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シン・鬼十則 ~カルチャーフィットもダイバシティも諦めない~

組織には国籍、性別、出身、宗教、人種等、様々な人財がいる状態、「ダイバシティ」が重要であるといいます。異論はありません。考え方も、コミュニティの中に色々な考え方の人がいた方がイノベーションも生まれやすいでしょう。

しかし、組織のカルチャーというか、構成員の目線までバラバラで統一されていない状態にあるとしたら、それは組織として集い、纏まっている意味があるのか疑問です。

面接では「頭の良さ」や「積み重ねてきた経験」は比較的よく見えるが、その会社のカルチャーに合うかどうかは見るのが難しいといい、出戻り社員に期待することは「カルチャーフィットが確認できていることに尽きる」

日本経済新聞 2021年4月13日 2:00

この記事にある通り、多くの企業が採用面接でカルチャーフィットを重要視します。同じ目線・価値観で、その時々に皆で同じ目標を見られるか。いわゆる「価値観を共有できるか否か」です。

日本政府が友好国によく「基本的な価値を共有する国」と表現しています。一緒に何かをする、何かを維持するには価値観が共有されていることがとても大切だということでしょう。

一方、多様な価値観を認め合う必要性も叫ばれています。特定のベクトルの価値観の共有と多様な価値観の包摂、このバランスはどう考えればいいのでしょうか?

私はこの答えはシンプルだと思います。国や地域社会といった生来的かつ移動困難なコミュニティは多様な価値観をコミュニティの維持に支障がない範囲でなるべく包摂すべきだと思います。
しかし企業は違います。企業は何等かの目的で人為的に創られた道具です。出入り自由です。その道具としての目的を果たす為に必要な価値観を共有しない、できない構成員は不要です。

高校の部活動で考えてみましょう。バスケットボールで全国制覇を目指す熱い部員と、青春を彩るネタとしてバスケットボールを楽しみたい部員。両者は決して相容れません。上手く棲み分けられれば良いですが、大抵はどちらかが去るか分裂することにるでしょう。そして当たり前ですがプロチームに同好会ノリの選手は一人もいません。不要だからです。

企業もそうです。企業のその時々の目標は社会情勢の機微を読んでコロコロ変わります。しかし、その目標はそれまで紡がれてきた価値観の結実です。その価値観を社内で共有できていないとすれば、もはやそれは組織としての体を成していません。。俗にいう「仏像掘って、魂入れず」の状態です。

当時、「俺、あいつとは合わないんだよなぁ。」ですとか、「あいつとは二度と仕事しない。」ですとか。社内で共演NGを公言する電通人は少なくありませんでした。
一見好き嫌いで駄々をこねてる様にも見えます。しかし私にはプロビジネスマンとして、価値観のすり合う相手とのチームワークで最大のパフォーマンスを上げたいと言っているようも聞こえました。

この価値観の合う、最大のパフォーマンスを互いに引き出し合える者同士の集団。そこには人種も年齢も性別も国籍も関係ない。それこそが令和の企業のあるべき姿なんだと思います。


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