゲームとしては致命的なレベルで酷いです。
不満点を挙げればキリがないのですが、特にひどいのが「トワイライトシンドローム」と対比して人の狂気を描き、サイコホラーとして自負しているにも関わらず、最後の展開が思いっきりオカルトチックになっていることです。
真犯人が出てきてそいつが電波を流して洗脳してたとか、えぐい人物が裏で手を引いていたとか、その辺ならまだ非現実的でも理解はできるんですよ。
人の狂気を描くうえで、ラストも人の狂気が描かれればそれでいいですし。
いや、なんで?
イカれた人物が出てきてそいつが暴れる、というのはまだわかるんですけど、サイコキネシスまがいの超常現象が出てくるのは意味が分からない。
そんなもんはいらないんですよ。
人間じゃないやつが突然狂気をアピールしてきても、「いや何様?」ってなるんですよね。
ヒッチコックの「サイコ」という映画はサイコホラーの傑作ですが、一人の人が狂気に駆られたがゆえにとんでもない殺害方法を思いつき実行するという、人間にできる、犯人の変な理性がまかり通っているような狂気性が凄かったわけです。
犯人のえげつなさとか理解できない思考こそがサイコホラーの特徴であるわけです。
しかし、本作はその殺し方があまりにも杜撰すぎる。
とりあえず未知の力で首飛ばす、しかも理由は特になし、なんか反抗してきたからやっときましたとか、現実離れしててプレイヤーが置いていかれると思うんです。
だからこそ本作のエピローグは最悪でした。
その一方で、序盤のスミオとヤヨイの行動はサイコホラーとしてかなり理想的な行動だったと思います。
「僕は君に執着する」という名言でお馴染みのスミオですが、彼の起こしている行動は、理念との一貫性もあって狂気の演出が素晴らしいです。
そして首狩りをやったヤヨイも「あなたのためにやったの」のセリフ。
バケモンかこいつらは。
しかし、やり方はともかくしっかりと人間らしい方法を取っているんですよね。
やってることはしっかり酷く、それでいて不思議な整合性もある。
そして言っていることが自分の信念に従ったことであると信じてやまない。
これほど見事な狂気の演出があるでしょうか。
ラスボスのやつがおもちゃ感覚でユカリやアリサを惨殺していくのは狂気とはいえ動機が適当すぎるんですよね。やり方もひどいし。
じゃあなんでこんな意味わからん展開になっているのか。
それはこのゲームがオムニバス形式のストーリーを扱っているからです。
オムニバスとして伝えたいテーマの一貫性はあるんですけど、各章が結びついているわけではない。
これが致命的な問題点になっています。
これがまだクソガキミトラの理由付けになっていたりとか、スミオが暴れまくる展開になってくるとか(早々に死んでるので無理ですが…)、誰か一人が長時間狂気に駆られて暴れててくれたら良かったと思うんです。
でもそうじゃない。
なんか中途半端なんですよ。皆中途半端にしか出てこない。
そのせいで、傑作サイコホラーに見られるような理解できる部分とできない部分が半々になっているような狂気の表し方が、理解できない部分100%になってしまっています。
ラストがvsミトラになってしまうこともあって、この中途半端な状況下で、見下ろしてた神が操作キャラを虐殺しているところを見せられたら、正直狂気を求めてた非トワイライトユーザーでもドン引きです。
正直良い所はあるものの、サイコホラーとしての表現があまりにも雑だったことは、個人的にはがっかりでした。
クソゲーの原因はそこにあると僕は思います。
6.考察:エンディングの解釈
さて、最後に考察をしましょう。
本作のエンディングについてです。
まずは確認。
ミトラを突然出てきた剣(???)でぶっさ刺したリョウは、河原を走りミカを探します。
最高のエンディング曲の締めにミカが登場。
リョウが抱きしめます。
ところ変わってリョウの部屋。
ルミが入ると、そこにはテレビを見ながらうつろな目をしたリョウがいました。
テレビに映るのは女性の姿。
リョウの手には紙袋がありました。
それは…。
さて、簡単にあらすじをまとめたところで、エンディングの疑問を列挙していきましょう。
「紙袋の中身はなんなのか?」「リョウに何があったのか?」「テレビの人物は誰なのか?」
このあたりを検討していきます。
まず、紙袋の中身。
「夢題」でもあったように、あれは間違いなく首でしょう。
真の問題は誰の首だったかというところです。
僕は、あの首は「キョウコの首」だったと考えています。
一応ミトラに魅入られたリョウが抱きしめたミカをそのまま殺害したと仮定すれば「ミカの首」と考えることもできます。
