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呪術廻戦における「正しい死」の在り方と「思い出」についての話【呪術廻戦0と本編ネタバレあり】

突然ですが皆さんは12/1よりネットフリックスで先行配信中の「ジョジョの奇妙な冒険ストーンオーシャン」を見ましたか?いえ、わかっています。あなたは次に「呪術廻戦の感想記事なのになんで開幕ジョジョの話始めてるんだコイツ?」と言う。しかしタイトルにあるように呪術廻戦における「正しい死」と、そこに「思い出」という要素がどのように関わってくるかを説明するにはストーンオーシャンの話、というよりその登場人物である「フー・ファイターズ」の話を決して避けては通れないのです。

(表紙左のキャラクターがフーファイターズ)

軽く説明するとフー・ファイターズ、通称「FF」は人間ではありません。物語の黒幕が「スタンド能力」によって生み出した知性ある「プランクトン」の集合体です。主人公である「空条徐倫」と当初は敵対しましたが、敵であり人間でさえない自分を助けた徐倫の高潔な精神に感銘を受け、以後人間の肉体に身を包んで行動を共にしました。

物語中盤、FFはたった一人、自らを作り出した黒幕の正体に初めて接触し決死の戦いに挑むことになりますが、その時彼女は人間として徐倫や仲間たちと過ごしたこれまでの期間をこう回想します。



空条徐倫と農場で出会ってからは…その後のことは何でも覚えている
刑務所の公衆電話の変な落書きだとか、ベッドの毛布やゴミのにおい、扉の開閉の音や、トイレの音……。徐倫達と世間話をし…足の指の形が変だと言って笑った事…すべて記憶している……
だが農場以前のことは… ただ命令に従い…理由も知らぬまま、ホワイトスネイクの「DISC」をひたすら守る…
それしか「記憶」にない…
あの場所で何年間も「DISC」を守り生活したはずなのに…ある記憶はただそれだけだ……
機械のような記憶——
生きるということはきっと「思い出」を作ることなのだ…
それを失うこと…ただそれだけが怖い

このFFの独白はストーンオーシャンのサブテーマである「記憶」の核心に迫るものです、そしてFFはその後、徐倫に迫ったとある危機を回避するためその命を捧げました。

魂となったFFは徐倫に対しこう告げます

あたしの一番怖いことは……友達に「さよなら」を言うことすら考えられなくなることだった
でも…最後の最後に…… それを考えることが出来た

あたしを見て徐倫 
これがあたしの「魂」……… これがあたしの「知性」………
あたしは生きていた

そして、「これでいい」と言い残しFFの魂は天へ昇っていきました。

人間でさえなかった自分が誰かのことを尊び、誰かのことを強く想い、そして誰かのために自分を犠牲にさえできる「愛」を獲得することができた。

FFはそのことに満足し、納得しながら穏やかに別れを告げました。確かにそこにあった「知性」と、「思い出」と共に。


以上がフーファイターズというキャラクターの大まかな顛末です。もしジョジョ未読の方がおられましたら是非本編を読んで頂きたい所ですがそれはそれとして、ここまでが本記事の「前置き」となります。

呪術廻戦における「正しい死」とは何か?乙骨優太や五条悟にとっての「呪い」とはなんだったのか?そのすべてがフーファイターズの言う「思い出」というキーワードに集約されるのです。

というわけでここからは本当に呪術廻戦のお話が始まります、皆様どうかお付き合い願いたい。


1.「呪術廻戦0」は何の物語だったのか?

