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秋に行きたい美術展2つ 東京篇

 芸術の秋を先取りして、美術館の特別展を2つ鑑賞しました。

 1つ目は、新宿にある中村屋サロン美術館で開催中の『中村屋の中村彝』です。
 中村彝(1887〜1924)は大正期に活躍した夭折の洋画家です。
 彝の代表作は、国立近代美術館所蔵の重要文化財『エロシェンコ像』(今回の特別展では展示なし)です。モデルであるエロシェンコは盲目の詩人で、作家・魯迅の作品にも登場します。魯迅が好きな私にとっては馴染みのある人なので、彼の肖像画を描いた画家として、中村彝に興味を持ちました。

エロシェンコ像 重要文化財

 また、去年から夫が茨城県に単身赴任しているのですが、水戸が彝の生まれ故郷ということもあり、茨城県立近代美術館が彝の絵を多数所蔵しています。そのため、季節ごとに展示替えされる彝の絵に親しむことになりました。

 今回の特別展では、茨城県立近代美術館が所蔵する彝の絵も何作か展示されています。東京近郊にお住まいで、彝の絵に興味はあるけど、水戸には行けないという方は、今回の特別展に足を運んでみて下さい(中村屋サロン美術館は撮影禁止。以下の絵は近美で撮影しました)。

目白の冬
静物
裸体
カルピスの包み紙のある静物 晩年の代表作です

 ところで、この美術館のある中村屋は、カレーや肉まん、月餅などで有名なあの中村屋です。創業者である相馬愛蔵・黒光夫妻が芸術、特に絵画や彫刻に造詣が深かったので、中村屋には多くの芸術家が集まり、サロンのようになったんですね。
 最も有名なのは、女主人、相馬黒光への叶わぬ恋でも知られる彫刻家の荻原碌山でしょうか。

荻原碌山『女』 石膏原型が重文。モデルは黒光

 若くして亡くなった碌山と入れ替わるように、サロンの中心となったのが、中村彝だったのです。
 彝は、相馬家の人々や中村屋に出入りする人たちをモデルにした絵を多く残しています(この時期の絵は、中村屋サロン美術館が主に所蔵しているようです)。特に、相馬夫妻の長女である俊子とは恋愛関係にあったので、彼女をモデルにした絵は、とても魅力的だと思います。

『少女』 相馬俊子がモデル。絵葉書
麦藁帽子の自画像

 ただ、俊子をモデルにした絵には、ヌード像もあったので、俊子が女学校を追われるなど、スキャンダルになってしまいました。それが原因で、二人は引き離され、彝は中村屋のサロンから去ることになります。
 もっとも、晩年には、相馬夫妻との関係も修復されたようで、死の前年の作品である『カルピスの包み紙のある静物』で描かれるカルピスも、もとは相馬愛蔵からの差し入れだったとか。

水戸市にある彝のお墓にも、カルピスウォーターが供えられていました

 中村屋サロン美術館は、新宿駅東口からすぐ。紀伊國屋書店や伊勢丹とは反対側の新宿通り沿い、中村屋ビルの3階にあります。中村彝の特別展は11月4日までの開催。火曜と一部の月曜が休館日です。入場料は500円ですが、中村屋のレストランで2500円以上食事をするとチケットをもらえたり、逆に、美術館に入ると中村屋の割引券がもらえたりします。

 今年は彝にとって、没後100年の区切りの年ということで、11月には茨城県立近代美術館でも彝の特別展が開催されます。こちらの展覧会も、後日、感想を書く予定です。

    *

 出光美術館で開催中の『物、ものを呼ぶーー伴大納言絵巻から若冲へ』にも行きました。この美術館は、帝国劇場と同じビルにあるのですが、建替えのため、しばらく休館します。ということで、今年は主要な所蔵品を総浚いするような特別展が続きます。今は第四期で、日本中世〜近世の絵画や書跡が展示されています。特に印象に残った展示を挙げてみます。

