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『海獣の子供』語り得ないものを語る

 『海獣の子供』は2019年6月7日に公開された五十嵐大介の同名漫画を原作とする、渡辺歩監督によるSTUDIO4℃製作のアニメーション映画だ。

 世間では難解だとか見る人を選ぶとかで公開後あまり大きく話題になることはなかったように思う。しかし私にとってはドストライクだった。特に“prof.アングラード”が見た目・声・思想すべてにおいて性癖ど真ん中だった。びっくりした。

 映画は同じ映画でも何回も観るのが楽しい。上映さえしていれば3回は観に行っただろう。そしてその日の夜に即、原作漫画を全巻買ってしまった。原作を知らずに観たのも良かった。当然、映画では原作から削られるものがあるので、映画→原作の順だと、映画で語られなかった謎の答え合わせ的な楽しさがあり、映画よりも作品のボリュームは大きくなるし、さらに時間に縛られずに楽しむことが出来る。

 あらすじや作品の魅力は公式ホームページやほかの記事に任せるとして、ここでは感想を好きに語る。これが同じようにこの作品を好きな人やクリエイターに届いたら嬉しいけれど。

 物語のクライマックスである終盤の《命の祭り》のシーンで、現在の私が過去に連れていかれるような感覚を味わった。もっといえば、ずっと昔からの誰かの記憶を自分の記憶として覗き見ているかのような感覚だった。

 ヘリコプリオンが出て来た時には笑ってしまった。ヘリコプリオンと言うのは、下あごがギャンッ!となっている古代鮫だ。幼い頃に図鑑で出会ったヘリコプリオンにこんなところで再会するとは思っていなかったから久しぶりに友達に会ったようで嬉しかった。

 水深が深まり、温度も下がるにつれて、次第に私の輪郭が曖昧になっていった。〈今ここにいる私〉が、その私よりも大きな〈私存在〉へと、私が私になるより前の〈あらゆる私自身〉の記憶へと回帰していくようだった。

 2回目に同じシーンを見た時には、ミクロからマクロへ一瞬で行き来する感覚を味わった。そこでは、瞬間、私は砂浜の一粒の砂だったが、次の一瞬には遥か遠くの光輝く恒星だった。意識が、何万光年を一瞬で行き来した。極小から極大、極大から極小への飛躍だった。よくある言い方をすれば、私自身も宇宙の一部であり、全ては一つである。というような感じだ。

 やはり言葉にしてみると安っぽいし、半分も伝えられない気がする。だいぶん自分でもよくわからない。どうにも言語化できないので、他人の文章を見て共感してわかった気になる位で満足しようと、ツイッターで「海獣の子供 感想」で検索してみた。

 難しい、意味がわからない、というのが多い。というか感想が少ない。もっと観て熱く語ってくれ!と思った。

 こんな批判をしている人がいた。
「人間には理解できないものがあると言いながら、結局単純な銀河や受精などの人間の理解の範疇に収まる表現でしかなく、陳腐だった」

 まあ確かに言っていることはわかる気がする。どんな感想を持つのも自由だが、それで理解した気になっているのなら、もったいないなと思った。

 この物語における「人間に理解できないこと」とは、まさしく理解できないのであって、わかる人もいればわからない人もいるというものではない。そもそも理解の場に持っていくことができない、捉えることができないと言った方が近い。極端に言えば思惟形式を異にするとか物理法則を異にする宇宙とかと言っても良い。

 それでも人間の理解できないことを描こうとするなら、必然的に理解できることをのみ描くことになる。つまり、理解できないことが理解できる形で(陳腐なカタチ)しか描かれていないという批判はまったくの筋違いで、そもそも理解できないことは描けない。私達は描かれていることの向こうにある暗黒をこそ見て、雄弁に語られる意味の間の一瞬の沈黙をこそ読み取らなければならない。

 「意味がわからない」がそのまま「つまらない」になってしまう人たちにも言いたい。実際に『海獣の子供』の作品世界は難解だが、わからないことは「ない」ことと同義ではない。見えないし、聞こえもしないけれど、それは確かに「ある」のだ。理解できるのは理解できることのみだ。そう言い切ってしまうのは、ある種のエポケーにも通じるかもしれない。しかし安易な意味決定をしないことのみが無限の意味生成をなしうる。言ってしまえばそれが理解できないことを理解することである。哲学者のウィトゲンシュタインが似たようなことを言っていた気がする。「語りえないことについては人は沈黙せねばならない」。私は原作漫画を購入するのに合わせてウィトゲンシュタインの著作も購入することになってしまった。金欠である。

 この映画は、わかりやすいほどのわかりにくさのなかで、意味の奔流に呑み込まれそうになる。わからないというのは、それはそれで楽しいものなのだ。

 一方、情報に飲まれていく現代社会の中で、自分がわからないことを「ない」ことにしている人が多くいる。そうではなくて、この映画はわからないから面白い。各地で早々に上映が終了してしまったことがとても残念だ。

 そして語り得ないことを語ることのできない私が、これだけは、という気持ちで最後に言いたいのは、

「円盤を出してくれたら買うので出してください。」

である。関係者の方おられましたら宜しくお願い致します。

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