本記事のそもそものきっかけは呪術廻戦0鑑賞直後の私のこのツイートです

(ちなみにこの時点では強引な説だと思っていますが今では確信に変わっています)

呪術廻戦0、その原作となる「東京都立呪術高等専門学校」を最初に読んだのはだいぶ昔になりますが、相当好きな作品であるもののそこに何らかのテーマ等を見出してはいませんでした(単行本あとがきでも芥見先生は「特にテーマとか決めて描き始めるタイプではない」とおっしゃっているので)。

しかし後の呪術本編で描かれた設定を踏まえた上で劇場映画となった本作を見て、改めて咀嚼しなおすと乙骨優太と五条悟のストーリーラインが「呪いとなった大切な人に別れを告げる」という点で交わっていることに気づいたのです。

そもそも彼らは着地点だけでなくスタート地点も似ています。乙骨優太は事故で絶命した里香を前にその「死」を強く拒み、それが彼女を怨霊へと変える「呪い」となりました。一方五条悟は非術師を皆殺しにするとまで宣言する呪詛師と成り果てた夏油傑に対し、その場でつけることが出来た決着を拒みました。

彼らはどちらも「愛」故に、本来そこで訪れるべきだった「別れ」を拒み、それは相手を「呪い」へと変えたのです。

そして呪術廻戦0におけるキーワードとして登場する「解呪」とは、その相手との別れをやり直し、今度こそ正しい形で決別する事でした。


ここまで考えた所で一晩寝て、起きた瞬間さらにもう一段階の気づきがありました。そしてそれこそがこの記事の本題です

そう、呪術廻戦0で描かれていたもの、おそらくそれこそが本編主人公・虎杖悠仁が求める「正しい死」の在り方だったのです。

順序的には「呪術高専」を土台に「呪術廻戦」の連載を始めるにあたって、高専で描かれた「誤った延命」に対しての「正しい離別」を、「正しい死」という概念に再構築して虎杖悠仁のテーマに据えた、という流れではないでしょうか。

つまり今になって見る呪術廻戦0は、本編に先行して「正しい死とは何か?」というテーゼに対する一つの解答を示している作品、ということになります。


2.正しい死って、何?

ここで本編において「正しい死」というものがどう捉えられているかをおさらいしてみましょう。
第一話の虎杖悠仁の祖父の死、その「死」に虎杖が一切の「恐怖」や忌避感を覚えなかったことがきっかけです。

そうだな 学校からは死の予感がする
死ぬのは怖い
爺ちゃんも死ぬのは怖かったかな
そんな感じは全然しなかったな
俺も泣いたけど怖かったからじゃない 少し寂しかったんだ
今目の前にある「死」
爺ちゃんの「死」 何が違う?
短気で頑固者
見舞いなんて俺以外来やしねえ
「俺みたいになるな」?
確かにね でもさ
爺ちゃんは正しく死ねたと思うよ

虎杖の思う「正しい死」。それは穏やかな死、納得できる死、残されたものがそれを受け入れて前に進むことのできる死です。

「正しい死」が作中でどのように描かれているかを考えた時、私は上記のように言語化しました。

生前の姿を取り戻し笑って乙骨に別れを告げる里香、五条悟の言葉で「心からの笑顔」を取り戻し逝った夏油。

そして虎杖悠仁の祖父も、顔を背けその表情は見えませんが、アニメOPの演出を見る限り、その顔はきっと笑っていたのでしょう。

スクリーンショット (187)

なぜ彼らは死の間際、悔いを残さず笑うことが出来たのでしょうか?
ここで立ち上がってくるものこそ、記事冒頭で紹介したFFの言う「思い出」です。

3.思う想いは重く、募るばかり

「思い出」というキーワード、実は「呪術高専」本編にも登場しています。

「大勢の思い出になる場所にはな、呪いが吹き溜まるんだよ」

「学校 病院 何度も思い返されその度に負の感情の受け皿となる
それが積み重なると今回みたいに呪いが発生するんだ」

つまり呪術高専において、「思い出」「呪い」を生むものだと示唆されていたわけです。ここで乙骨、五条悟がなぜ最愛の人間を呪いに変えてしまったかを思い返してみてください、なぜ彼らが「別れ」を拒絶したか、それは積み重ねた「思い出」が彼らに強くのしかかったからです。