仙厓『双鶴絵賛』 絵葉書

 仙厓は、江戸時代の禅僧・画家です。出光の創業者、出光佐三のコレクションは、仙厓の絵から始まるそうです。売り立て会場で見た仙厓の絵に一目惚れしたのだとか。出光美術館には、彼の絵が約千点あるのですが、この絵は佐三が最後に購入した仙厓作品だそうです。絵葉書では、あまり良さがわからないのですが(私の撮り方が悪いのか?)、実物は何とも言えない味があり、佐三が仙厓の絵に一目惚れした理由がよくわかりました。


伊藤若冲『鳥獣花木図屏風』(右側)

 日本画はあまり人気のないジャンルだと思いますが、伊藤若冲だけは別。今回もそうですが、若冲の絵がある展覧会はどれも混み合います。これは、最近出光がまとめて購入した若冲の絵の一つです。普段、若冲の絵にはそんなに惹かれないのですが、これは気に入って、絵葉書も購入しました。…が、帰宅後ネットで調べたところ、贋作説もあるようです。贋作or若冲工房の絵?(贋作といっても、若冲は最近までは人気がなかったので、最初から贋作を作ろうとしたわけではなく、作者不明の絵が、誤って若冲のものだと伝わっただけだと思いますが)。作者が誰だろうと、升目描きの技法で描かれたこの絵には、ちょっと時代を先取りした雰囲気がある気がします。

酒井抱一『風神雷神図屏風』 Wikipediaより
酒井抱一『十二か月花鳥図』より五月と九月 絵葉書

 これまでにも何度も取り上げた酒井抱一の絵もありました。姫路藩酒井家出身の画家です。江戸時代初期の芸術家尾形光琳に憧れて、彼の図録を作ったり、百回忌を取り行ったり。また、吉原の遊女を妻にして、彼女と絵の合作を行ったりもした彼の生き方に惹かれます。
 晩年の抱一は、『十二か月花鳥図』という連作を何度か描いています。東京では、宮内庁や畠山美術館なども所蔵していますが、出光は、従来所蔵していたもの以外に、もう一種類購入したということで、二種類の『十二か月花鳥図』を鑑賞することができました。

 それから、写真はないのですが、面白いなと思ったのが、佐竹本三十六歌仙絵のうちの「柿本人麻呂」と「僧正遍照」です。「佐竹本三十六歌仙絵」は鎌倉時代に描かれた絵巻なんですね。三十六歌仙を描いた絵巻の中でも初期の作品と考えられています。
 この絵巻は、久保田藩(秋田藩)の藩主である佐竹氏が所有していました。ところが、佐竹氏は明治大正期に没落してしまい、絵巻を競売にかけることになります(今の秋田県知事は佐竹家出身なので、そこまでひどい没落ではなかったと思いますが)。最初は、船成金の山本唯三郎が購入しましたが、すぐに財産を失い、絵巻を手放すことになりました。が、今回は、絵巻を一人で買えるほどのお金持ちがいない。
 そこで、三井財閥の中心人物だった増田孝が主導して、絵巻は三十六分割され、くじ引きで三十六人の実業家が買い取ることになりました。
 鎌倉時代から伝わる絵巻を切ってしまうなんて、蛮行ですが、それまでにもそういう事例があるので、やましい気持ちはなかったのかもしれません。
 いくら大豪邸でも絵巻はなかなか飾れませんが、三十六分割すれば、床間の掛け軸にできますし。
 ということで、「佐竹本三十六歌仙絵」は日本全国に散らばっています。トーハクにある分は見たことがありますが、出光にも、二つもあるんですね。出光佐三が三十六人の中にいたわけではなく、後で誰かから買ったようです。
 分割されても、それぞれの絵は重要文化財になっています。幸い、戦災等では失われず、三十六枚現存します。

『伴大納言絵詞』 Wikipediaより


 国宝の『伴大納言絵詞』も出展されていました。『鳥獣戯画』などと並んで、四大絵巻の一つです。東京にある四大絵巻はこれだけなので、この絵巻を見るだけでも、今回の特別展に行く価値はあると思います。追手門の変という政治事件を描きながらも、大事件に右往左往する公家たちと、呑気な日常を送る庶民の対比が楽しい絵巻です。

 出光美術館の特別展『物、ものを呼ぶーー伴大納言絵巻から若冲へ』は10月20日までです。月曜休館、有楽町駅や日比谷駅からすぐです。



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