インターネットがなければ、死ぬまで知らずにいたであろう事ども。(画像はすべてベトナム語のオープンソースから。)

画像1 ヘッドセットの頂部を操向軸に固定するボルトナットで、1枚の短冊状鋼鈑を咥えさせ、その短冊の左右に開けた小孔に、「フォーク補強用増設ロッド」の上端をわずかに突き出してナット締めしているのが分かる。前駕籠の中には円柱缶状の飯盒。焦げ痕がついていないということは、これを直火で再加熱することはしなかったのだ。
画像2 ベトナム北部の某博物館に保存展示されている輜重用自転車。タイヤのゴムが赤いのは、1950年代からの遺存品か。スチール材がないときに、竹だけで「スタンド」を製作した方法が、この写真で知られる。ゆえに貴重。
画像3 これまで写真を検索しまくって認識を新たにできた。ベトナムでは小中学校から「軍用プッシュバイク」の使い方を徹底的に教え、成人にもその身体感覚を忘れさせぬようイベント毎に使わせている。こんなスパルタンな「資本主義経済」体制が、あり得たのだ。近未来の軍事同盟者として、ベトナムは頼み甲斐がある。
画像4 Tバー型のストレートなハンドルは、プッシュバイク用途には好適とはいえない。その場合、方便としてこのような延長ハンドルの取り付け方もするらしい。
画像5 円柱鑵状の「飯櫃」の上面がこの写真でわかる。上蓋は、コッヘルを兼ねるのだろうか? 左下端の容器は、手榴弾形の調味料入れ? ……まさかね。
画像6 治に居て乱を忘れず。少年少女向けの教育の中には、100~122㎜級の牽引野砲(の模型)をロープで人力輓曳するメニューまである。いつ中共軍のために燃料輸入を遮断されるかわからないという、国家が直面する脅威が、社会全体で自覚されているのだ。
画像7 第二次大戦後~1950年代の報道写真らしい。奥に写っているのは、人力車を後方から自転車で押す構造の、3輪タクシー。
画像8 ベトナム戦争より前の報道写真らしい。手前の3輪自転車は、客が2人、サイドバイサイドに座れるようにできているが、右側席には何か商材を山積みしている。過積載なので、歩いて押すしかないのか。
画像9 グーグル翻訳、ぱねぇ! ベトナム戦争に勝利したはいいが、石油を買う外貨など無く、そのため逆に1975年からしばらくは、トラックやオートバイが大都市から姿を消した。使える自転車も少なく、大の男が2人乗りしなくてはならないわけ。
画像10 これらの古い写真は「chuyenxua.net」というベトナム語のウェブサイトに載っている。「補助金期間」と訳されているのは、ベトナム戦争後の一時期、自転車が「配給品」になっていた時期を指すようだ。戦争中のハノイの国産自転車工場等についても、このウェブサイトの自動翻訳であらまし承知ができる。

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