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【雑談エッセイ】ベーと呼ばれた娘 または皆様へのお願い

 美奈子はファッションセンスがない。ファッションに興味もなかった。若い頃は常にアニエスベーで身を固めていたので、ベーと呼ばれた。確かに当時アニエスベーの人気は高かったが、そればかり着るのも何だかね。しかも、美奈子はAパターンのコーディネートとBパターンのコーディネートを交互に着る。季節によってはCパターンまであったが、それ以上はなかったし、AシャツとBスカートを組み合わせたりもしない。AシャツにはAスカートと頑なに決めていた。興味のないことに使う時間は最小限にとどめたかったのだろう。自分軸があって、そこから外れるものは切り捨てる。私にもそういうところがあるので、よくわかる。
 私にとっても、ファッションは極力時間をかけたくないものの一つだ。

 私と美奈子はデパートのパート仲間だった。「ファッションに興味のない人にデパートの仕事がつとまるのだろうか?」と思われるかもしれないが、私も美奈子も食器や寝具を売っていたので、特に問題はなかった。制服もあるし。制服があるので、美奈子はアニエスベーさえやめてしまい、ユニクロを愛用するようになった。私もよくユニクロを着ていたので、「あら、今日お揃いだね」ということがしばしばあった。だからといって、「今季のユニクロ、三十代におすすめなのは?」などと語り合ったりはしない。ファッションに興味がないのでとりあえずユニクロを着ているだけだ。思い入れや主張があるわけではないので、話題にもならなかった。

 二人ともパートのくせに仕事熱心だったので、ウェッジウッドや西川寝具の話題はよく出たが。社員だけでなく、メーカーや問屋の人たちにまで教えを乞い、エスカ横に貼ってある専門販売員のリストに名を連ねるほどだった。その熱量の十分の一でもファッションに割けばいいのにと思わないでもないが、「海人さんにぴったりのスーツが入ったのよ。後で見に来ない?」などと販売攻勢をかけてくるマヌカンたちに恐れをなし、デパートで働きながら、婦人服売場には一度も行かずじまいだった。

 さて、私がデパートのパートを辞める時、次の仕事まで間があったので、催事の仕事を手伝ってと頼まれて、二ヶ月ほどおせち料理を売った。おせち担当はパート二人と若い社員二人、たまに売場を見に来る私と同世代の上司Mという陣容だった。
 Mはファッションセンスがないと見なされて、食品の担当になったのだとか。デパートで食品なんて終わりだと思っていたら、二、三年で風向きが変わり、デパ地下こそデパートの要と言われるようになり、まあ、良かったという話だった。
「ご自分では、洋服がお好きなのですか?」
 そう訊ねてみた。好きなのに、センスがないと判定されてしまったと思ったのだ。
「いや、全然」
 パートならともかく、ファッションに興味がないのにデパートに就職するだろうか。Mは私と同じ大学の経済学科出身だった。私の印象では、経済学科の学生は氷河期でも高望みをしない限り希望業種に就職できた。少なくとも、感じが良くて頭も良さそうな男性なら。Mはどの条件もクリアしている。
「洋服に興味がないのに、どうしてデパートに就職したんですか」
 子どもの頃は、赤の他人と気安く話をする母が恥ずかしかった。ああはなるまいと思ってもいた。しかし、三十を過ぎた頃には、母に似たお節介なおばさんになりつつあった。母の場合は大阪のおばちゃんなので相手も覚悟の上だろうが、私は標準語のおばさんなのでタチが悪い。
「ゼミがマル経なんだよね」
 Mは私の詮索を嫌がりもせずに教えてくれた。
「そうなんですか」
「マル経に興味があって……数学苦手だから、近経でいけるか不安もあったし。よく考えずにゼミ選んだせいで、就職が大変だった」
「まあ、会社側も活動家は雇いたくないですよね」
「僕は活動家じゃないよ。経済理論として興味があるだけ」

 Mとの会話について話すと、美奈子はうつろな表情になった。お嬢様育ちの美奈子には、マル経(マルクス主義経済学)も近経(近代経済学)も縁遠い言葉だった。しかし、そのせいで就職先が限られてしまい、ファッションに興味がないのにデパートに就職することになったという、Mの経歴は理解した。