「想い」は「重い」、大きすぎる思い出は巨大な「重力」となり人を圧し潰します。「愛=重力」でありその重力こそが彼らの心を過去へと縛り付ける「呪い」となったのです。

しかし同時に、愛による呪いを解くのもまた「思い出」だけなのです。

乙骨によって呪われ怨霊と化していた里香は、しかし乙骨を恨むことなく、どころか感謝さえしていました。

優太 ありがとう
時間もくれて ずっと側においてくれて
里香はこの六年が 生きてる時より幸せだった

そう、乙骨が里香を呪ったその六年の歳月こそが、二人を「正しい別れ」に導くための「思い出」になったのです。

五条悟と夏油傑サイドも同様であり、五条悟は「二人で最強」だった青春の輝かしい思い出が「重し」となり、夏油傑が「呪い」と化すのを見送ることしかできませんでした。
しかし別れ際、呪いになった夏油傑にまたかつてのような笑顔を取り戻させたのもまた、二人で積み重ねた「思い出」でした。

また、物語当初の乙骨も里香の呪い故に「自己否定」という呪いに囚われていましたが、呪術高専で仲間たちと積み重ねた「思い出」によってその呪いを解くことができました。

「思い出」は「呪い」を生む、しかし同時に「思い出」だけが呪いを解きほぐし、さながら反転術式のようにその性質を変え、人を「正しい死」へと導く正の力となるのです。フーファイターズがそうであったように。

4.相対して廻る環状戦

さて、ここまではわかりやすく「正しい死」と見ることが出来るケースでしたが。しかし正しい死を「笑顔で別れられる死」と定義した場合、本編で該当するキャラクターの中には悲惨な形の死を遂げた者もいます。

その代表例が、渋谷事変で散ったナナミンこと七海健人です

虎杖君 後は頼みます

漏瑚によって半身を焼かれ、真人によってその肉体を四散させられた七海は、「悔いはない」と覚悟を決めたあの時と違って呪術師に出戻ったことへの後悔と疲労感に満ちたタイミングで殺されました。第三話で夜蛾学長の言い放った「呪術師に悔いのない死など存在しない」との言葉通りに。

そんな彼の死は果たして正しい死だったのか?非常にグレーだとは思うのですが、しかし私は七海健人の死は呪術師にとっての「正しい死」の一つの形であったと解釈します。

善人が安らかに、悪人が罰を受け死ぬことが正しいとしても
世の中の多くの人は善人でも悪人でもない
死は万人の終着ですが 同じ死は存在しない
それらを全て正しく導くというのはきっと苦しい
私はおすすめしません

虎杖から「正しい死って何?」と問われた際彼が返した言葉ですが、ここで言われているのは「安らかな死」が必ずしも正しい死とは限らないという示唆でしょう。

悔いなき死など訪れない呪術師にとっての「正しい死」とはなんなのか、七海健人はなぜ死の間際笑えたのか、それはたった一つのシンプルな答え、「そこに虎杖悠仁がいたから」です。

俺達は呪術師だ
俺とオマエと!!釘崎!!Mr七海!!
あらゆる仲間俺達全員で 呪術師なんだ!!
俺達が生きている限り 
死んでいった仲間たちが真に敗北することはない!!

心の折れかけた虎杖に東堂がかけた言葉は、呪いと戦う術師一人一人が「呪術師」という大きな因果の一部であり、誰かが死んでも他の誰かが意志を継ぐ限りその因果は途切れないということです。

七海健人はそれが「呪い」になるとわかっていても後を託す言葉をかけずにはいられませんでした。それこそが当初虎杖を「呪術師と認めていない」と言った彼が、虎杖悠仁を「呪術師」として心から認め信頼した何よりの証明だったのです。

呪術高専が呪いを断ち切る物語だったとするなら、呪術廻戦は去っていく者たちの遺した「呪い」の環を止めず、廻り巡らせ戦い続ける物語であると思われます。ジョジョの奇妙な冒険第五部でジョルノ・ジョバァーナが言った、「去ってしまった者たちの残したものはさらに先に進めなければならない!」という言葉をイメージしてもらえるとわかりやすいでしょう。

