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アカデミー賞候補作『ベルファスト』を鑑賞する前に

 最近映画館に行っていない身で言うのも憚られるのですが、今年のアカデミー賞、作品賞は『ベルファスト』かなと予想しています。

 『ベルファスト』は、監督&脚本家として賞にノミネートされているケネス・ブラナーの自伝的な映画だそうです。作品の舞台は1969年ーーそのことと『ベルファスト』という題名だけで、北アイルランド問題が少年の生活に影を落とす話だと想像できます。同じ場所に住む人達が、共和派(≒カトリック教徒)と王党派(≒プロテスタント)に分かれて争った時代。過去形にしてはいけないですね。今年に入ってからも、日経新聞で「英国のEU離脱をきっかけに、北アイルランドでは住民の亀裂が再び深まっている」という記事を読みました。
 でも、私も含めて、北アイルランド問題がよくわからないという日本人は多いのではないでしょうか。そこで、『ベルファスト』を観る前の予習になりそうな作品を四つ紹介したいと思います。

〈ブラディ・サンデー〉 アルバム《WAR》収録
 U2の代表曲である〈ブラディ・サンデー〉は、1972年に北アイルランドのロンドンデリーで起きた血の日曜日事件を歌った曲です。デモ中だった市民十四人が軍に殺された事件‥‥先ほどの日経の記事も、この事件から五十年の節目の日に書かれたものでした。ややこしいのは、U2のボノやエッジにとって、この事件は隣の国で起きた事件だということ。二人は、ダブリン生まれのアイルランド人なので。ダブリンもロンドンデリーもアイルランド島にありますが、ロンドンデリーを含む北アイルランドは英国の領土です。事件直後に〈アイルランドに平和を〉という曲を作ったポール・マッカートニーにとっては、自分と同じアイルランド系英国人の身に起きた事件ということになります。

『Hunger』
 2008年に公開されたスティーヴ・マックイーン監督、マイケル・ファスベンダー主演の映画です。作品の舞台は1981年。当時、共和派の囚人は政治犯として処遇されていたのですが、政府の方針の転換により、一般の囚人と同じ扱いを受けることになりました。その扱いに対する囚人達の抵抗を描いた作品です。ブルース・リーが言った「考えるな、感じろ」という言葉がふさわしい映画だったので、鑑賞しても、北アイルランド問題についての知識が増えたとは言えません。でも、北アイルランドの人達が抱える悲しみや怒りが圧倒的な迫力で胸に迫ってきました。

「コールド・コールド・グラウンド」 エイドリアン・マッキンティ著
 
現在、ハヤカワ・ミステリ文庫で六作目まで翻訳されているシリーズの第一作で、《Hunger》と同時期の北アイルランドが舞台です。主人公のショーン・ダッフィ刑事は、カトリック教徒でありながら警察に入ったために裏切り者と見なされて、共和派から死刑宣告を受けています。毎朝仕事に行く前に爆弾が仕掛けられていないか車の下をチェックしなければならないといった、想像を絶するエピソードが描かれています。巻を追うごとに面白くなっていくシリーズなので、一作目をおすすめするのがためらわれるのですが、この小説のおかげで、80年代の北アイルランドを取り巻く状況が少し理解できた気がします。

『麦の穂をゆらす風』
 2006年公開、ケン・ローチ監督、キリアン・マーフィー主演の映画で、カンヌのパルムドールを獲得しています。
 映画の舞台は1920年代のアイルランド。独立運動に身を投じた兄弟の姿が描かれます。キリアン・マーフィーが見たくて映画を鑑賞した私は、救いのないストーリーにショックを受けて、「こんな憂鬱な映画を撮る必要があるのだろうか?」と思ったものです。昔の話を蒸し返すことに意味があるのだろうかと思ってしまったのです。今となっては、己の不明を恥じるしかないのですが。何故なら、この映画が描いているのは昔の話ではなく、今に通じる、今も世界で起きていることだからです。
 独立戦争といっても、戦いはアイルランドの住民と英国軍の間だけで起きたわけではありません。同じアイルランド人が独立運動に参加した人と英国のシンパに分かれて殺し合う。独立後は、一緒に戦ってきた人達が考え方の違いで分裂してまた殺し合う。幼なじみや親戚同士が殺し合う戦争なのです。そして、この争いが『ベルファスト』や先に紹介した作品で描かれる北アイルランド問題につながっていくわけです。その意味でも、この映画は今に通じる話なのですが、「身近な人達、近くに住む人達、似た文化や言語を持つ人達同士の争い」という意味では、北アイルランドにとどまらず、今も世界のあちこちで起きている話だと思います。
 今、この時にも。もちろん、異質な者、わかり合えない者同士が殺し合う戦争も悲惨ですが、近しい者や似た背景を持つ者同士の争いは、救いがなく、終わりもないものだという気がします。

 以上、『ベルファスト』の背景を理解するのに役立ちそうな四つの作品を紹介してみました。北アイルランド問題を理解することは、今この世界で起きていることを理解することにつながると思います。だからこそ、『ベルファスト』がアカデミー作品賞を獲って欲しいと願っています。

追記 〈ベルファスト〉脚本賞での受賞でしたね。「自分が好きな作品は、作品賞を獲れず、脚本or脚色賞を受賞する」というジンクスがまた発揮されてしまった…。とはいえ、ケネス・ブラナーにとって初めてのオスカー、おめでとうございます。


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