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ショーン君が愛おしい―ライフイズストレンジ2―

※ネタバレを存分に含んでいます。
 閲覧の際は、ネタバレがあることを承知の上でお願い致します。
 また、思いの丈をほぼそのまま吐き出す内容の為、推敲の無い乱文となります。

私はこのゲームをクリアした。

いや、この表現は、きっと何一つとして、的確に表現出来ていない。

適切に言い換えるなら、こうだろう。

「私は、ゲームシステムを用いたこの映像作品で、兄弟の数ある運命の内の一つを見届けた」

それが、ライフイズストレンジ2という、作品だった。


これは、ゲームじゃない。

これは、ゲームじゃない。

クリア(分かりやすく、この表現を用いる事とする)して改めて思った、プレイ中もずっと抱いていた感情。

私はゲーマー程ではないが、ゲームが好き。主にRPGが好きだ。
二次元世界のキャラクターの生き様と、それを取り巻く世界をじっくり、自分の手と目で感じ、見つめる事が出来るから。
私は、二次元世界の人々がじっくり見つめられる事に、ゲームとしての魅力を一番に感じている。

だからこそ、ライフイズストレンジ2を目にしたとき、「これは自分でやりたい」と思った。

二人の兄弟の選択を、行く末をじっくり見つめる事が出来る、その一点から。

ゲームシステムは、シンプルに選択肢を選んでいくだけというのは、実の所、前作である「ライフイズストレンジ」を実況で見ていたので、知っていた。
勿論、選択に時間制限があったりなど、「シンプルに選んでいくだけ」とは言えない巧みさがある。

※この文中で「実況で見た」という表現を使うが、昨今の実況が、最早企業からの案件として利用され、企業自身の利益として容認されつつある一面が垣間見えていることによる。
実際、私も実況でライフイズストレンジを知り、そこから、2の購入へと至った。実況がゲーム業界にメリットを齎す面があることは、否定できない思いも含む。

しかしいうなれば、「ただ選択するだけ」でしかないものだからこそ、私は初代は自分でやろうとは思わなかった。

それなら、多分、小説や映像作品を観るだけでも良いのだ。
私が選択するのでなくて、彼らの選択をただ見守りたいだけなのだから。

RPGは、話の筋は基本的に決まっている。マルチエンディング等分岐はあるが、基本的には一本道で、順にやってくる課題をこなしていくのだ。
その課題を自身が操作主となり、キャラクターを動かしてこなしていくことで、よりリアルにキャラクターの歩みを感じることが出来る。だが、ライフイズストレンジには、その課題が無い。

勿論、画面の向こうの彼らには、沢山の課題やタスクが山のようにあるが、私はそれに対して、私の考えの元に、彼らの行く方向を決めるだけなのだ。

いうなれば、RPGでの私の立ち位置は、彼らを乗せて走る車だが、
このゲームにおける私は、道中の要所要所にだけ現れる標識でしかない。

私は、車となって、彼らがハンドルを回す方に従順に彼らを運び、そして、車内での彼らの様子に静かに耳を傾けるような、そんな存在でありたいのだ。

だが、ライフイズストレンジは、そんな車に「すらなれない」。

敵を倒したり、レベルを上げたり、良い装備を揃えたり、回復アイテムを買ったり…そういった、彼らが先に進む為の補助になれない。
ゲームをどう捉えるかという領域に至ってしまうが、ゲームとして遊べる領域がライフイズストレンジには無いと私は思う。

ただ、彼らが生きていく様を見続けていたかと思えば、突然、こちらに、彼らのパーソナリティに通じる選択を迫られる。
その選択は、パーソナリティの選択でしかなく、正解が無い。
明らかに仲間だと分かる風貌のキャラクターに対して「彼を仲間にしますか?はい いいえ」を選択するのとは、天と地ほども違う。

全ては人間間のコミュニケーションの選択でしかなく、その選択をする事でどうなるか、全く先が分からないのだ。

私は、プレイしていく中で、自分の選択がいかに曖昧でいい加減なものか痛感し、辛くなる程だった。私のようないい加減な人間に、彼らの人生がかかった選択を迫らないで欲しい。これならいっそ、ただの映画として、ただ見守るだけの立場でありたいと思う程だった。