そして七海健人が虎杖を信頼して「呪い」を託せたものもまた、彼と共に戦った「思い出」があるからです。

また、現在は生死不明ですが(絶対死んでないと思うけど)、虎杖の目の前で真人により瀕死の重傷を負った釘崎も、死を覚悟した時、故郷での思い出、そして自分の「人生の席」に虎杖や仲間たちが座っていることを再確認し、「悪くなかった!」と笑顔で言い残しました。

彼らが倒れていくのを見ていることしか出来なかった虎杖は己の弱さを責めましたが、しかし虎杖は彼らを「救えなかった」どころか、立派に「正しい死」へと導けていたと私は考えています。

それは虎杖悠仁が彼らとの「思い出」を積み重ね、そして「呪いを託せる相手」として彼らの目の前に立つことが出来ていたからです。

悔いなき死など望めない呪術師には、「どのように死んだか」は重要ではありません。仲間と信頼するに足るだけの「思い出」を築き、そしてその相手に呪いを託して闇を祓い続ける環状戦を廻らせることが出来たなら、きっとそれが呪術師にとっての「正しい死」なのでしょう。

5.空は機械仕掛け

もう意味も理由もいらない
この行いに意味が生まれるのは
俺が死んで何百年も経った後なのかもしれない
きっと俺は大きな……
何かの歯車の一つに過ぎないんだと思う
錆び付くまで呪いを殺し続ける
それがこの戦いの俺の役割なんだ

渋谷事変を戦い抜き呪術師の因果の環の中に身を置く覚悟を決めた虎杖は、宿儺の殺戮を許した罪悪感、去ってしまった者たちの意志を継がねばという強い責任感から自らを「歯車」「部品」といった、機械的なものの一部とみなす様になりました。しかしそれは大きな誤りであり、今の虎杖は「人を正しい死に導く」という当初の目標からはかけ離れた所にいると私は考えます。

なぜなら、命令に従って生きるだけだった頃のFFがそうだったように、機械に思い出は作れないからです。

呪術師たちを巡る因果が機械的なものだったとしても、その中に身を置く個人個人までそうなる必要はないでしょう。
死を覚悟した仲間たち、七海が虎杖を信頼して呪いを託したのも、釘崎の人生の席に座っていたのも、虎杖が呪いを祓う「部品」だったからではありません。

秤が虎杖に「熱」を感じたのも、日車がその真っすぐな瞳の眩しさに目を瞑ったのも

全ては虎杖が「機械」ではなく、血の通った、生きた人間だからです。

彼は未だ仲間たちを救えなかった己の弱さを責め、部品に徹しようとしていますが、そのことに気づいた時が、おそらく虎杖悠仁が「正しい死」の在り方を掴む瞬間になるのかもしれません。

「呪いを解く」物語から始まった「呪いを廻らせる」物語は、今死滅回遊という空を覆うほどに大きな仕掛けの渦中にあります。虎杖悠仁という存在はその計画のために黒幕である偽夏油こと「羂索」により(文字通り)産み出されたことが示唆されていますが、彼がこの回遊の果てに何かの「部品」ではない、生きた人間としての「魂」を取り戻せる時が来ることを願っています。

さしだされた手を振りほどくたびに
こころの奥でごめんねと小さくつぶやく
そんな瞬間もやがて薄れていくだろう
それを果たして強さといえるかな

——People In The Box 「空は機械仕掛け」より





というわけでnote初投稿の拙い文章にここまでお付き合いいただいた方々、感謝してもしきれない、どうもありがとうございました。

これが私の「文章」、これが私の「知性」、私は生きていた。

最後に私が皆さんに言いたいことはたった一つ、たった一つのシンプルな言葉です。






ジョジョの奇妙な冒険を読みましょう。 〈終わり〉


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