 美奈子は人見知りが激しく、特に男性には壁を作るタチだったが、自分同様ファッションに興味がないMには親近感を持ったようだ。シャーデーやコールドプレイが好きという共通点もあり、三人で何度かカラオケに行った。ユニクロを着た女二人と、社販で買った五大陸のスーツをうまく着こなせない男が『スムース・オペレーター』を熱唱する図は、今思い出してもちょっと笑える。

    *

 私がデパートを辞めた後も、美奈子とMの付き合いは続き、数ヶ月後には結婚に至った。その後は、もう一人のファッションに興味がない男(うちの夫)も加えて、カラオケや食事をする間柄になった。私もそうだが、結婚したからといってファッションに興味が芽生えることもなく、美奈子は今も本質的にはベーと呼ばれた頃のままだ。

 ところで。この話を書いたのは、一義的にはある企画?に参加するためなのだが、もう一つ切実な理由がある。

 Mは順調に出世して、数年後には食品部を離れてデパート全体を統括する地位に就いた。その時期に「誰が持っても様になるブランドだから」という説明で、M夫妻だけでなく、私や夫までL**のバッグや財布を持つようになった。ユニクロとあわせても大丈夫なブランド。使い勝手も良いし、耐久性もある云々。Mはプライベートに仕事を持ち込むのを厭うタイプなので、稀に勧められると、買わなければと思ってしまう。といっても、倹約癖がある私は、そんな高価なものを買う気にはなれなかったのだが、少し前に安価なバッグの紐が切れて重い荷物を両手で抱えながら歩くという経験をした夫が、耐久性という言葉に引きつけられたのだ。
 使い始めると、確かに使い勝手が良い。L**の方ではユニクロとコーディネートして欲しいとは思っていないだろうが、私と美奈子は気にせず使い回すことになった。 

 ところが。先日会った時、美奈子が言うのだ。夫がL**のバッグと財布を大黒屋に売ってしまったと。仕事を家に持ち込むのが嫌いな男なので、美奈子にも詳しいことは語らなかったのだが、L**社の上層部と何やらあったらしい。
「ということで、私も売るつもりだけど、代わりに何を買えばいいかわからないんだよね。年も年だから、若い人向けのは駄目だし、おしゃれすぎてユニクロと合わないのも……」
 年も年だから、ユニクロをやめれば? とは言えない。ユニクロは今では私たちの一部になっている。

 その話を夫にすると、それじゃ僕らもL**をやめなければと言い出した。あの温厚なM君がそこまで思い切ったことをするのだから、よほど辛いことがあったのだろう。そんなブランドは、こっちから願い下げだ、と言うのだ。
 なんのはなしですか? と言いたかった。上層部は嫌な奴かもしれないけど、バッグに罪はない。

 しかし、夫は数日後にエンポーリオ・アルマーニの財布を購入した。「今はどんな鞄がはやりかな?」と息子に尋ねたりもしている。これほどの友情の発露を目の当たりにすると、物に罪はないという言葉でスルーするのも憚られる。

 とりあえずバッグは買い換えようと決めた(最近はスマホ決済が多いので、財布は買わなくてもいいかも、と倹約癖のある私は考えている)。だが、どんなバッグにする?
 前職場で仲良くしていた若い社員に助言を求めると、ジル・スチュアートとヴィヴィアン・ウエストウッドをすすめられた。ファッションに興味はなくても、この二ブランドは知っている。可愛すぎるし、持つ人を選ぶ。「もう少し落ち着いたのがいいかな」と言うと、今度はエルメスを。

 なんのはなしですか。

 大学生でも買えるバッグから、私の年収を超えるバッグへの飛躍。駅で大谷の広告を指し、「この人、ジャイアンツの選手ですか?」と訊く子に物を尋ねた私が悪かった(大谷を知らないことより、エンゼルスの赤いユニフォームを巨人ユニと思えることに驚愕した)。

 興味のないことや趣味の合わない人を切り捨ててきたせいで、今の私には、どのブランドのバッグを買えばいいか相談する相手がいない。そう嘆くと、「私も同じだよ」と美奈子が返してきた。その間に子どもの卒業式があったので、バッグを持たずに参加したそうだ。

 というわけで、ファッションに興味のある方、お願いします、L**(LVのロゴで知られるあのブランドです)の代わりになるバッグを教えて下さい。若者向きではなく、エルメスほど高くないもの。ダサいおばさんが持ってもあまり違和感がないもの。トートバックを買う予定です。

美奈子とMを結びつけた曲

#なんのはなしですか

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