私の選択で、彼らの人生が変わる。
つまり、彼らそのものの意思はそこには無いのだとも言える。
彼らの物語が一つの作品としてある種完成していない。
主人公なのに、自分で性別が選択出来たり、名前が変更出来たりする事に私は幼い頃から違和感を感じていた。じゃあ、この主人公は、この世に確かに存在するものではないのかと。
ライフイズストレンジは、物語そのものが、性別や名前、果ては容姿までプレイヤーの思いのままとなってしまう主人公と同等の存在になってしまっている。
だから、これは、ゲームではない、と私は思う。

だから、ゲームを楽しみたくてプレイする人にはお勧め出来ない。

小説とか、映画ドラマが好きな人向けかなあ。寧ろ後者の人には、ただ観るだけだった小説や、映画ドラマに、自身の考えが介入する部分が追加されるわけだから、最高に楽しくなると思う。
選択するだけだから、ゲームスキルとか、ゲームの典型パターンを知らなくても出来るしね。

ライフイズストレンジ2とはなにか

自身の選択の仕方と直に向き合う映像作品。

わたしはこう思う。

私が作品中でショックを受けたのは、ダニエル君の「自分には甘い癖に、僕には厳しくしてばかりだ」という発言と、最後の最後でダニエル君に「この人とは行けない」と思わせてしまったことだ。

自分でも思う。
力を使えと言ったり、使っちゃ駄目だと言ったり、方針がどっちつかず。
SNSにアクセスしたら足が付くからこそ、使ってはいけないと言われていたのに、何のためらいもなくSNSにアクセスしてしまったり。盗みを働いたり。

何故自分はそんな選択をしているのだろう、とこれまでのプレイの中の選択を思い返す。

そうすると、明らかに見えたのだ。

私は、人の機嫌を取ろうと、その場しのぎの選択をしているだけだと。

勿論、人の機嫌を取っておけば、後に有利になる場合が多いから、という思いはある。だが、面倒事を増やしたくない、負の感情を向けられたくない等、結局は、その場の不快を取り除くことしか考えていないのだ。

これまでに何があったか。
これから目指すものは何か。

そんな、本当に大切にすべき「前後」を微塵も考えちゃいない。

そんな自分に気付かされる、とても過酷な作品だ、と感じた。

母カレンへの選択

唐突に言うと、私には、母親という存在がいない。

正直に言えば、母親というものは「初めから存在しなかったことにした」。

それほどまでに私は、「母親」という存在に否定的な思いを抱く人生を辿って来た。

何故突然こんな告白をしたかと言うと、ライフイズストレンジ2の選択結果に、それが自分で笑ってしまいそうになるくらいに顕著に現れたからだ。

私は全体的に、1,2番目くらいの誰もが取るような選択肢ばかりだったが、兄弟の母カレンの選択に関してだけ、極端に割合の少ない選択肢ばかりを選んでいた。

一つ挙げるとすれば、私は別れの際に、ショーン君をカレンにハグさせなかった。

この選択肢は、私が見た時は3%だったか…少なくとも1桁で、逆にこんなにいないことに驚いたくらいだった。

勿論、意図的に少数派を予想して選んだのではない。私の考えの元に選んだ結果だ。

ハグさせるかどうかは、その3秒前くらいに、多分決定的な選択肢として選ばされるんだろうなと予感する程で、5分くらい悩んだと思う。
本来は、あくまで私ではなくショーン君の選択であるはずのものなので、私の考えでは選んではいけない。カレンだって、私のソレとは別物だ。

私自身、社会が肌に合わない気質なので、カレンが家を飛び出した気持ちはとても分かる。仮に、カレンが私の母親であるなら、私はカレンの事を否定はしなかっただろう。

ただ、そこで

ハグする = 母親として認める

これが必要なことか?とふと考えた。
私は、時は何も解決しないと思う。ブロディは、作中では、数年ぶりに危篤の母親と会い、その時にはもう、これまでの確執は消え去っていたようだが、「駄目なものは駄目」と意思を持ち続けることも一つだと思う。

ショーン君は、カレンに対して、憎しみに近い感情を常々表していた。
ダニエル君は「お母さん」と呼ぶが、ショーン君は頑なに「カレン」と呼び続けてもいた。
そんなショーン君の何年も抱き続けていた憎しみを、時間の経過だけで無かったことにしてはいけない。
子供たちから見れば、「碌な説明もせずに出ていった身勝手な母親」という事実が変わらないことは、ちゃんと心に留めて貰わなければならないと思った。

