男性が陥る罠 権力は作業着 改1

 これは男性だけではない。
 未だ社会の音頭取りは男性にあるが、女性も公共・私企業の別を問わず指揮する立場についているものが多い。
 表題では『男性』とあるが、以降は『人』として置き換える。

 つまり、先に記述した『男性が陥る罠』の『一般論』として記述する。

作業のために付与される権力と特権

 社長業であっても、首相業であっても、議員業であっても、作業であることには変わりない。
 上に立つものは作業の効率化のために道具として命令権や人事権などを『付与』される。
 公共であれば、最上位には『国民』があり国民から権限を付与されているのである。
 私企業や団体・組合などであれば、その団体から賦与されている。

 つまり、与えられた権限・特権は作業遂行のための道具であり作業着である。

作業着を自分の肌と思い込む愚

 人は、いや動物もそうだし生物はすべてそうかもしれないが・・・
 人は、何事にも慣れ、何事も当然のこととして受け入れるようになる。
 長い年月、繰り返される毎日の作業で起こることは当然のもので、極端な場合『自然の摂理』だとも思うほどに『慣れる』。

 つまり、上に立つものほど強大になる権限や特権は、実際は作業着であるにもかかわらず『いつの間にか自分の肌だ』と思うようになる。

一歩外に出れば
作業着は消え失せる
ことに気づかない愚

 話を単純にするために社長業を例にしよう。
 社内では社長の顔は知れ渡っている。
 しかし、一歩外に出れば、一人で公園を歩けば、誰も社長としては認めない。いや、知ってすらいない。よほどの大企業なら別かもしれないが。
 それ以前に、社長の会社すら認識していない。
 だから周囲には『人』にしか見えない。
 物理的な形状の人の姿しか認識されない。

 しかし社長自身は作業着をまとった生活が長いために自分が『人としてしか見られていない』ことに気づかない。
 社内であれば尊重される『会社が付与した権限など』の作業着は、公園を歩けばまったく意味がないが、社長自身はまだ作業着を着た気持ちでいる。
 理性では作業着を脱いでいるつもりでも、感情は、体は長年の習慣で作業着を着たままの行動をする。

 このようなことがあると自制していればまだ救われるだろう。
 しかし、社長として最高権力に慣れているものは『謙虚』にはなりがたい。グループ企業の中の一社の社長で、上位の持ち株会社には頭が上がらなくとも、自分の会社ではトップである。
 公園を歩いていても、その作業着の幻影を社長一人だけがまとっている。

 公園や社長は一例である。
 たとえ首相であっても敷衍すれば同じことである。
 特に引退した時はこの度合が増す。
 引退すれば『権限の付与』は無くなるが、長年の習慣は同じ程度の時間が立たないと消えない。あるいはよほどの荒療治が必要である。

 作業着が消えるを意識していればまだ救われるだろう。ハッと我に戻り、温厚な一般人に戻るだろう。
 しかし、作業着をまとったままという幻影を振り捨てることができない人間の場合は悲劇である。
 周囲からは何の根拠もないのに、一人だけ特別扱いを要求し重鎮として扱われることを要求する扱いづらい人間としか見られない者に成り下がる。

繰り返す
 全ての権力は作業着である
 作業着を肌だと誤認する愚が存在する

 社会人として行動するためには、このことを心に刻まなけらばならない。
 才能や実力の無いものほど、『付与された権限』に頼る。
 社長、首相、議員、組合長、理事長、部長、課長・・・
 現役や引退に関係なく『権限とは付与された作業着』でしかないことを十分に理解しきれていない者が多すぎる。
 周囲からは疎まれ蔑まされ、調子だけ合わされていることにすら気付かない場合はさらに悲劇であろう

改1:追記1
実るほど頭を垂れる稲穂かな
枯れるほど頭を上げる枯れ穂かな

 引退して権限の預託が無くなると、昔の自分へのあこがれで頭が持ち上がり始める。
 あがく愚は院政を引こうとする。自民党の首相経験者が陥りやすい罠である。国民から見ると百害あって一利も無い。

改1:追記2
現代の簒奪者

 もちろん、中身が無く『作業服を自分のアイデンティティ』としている稲穂ほど伸び上がろうとする。上の作業服が欲しくて実力も無いのに策謀で上を狙おうとする。
 そして、必死になるとある程度の確率で『出世』して周囲に害を振りまき、会社に、国に衰退をもたらす。
 役に立つために出世するのではなく、出世することが目的の無能力者が一定の確率でトップに立ち、害をなし、衰退を呼ぶのである。
 選挙に勝ち、議員に首相になることだけが目的の場合や社長の地位に着くことだけが目的の場合、不適合者でも策謀をめぐらすのである。
 これがいわゆる『現代の簒奪者』であろう。

bye


ありがとー