ですが、それにしてはエピローグが突拍子もないですしミトラやチサトの存在がサイケすぎます。
僕の考えというか理解ができる考察は、「今までの不可解な出来事は、全てキョウコの首を見て狂ってしまったリョウの夢だった」という説です。
「夢題」でキョウコの首を持ち帰ったリョウが、失意の中でテレビにキョウコ自信を映して狂っている。
そうは考えられないでしょうか。
そうした場合、リョウに何があったのかというと、ロストハイウェイ以降の展開はすべて夢になっていると考えられます。
そして、テレビの人物はキョウコであり、リョウの持っていた思い出を象徴するかのように映り込んでいると考えます。
矛盾点は後にして、この節を裏付けるようなシーンの話。
それは、エピローグにおけるユカリ、チサト、アリサの殺害方法です。
無残に殺されてしまう3人ですが、揃いも揃って首が落とされたような描写がされています。
これは、今まで主人公のような視点で見てきたリョウの夢の中の人物たちが、キョウコと同じ死因という最悪のパターンを踏んだということになります。
そして、真のヒーローであるリョウが登場し、ミトラを殺す…。
このヒーロー物語を作る上でのおぜん立てやミトラの純粋無垢な狂気の表れを示すかのように、彼女たちは同じ殺害方法を取られたのではないか、と僕は考えています。
そもそも、非現実感が多少漂うとはいえ、「夢題」までのストーリー構成は現実味がまだ残されています。
狂気があるとはいえスミオは「リョウに執着する」という理性を残しているので、まだ現実性があるんですよ。
これ以降が問題です。
サイケなバリアや瞬間移動、わけわからん頭カットの斬撃など、意味わからん攻撃方法が多数存在している時点で、明らかに非現実的です。
パルスとかいう意味わからんワードも、本来登場することがおかしいんです。
でも、もし夢だったら?
夢なら何でもありえる。ミトラが虐殺することもおかしくない。
こうした部分から、「夢題」以降のストーリーは、リョウがミカを抱きしめるまで全部リョウの夢だったのではないか、と僕は考えます。
もちろん、矛盾点はあります。
それは、「リョウがなぜミカ以外の生徒を知っているのか?」という点です。
特に気になるのがアリサ。
リョウは16歳で高校中退とされているので、ユカリやチサトは知っていてもおかしくはありません。
ただ、中退しているのであれば、後輩のアリサの存在は知らないはずなんです。
もし仮にリョウの夢だけの存在だとしたら違和感なく終わりますが、わざわざアリサというオリキャラを出す必要もありません。
過去のミカを重ねて、ユカリのセリフ「あんた昔のミカに似てるね」って言わせたのかもしれませんが、それでも違和感は残ります。
ただ、これらの矛盾点以上に、校長室のある丸ドーム塔が破壊した後エピローグですべて元通りになったり、バリアが出たり、耳鳴りから急に電波になったりと、明らかな非日常が出されていることの方が問題だとは思います。
だからこそ、これらはすべて夢であると解釈すれば、一定量の現実味が確保されるのではないか。
そうは思えないでしょうか。
もちろん、本作はトワイライトの系列から黒歴史として排除されたゲームなので、前作などと絡めてストーリーを語るのは無用なことなのかもしれません。
ただし、本作は明らかに意味が分からんというのが最初の印象だったので、自分なりにかみ砕くとこういうことになりました。
もしよろしければ皆さんの考察も教えていただけると幸いです。
コメントにでも書き残していってください。
7.終わりに
いかがでしたでしょうか。
最初は「なんだこのゲーム!?」という感情でしたが、改めて自分なりにかみ砕いてみたり、ストーリーを追いなおしたりして見ると、案外悪いゲームじゃなかったのかもしれません。
もちろんアドベンチャーとしてみると間違いなくクソゲーなのですが…。
また気が向いたときに触ってみたいと思います。
さて、次回ですが何をやるかしっかりは決めてません。
ただ、トワイライトの探索編を購入したので、遊んでいきたいとは思っています。
ヤバかったら別のタイトルやります。
ゆっくりやるんで次は更新遅くなるかも。
よろしくね~。
それではまた次回。
さようなら~。
※追記
前編となる「トワイライトシンドローム」の記事を執筆しました
こちらも合わせてお読みいただくと、よりこの記事と対比できるかと思います。
あわせてどうぞ。
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