ここまで想像を絶するような道筋を辿って来た兄弟に、最早親は「必要」ではない。今後のメリットとしてカレンを繋いでおく理由もないからこそ、ショーン君の気持ちを優先して、ハグしない事を選んだ。

でも…私手紙書いたんだ。
カレンと話し合いもしたし、きっと甘い感情で中途半端に認めてしまった部分がある。
勿論手紙の書きだしは「カレンへ」にしたけど(「母さんへ」との二択。これも確か少数派だったかな)、本当なら手紙すら残さないのが正解だったのかなと、振り返って考えてしまう。

私に子供を育てることはできないと改めて感じた

自分に元々「芯」のある選択は、明確に理由付けした上で選ぶ事が出来る。
しかし、それ以外は結局、成り行きでしかなかった。

少数派の選択が正しいわけでは決してないけど、私のカレンに対する選択も踏まえ、少数派の選択には「芯」がやはりあるな、と感じた部分だった。

でも、どうだろう。
私の選択は、甘い中途半端なものばかりだった。
だけど、そこまで芯を持って、自分の心に対し明確な選択が出来る人など、多くはないだろう。
その場の即決力が試される事もしばしばあった。
だけど、どれほどの人が、その場で的確な選択を出来るだろう。

結局、人はそれほど大した存在じゃない。
愚かである者が愚かなのではなく、人は根本として、甘い中途半端さを据えている。

子を持つ親へ、
「親であれば、もっとしっかりしろ」
という言葉など飛び交うこともあろう。
だけど、そんな事、きっと不可能に近いのだ。
人間一人産み落としただけで、何か立派な存在になれるのであれば、きっと今の社会はもっと違う何かになっていただろう。

こんな曖昧さを抱えた人間が、「立派な人間を育てる」など、不可能に近いのだ。
成長は、「自身の気づきと挑戦」だと私は考える。
親もその材料の一旦にしか過ぎなくて、こんなにも、曖昧な選択が子供に不安を与えるのだと目の当たりにして、人間の理想像の「育てる」という行いは不可能なのだと感じた。

元より私は、カレン同様、社会の枠に嵌るのが非常に苦手なので、結婚願望も子を持ちたい願望も無い。(寧ろカレンも、結婚する前にそれに気づければよかったのに、と思う)

だが、ライフイズストレンジ2を通して、私の選択の結果吐き出されるダニエル君の言葉に心打ちのめされ、「どの道私に一人の人間の人生を預かることはできない」と心から感じた。

ショーン君が愛おしい

どうすればショーン君が幸せに生きられるのだろうというのが、後半以降の私の議題だった。

いうなれば、中間管理職ってやつだよね。
中間管理職って実のところよく知らないけど。
なんか、色んなものの間に挟まれて一番苦労する立場ってイメージだけはある。

完全に保護義務を持つ「親」じゃなくて
一番守られるべき最年少の「弟」でもなくて
守られる権利を持ちつつ、守る義務も持つ「兄」

でも結局は、「父」を兼任した「兄」ってなんじゃそりゃって感じ。
「父」じゃないのに、「息子」なのに、「兄」だから、父亡き今「父」にならなくちゃいけない。

しかも、力に目覚めるのは自分じゃなくて「弟」
「父」の立場なのに、「弟」の方が強くていざという時に頼りになる。
自分は、普通の人間として選択していく事しか出来ない上に、まだ「子供」で少ない経験の元に選択しなくちゃいけないけど、それが上手く行かなくて時に「弟」から非難される。

メキシコへの車の中で、兄弟はこんなやり取りをした。
※私の選択による会話です。選択肢により当然内容は変わります。

ダニエル君(弟)
「お金はどうするの?」

ショーン君(兄)
「仕事を見つけるさ。お前を学校に通わせてやる」

ダニエル君(弟)
「スペイン語なんて分からないよ」

ショーン君(兄)
「俺が教えてやる」

ねえ、なんでショーン君だって学校に通う子供のはずなのに、「子供を学校に通わせる為に働く父親」になってるの?
自分で選択していて、ショーン君自身の人生がどこにもない事を感じて、凄く苦しかった。

