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人を神格化することの恐ろしさ

お久しぶりです。今回は少し真面目な話になります。(多くの個人的な憶測や思想を含むため、話半分に見てください)

今回は人を神格化することの恐ろしさ、危うさについて書こうと思います。

名前は出しませんが、最近私のよく視聴していたYouTuberの方が活動休止を発表しました。
その理由と直接関係があるとは明言されてはいませんが、はっきり言うとその方は視聴者によって「神格化」されていたのです。

あるゲームに長けていて、とんでもない実力の持ち主であることは確かです。しかしコメントで「さすが神」「人間を超えている」と言う神格化するようなコメントが大半を占め、それがプレッシャーになっているのではと時々思っていました。

この方に限らず、「〇〇の神」などはみなさんよく使う表現だと思います。漫画の神様なども有名ですね。
実際私自身もよく使う表現です。だからこそ、私は本当にこれで正しいのか、果たして相手は迷惑じゃないのか。と考えてしまうわけです。
(もちろん相手の考えを押しはかることなど出来ないですし、そんなことは烏滸がましいと思います)

神格化され、それを褒め言葉として受けとれるのであれば、全く問題ないと思うのです。そして、大半の場合、最初は褒め言葉として受け取ると思います。しかしそれが続くにつれ、「みんなが期待しているから頑張らなくては」と言うプレッシャーになっているのではないでしょうか。

私自身も子供の頃に経験したことがあります。しかし『十で神童十五で才子二十歳過ぎればただの人』と言う言葉の通りで、少し早熟で早く物事ができただけであって、今ではその当時誉められた能力も凡人のそれと違わないのです。

私はその当時とても悩みました。
「あなたはきっと神童だわ!天才よ」そんな声に私は「次も頑張らなくちゃ。期待されてる。頑張ればみんなが注目してくれるけど、少しでも失敗したら褒めてもらえなくなるのではないか」
案の定早熟なだけの私はすぐに周りに足並みを揃えられ、抜かされ、褒められる機会も減りました。そのおかげで天狗にならずに済んだといえばそうでしょうが、当時はとてもがっかりしたものです。「期待に応えられなかった」と。

まぁ自分語りはこの辺にしてまとめに入ります。
つまり私が言いたいのは、褒めると神格化するというのは全く別物だと言うことです。
神格化というのはある意味「努力を認めず自分とは違うものだということにする」ということだと思います。
確かにもとの才能というものもあるでしょう。しかし才能だけでどうにかなる世界など、この世にはないと私は思います。少しの才能と多くの努力を重ね人は大成するのだと。

「あの人は神だからな..」そんな言葉を無意識に使っている方がいらっしゃれば是非自分の中でよく考えて使っていただきたいと思います。

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