実に興味深いベトナム軍の秘密主義

画像1 「仮称2018年型」のプロトタイプらしきモデルがまた一つ、みつかった。この写真は2015年5月7日のVietnam語ウェブニースに掲載されていた、第4軍区 第968師団 第19連隊の兵站小隊の訓練模様。ところが、画像検索にはひっかかるのに、その記事に飛ぶと、写真はもう無い。部内の誰かが、画像を公示するなと命じたことを示唆するだろう。前方T字支柱が異様に高い。前後輪ともに「つっぱり輻」が入っている。
画像2 ベトナムの博物館収蔵の、かつての改造プッシュバイク。向かって右側の自転車には左右の「荷棚」がなく、「振り分け荷物」式に大袋を吊るすしかなかった。向かって左側の自転車は、荷棚をとりつけたことで、弾薬箱の運搬が至便化した。足漕ぎができなくなってもいいのだと割り切るまでに、時間がかかったと思う。
画像3 ベトナムの各地で、戦争中の輸送用改造自転車が保存され、国民を教育する展示物になっている。金属製のスタンドなど無くとも、棒切れで代用できるのだということもわかる。かつて永田鉄山は、馬の動員限界が歩兵の動員限界となってしまうことを嘆いたが、鉄が足りなくてもプッシュバイクは大量生産でき、それが馬の面倒も無くすことには、遂に気付けなかった。才子の統制官僚たちは、誰も救えなかったのである。
画像4 これは1954年のディエンビエンフー攻囲戦のとき、自転車とは別に動員された、農村の手押し式の1輪車(全木製)。この写真では基本構造がよくわからないだろうと思うので、中国の博物館にある類似品を別な写真で紹介しよう。肝は、ゴムや空気入りタイヤが無かった大昔、不整地を推して進むには大車輪でなくてはいけなかったが、その上半円弧が、A形梁の上に飛び出すことは甘受する。それで軸受け部の結構がシンプル化されて、壊れ難くなった。
画像5 大車輪の自転車に子どもを乗せた場合、「横倒し」リスクが心配になってしまうが、パニヤ代わりの両サイドの大荷物が車輪の中心軸よりも低いところまで出張っているなら、危険も軽減されるのか。
画像6 見てのとおり、1輪の上半円弧がA形梁の上に飛び出しているから、そこに積荷が接触しないように、ガード柵で囲う必要がある。荷物は大袋に入れて、振り分け式に「柵」にひっかければいい。こういう運搬手段が大昔からあったので、プッシュバイクで大袋を運ぼうという発想も、しぜんに考えられたんだと私は想像する。低い重心と、大きな車輪径が、これで両立する。
画像7 車輪にゴムタイヤと金属スポークが使えるようになった後も、僻村には1輪車が生き残った。A形梁の尾端に「肩紐」を結んで、首の後ろで重量を支える。できるだけ車輪に重量を預けるべく、台は前傾させるが、それで積荷がずり落ちてはいけないので、前方に防止柵が立ててある。

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