私の初めて辿った結末は、ダニエル君がショーン君と一緒に行くことを辞めて、ショーン君だけを送り出すというもの。

きっとメキシコで二人で暮らしても、お互いが枷になってしまう人生を辿るのだから、結局はこれが、選べる最善の道だったのかなと思うけど、これまで必死に逃げ続けてきたのは何だったんだろうとか、凄く考えてしまった。
でも、「兄だから弟を守らなければ」という思いに駆られてはいたよね。周りからも、「弟を信じて、自分一人で背負わないで」と言われていた。

その固執から、解放してあげなきゃいけなかったのかもしれない。

逃げ出した時点で、ショーン君が罰せられる事は確定していた。
でも確かに、逃げ始めた事で、更に罪を犯さざるを得なくなって、余計に罪を重ねてしまったのも事実。
「俺は何もやってない」というセリフが言えない立場になってしまった。
早い段階で警察に行っていれば、少なくとも事が大きくなることはなかったのかな。
この選択だけはどうしても出来ないから、分からないけど。

でも、取り調べでもあったけど、あの場で警察を待った先に、適切な対応が約束されていただろうか。ただでさえ曖昧な選択の連続の人間の中で、無事で済まされるだろうと想像など出来ただろうか。

もし、この旅が始まる事が無ければ…と思う。

普通に高校に通って、自分の好きな絵でお仕事して、普通に結婚して、普通に生きていたのかなと思う。
ショーン君はお父さん寄りの考え方に近そうだから、「普通の人生」にあまり疑問は抱かないのかな。

それが崩れて、高校は中退して、私の辿った結末ではキャシディとくっついたようで、その点は良かったと思うけど、多分きっとあまり、「普通」ほど満たされた人生は送らない。

ショーン君は確実に何か一つの核のようなものを失ったと思う。

なんだろうな…
道行く人から、ちゃんと弟の面倒を見ろって叱責されたり
お父さんの死の姿を見たのはショーン君だけで、毎日その姿を思い出していたりとか、一人の体に背負い背負わされ過ぎていて…
でも、ダニエル君が悪い!卑怯!とかそういう話でもなくて…「そうならざるを得ない」所に立たされてしまった存在のショーン君が、とても苦しくて…こうして乱雑に感想をぶちまけて彼の辿って来た道と思いを思い返しながら、私自身苦しくなって…

そういう存在が、愛おしいよね。

多分、ショーン君が取れたはずだった、より安全な道は、「兄」であることへの執着を捨てて、弟ダニエル君を対等になることだった。
「兄」であろうとするあまりに、ダニエル君を「弟」にしてしまっていたこともあると思う。
きっと対等になるだけで、全く道は変わっていたと思うし、「兄だから」という思いから道がどんどんおかしな方向に進んでしまったのだとも思う。
「兄」は「兄」であって「父」ではない、そこの混同もなければ…でもこんなの、16歳の男の子に要求出来る内容じゃない。
社会に出ている、もっと歳月を経た人ですら出来ないっていうのに、「そうするべきだった」なんて言えない…。

ショーン君を始め、ダニエル君、「The Awesome Adventures of Captain Spirit」で主人公だったクリス君も、それぞれの立場、人格からそれぞれの苦しみがあって…

ダニエル君だって、曖昧さを知らない「正しさ」の子だから、何が良くて、何がいけないか、曖昧な事ばかり言われて不安だったよね。山小屋、老夫婦の家、キャンプ、アウェイ…アウェイを出る時にはもう、ここにいたいって駄々こねなくなってたけど、それまでは、「明らかにそこに居続けるのはよくない」場所(山小屋とか)ですら、ここを離れたくないっていつも言ってた。一刻も早く安心出来る場所にいたかったんだよね。たった二人、それも「父」ではない「兄」との旅は不安でいっぱいで、辛かったんだよね。
最後の選択、私は「兄の曖昧さに対する不安」と「自分が枷になる不安」と…きっと他にも沢山の思いからしたんだと思うけど、あの瞬間、迷いのない姿は、誰よりも賢明な判断をしたのではなかろうか。

クリス君だって、あれだけ想像力豊かで純粋だったから辛い毎日を乗り切れたと思うけど、それが無かったら、ただ日々を嘆いて暗い顔をしている子になっていたと思う。でも、あの環境だったからこそ想像力豊かになったとも言えるし、純粋だからこそ、お父さんを疑う事が出来なかったわけだし…。

