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【雑談】作品と作者、切り離しますか?

 作品と作者は切り離すべきなのか? ということを、最近改めて考えています。極端な例だと、犯罪者の書いた小説を、自分は楽しめるのか? ということになりそうです。

 去年私がnoteに書いた小説の中で、ある登場人物が「絶対許せない犯罪は、レイプ、殺人、弱者をねらう詐欺ぐらいだと思う」と語っています。作者には似ていない人物ですが、絶対に許せない犯罪についての意見はほぼ同じです。他人の過ちを許せる人間でありたいし、人はやり直せるとも信じています。ただし、レイプと殺人、弱者狙いの詐欺だけは、許しや贖罪の域を超えているのではないかと思ってしまいます。

 中でも殺人は、想像を絶する犯罪ですよね。でも、世の中には、殺人犯が書いた小説もあります。日本では、永山則夫の小説が一番有名だと思います。確認したところ、彼が刑死して二十年以上経った今も、彼の小説を売っているようです。電子版もありました。
 彼が殺人を犯したのは私が生まれる前ですが、死刑になったのは1997年なので、当然覚えている筈なのに、全く記憶にありません。彼の小説は未読。読んでみたいと思ったこともありません。

 プロの作家ではありませんが、あさま山荘事件で死刑判決を受けた坂口弘の短歌は、朝日新聞をとっていた時期に短歌コーナーに掲載されていたものを読みました。確か、頻繁に掲載されていました。自分の過去を悔やむ歌ばかりでした。現代史に疎い私は彼の名前を知らず、歌に表れる深い後悔の気持ちを感じて、「この人は、どんな経歴の人なのだろう」と不思議に思い、誰かに事件の説明をしてもらったのだと思います(どれも非常に優れた短歌だったので、作者の名前を覚えていたのです)。殺人という罪が悔い改めただけで許されるとは思えませんが、こうして彼の歌を読んでしまうと、彼が処刑される時、平常心ではいられないなと思ったものです。
 
 海外には、アン・ペリーという殺人の前歴がある作家がいました。ブラック企業で働いていた時期に海外ミステリーを乱読しましたが、その時期に彼女の作品に出会ったんですね。本屋でミステリーの棚を見て、ヴィクトリア朝時代の英国を舞台にした歴史ミステリーがあったので、即購入しました。作者の前歴を知ったのは、その本のあとがきを読んだ時だったか、または何作か読んだ後だったかもしれません。

 映画『ロード・オブ・ザ・リングス』のピーター・ジャクソン監督が有名になったのは、ヴェネツィア国際映画祭で銀獅子賞を撮った『乙女の祈り』という映画なのですが、この映画は、アン・ペリーが十代の頃に犯した殺人に基づいているそうです(ケイト・ウィンスレットがペリーの役)。

 ウィキによると、二人の少女が独自の世界にはまり込むあまり、一方の少女の母親を殺してしまう、という内容なのだとか(殺されたのは、ペリーではなく友だちの母親)。

 殺人を犯した人が、殺人事件をテーマにしたミステリー小説を書く…。今思えば、強烈な話ですが、当時は、ブラック企業に苛まれて思考力も落ちていたせいか、特に何とも思わず、後に訳された作品も読みました。

 永山則夫のように、殺人犯と知っている人の小説をわざわざ読みたいとは思わないけど、知らずに読んで、気に入った作品なら、作者の前歴を知っても読むのをやめはしない、という感じだったようです。

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 今回、こんなことを考えたのは、今月新刊を購入する予定だったアリス・モンローのスキャンダルを知ったためです。

 アリス・マンローは、カナダ人の作家です。短編の名手として知られ、2013年にノーベル文学賞を獲っています。今年の5月に92歳でご逝去されています。
 以前ノーベル賞作家の作品をよく読んでいた頃には、マンローの作品は絶版か高額な本しかなかったのですが、今回、東京創元社から短編集が発売になり、電子版も出ると知ったので、購入する予定でした。
 ところが、先日、Xのポストだったと思いますが、「マンローの娘が義理の父親(マンローの再婚相手)にレイプされた、それを母親に訴えたのに、取り合ってもらえなかったと告白した」という記事を読んだのです。今調べたところ、カナダの新聞に掲載されたようで、日本語の記事にはなっていません。ただ、関係者も含めて、複数の海外文学の関係者が言及しているので、記事が出たことは間違いないようです。
 先ほど、許せない犯罪としてレイプを挙げましたが、中でも児童への性的虐待は特に許されざる犯罪だと思いますし、更に、保護者が自分の子どもをレイプするとは…。

 一方の親が、子どもへの性的虐待を見て見ぬふりをするというのも、よく聞く話です。
 犯罪の中には、「少し何かが違っていたら、自分もこの犯罪に手を染めていたかもしれない」と感じるものもあります。ですが、配偶者や恋人に依存したり、意見を言えないほど恐れたりしたことはないので、虐待(性的なものであれ、他の虐待であれ)を受けている子どもを見捨てる親の気持ちが理解できません。知っている人がそうだと知ったら、付き合いを断つし、軽蔑するとも思います。
 アリス・マンローも…。これまで作品を読んだことがなく、どんな方かも知らないので、軽蔑の念などは起きませんが、彼女の小説を買うかと問われると…。母親が亡くなるまで声をあげられなかった娘さんの気持ちを思うと、言葉が見つかりません(一方で、自業自得とはいえ、贖罪のチャンスをもらえなかったマンローにも同情してしまいますが)。

 マンローの本を買うのをやめようかと思うものの、先日亡くなったポール・オースターを思うと。オースターは、村上春樹さんなどにも影響を与えた作家ですが、彼を偲んで再読する人やそれを見て初めて読む人が多く、この何ヶ月か、Xの読書垢では、オースターの本を非常によく見かけます。
 ただ、以前書いたように、オースターの息子は、父や、父の再婚相手の小説のモデルになるのが苦痛で、薬物中毒になったのです。最期までそれを克服できないどころか、幼い娘(オースターの孫)が父親の薬を誤って呑んでしまい、死亡します。オースターの息子は殺人罪などで捜査されていましたが、事故または自殺で亡くなりました。
 オースターが直接虐待したわけではないにしても、彼の小説が息子さんを不幸にしたわけですよね…。
 それでも、オースターの本を読むのをやめようなどという話は聞いたことがありません。息子さんや孫娘の悲劇は忘れられ、小説が残ることになるのでしょうか。

 色々考えて結論は出ませんが、そんな風に考えているうちは、マンローの小説を読まない方がいいかなという気がしてきました。落ち着いたら、読んでみたいです。偽善かもしれませんが、娘さんにも思いを馳せつつ。

 暗い話になってしまって、ごめんなさい。現代の小説を読むって、なかなか大変ですね。

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