彼らのことは、言葉にしきれないです。彼らの何が良くて、何が良くなかったなんて、誰にも言えやしないよ…。

終わりに

youtubeに精神科医の先生がライフイズストレンジ2のプレイ画面を見ながらコメントする動画があるんだけど、このゲームに心打たれた方は是非観て頂きたいです。

ダニエル君が、お父さんが死んだ事でなく、嘘を吐かれた事に憤っていた、という所には特にハッとさせられました。
part1だけプレイ前に見たんだけど、だからこそ、その後のクリス君に能力があるように見せかけていることについて、「クリス君に嘘を吐かない」方を選択した。
きっと噓を吐かれる事が嫌なダニエル君には、こちらの方が身に染みるんだろうなと。

エピソード2までしかプレイされていなかったので、是非最後まで観てコメントを頂きたいくらいの内容だったのだけど、まず、敢えて人気のある初代でなく、2の方を選択したのが私は凄いと思った。

初代はどちらかというと「運命」で、2こそが「パーソナリティ」だから、そういう意味では2の方が内容として適任だった。

ダメ男に堕ちる系ホモ好きは見とけよ見とけよ~

これはとても余談なんですが、腐女子なので見逃せない部分が。

キャンプ地の最後の夜に、私はキャシディと泳ぐことを選らんだのですが、何故かその中でキャシディが「フィンはショーンを意識している」というような発言をしていて動揺しました。

これが心の片隅に残ったままぼんやり見ていたエピソード毎の選択割合の集計の中に、「フィンとキスをする」という内容が突然出てきて、どこにそんなフラグ出てた?!!!?と滅茶苦茶ビビりました。

滅茶苦茶慌ててググったのですが、どうもそういう選択を見事に外してしまっていたようで、実はちらほらと、仄めかすような発言があったようです。
ちょっと滅茶苦茶急いでパラレルモードで強盗計画に乗ってみたら、滅茶苦茶萌えました。

滅茶苦茶萌えました。

強盗しよう。これは。

表面しか見ない頭の悪さだった為、初見の私はフィンに対して、キャシディが好きで、ダニエル君の兄に成り代わっていて、ハッパ好きの、特に見込み()のない存在だと思っていました。クリスマスマーケットで初めて会った時も、「俺の女に近づく野良犬」みたいな目でショーン君を見ていると、決め付けで思い込んでしまっていた…なんてことだ…海外作品は、なんだかんだで「男女」に収まってしまう面があるイメージもあったため、く…色んな偏見で目を曇らせていた…情けない…

キャシディの言う通り(初見はやり直しすべきでないと考えて、全面的にフィンを否定するルートにしたので、強盗はせずに進めた)、フィンは面倒見は良いけど、人の事多分ちゃんとは考えていない。
自分自身で依存体質だって言っちゃうし、ショーン君が好きなんじゃなくて、明らかにそこにいたのがショーン君だっただけ感凄いけど、そんな不安定でしかない、共依存を起こしかねない関係だからこそ最高に萌えるんですね…ちょっと真面目寄りの普通っぽい子がそういう危うい所に引きずり込まれちゃうの最高に萌えの萌えなんですね…なんか書いてて楽しくなってきたゾ…ワイは悪い人に堕ちる普通の真面目君は受け派なのでフィンショですね。

でもフィンが切ったショーン君の髪型、ボクは好みじゃない…でも髪切った上でキスの展開に持ち込んでたらもっとイイカンジになってたりするのかな…。

キスの後にキスの感覚を思い出してうっとりして、またしたいな…いや何言ってんだ俺、みたいな展開、もうただの同人誌やんけ()

ショーン君のノートにフィンとのキスについて何か書いてないかなーと思ったのですが、パラレルモードでチャプター内だけでは見られなかったので、二周目はフィンと堕ちるメリバエンドを目指したいと思います。
ダニエル君と分断ルートは維持して、ショーン君だけメキシコに行ったら、今度はキャシディじゃなくてフィンと二人で写った写真がダニエル君の元に届くのではなかろうか…妄想しててもキリがないので、二周目行ってまいります。

ライフイズストレンジはフランスで作られたものなんですが、フランスってやっぱすげえな…。
私が最大に愛しているゲームの「MOTHER」シリーズも、フランス文学がベースになっていて、フランスの鬱々とした空気が底流にずっと流れ続けているエロさが最高にエモなんです。フランスで暮らしてえ最早。

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