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対談 ~パラアイスホッケー銀メダリスト 上原大祐氏~(後編)

黒住教の機関誌「日新」8月号と9月号では、バンクーバーパラリンピック銀メダリストであり、引退後はNPO法人D-SHiPS32の代表として、パラスポーツの推進や商品開発、自治体等のアドバイザーなどを務める上原大祐さんにお話を伺っています。

黒住:先程の「withデザイン」・「byデザイン」の考え方ように、障害を持つ当事者が中に入ったりアドバイザーとして事業に関わったりしてハード面を整備することが大事だと分かりました。そのためには一緒に取り組む健常者の更なる協力姿勢が必要だと思います。上原さんのような方だけに頼るのではなく、応援する人が増えたら、地域社会からでも徐々に変わっていきそうですね。

上原さん:もし自分が当事者の立場を分からなくてアドバイスができなくても、仲間づくり・友達づくりをすることから始めてもらえればいいと思っています。「自分は障がいのことはわからないから…」と遠慮するのではなく、「一緒に遊ぼう」のような気軽な感じで。自分事化するのは難しいですから、“友達事化”しようとするので良いと思います。例えば黒住君が上原と食事するとなると、「あの店は階段だったかな?」と思う。それでいいんです。障がいのある友達と会うときに、先を見越して、段差やエレベーターについて考えられるようになるんです。

黒住:ポジティブな意味で心を配ると。そのためには想像力がないとできませんね。その想像力をどう作るかが問題です。

上原さん:一回行ってみて「あれ、入れない」となると次は想像できますね。一度経験するといいと思います。

黒住:経験を通じた気付きが大切ですね。その気付きをどのように社会に与えるか。私は幼い頃から経験しておくことができたらとても良いなと思います。実は私は四歳の頃、行っていた幼児教室で重い障がいの子と出会っていました。ある時、「何故この子は文字が書けないの?ちゃんと話せないの?」と黒住少年は無邪気に言ったそうです。すると、先生はすごく立派な方で、その子の保護者の前でも臆することなく「みんな個性があるでしょう?あなたは文字が書けるけど、この子は書けないの。そういうものなの」とさらっと言ってくれた。そうしたら、私の口から「みんな違って、みんないいね」という言葉が出たそうです。
私はこのような出会いが原体験としてあったから、自分と比べて「違い」があるような方と自然に接することができていると思っています。子供向けの取り組みを神道山でも上原さんと一緒にしたいですね。パラスポーツの大会などにも協力していきたい。気付きの種を蒔く一助になりたいです。

上原さん:是非やりましょう。昔だと「家族に障がい者がいるのが恥ずかしい」から外に出さないで家の中に入れたままでした。今は障がいへの理解がある程度進んでいますから、共有の場や時間がより広がっていくと思います。私は幼いころ、母が仕事をしているときに友達の家に預けられたりしました。逆もありました。こういう預け合いが今はあまり無いですよね。お互いにもう少しサポートし合う、甘え合うことも重要だと思います。

黒住:信頼関係の上に立てば利用し合っていいんじゃないかと思います。お互いさまという観点で。それが古き良き「少し甘えさせてもらいます」ということだと思う。

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上原さん:日本において障がい者が期待されがちな“自立”というのは、人に迷惑を掛けず家族内で解決することだと認識されていることが多いです。それは、親に面倒を見てもらって他人に預けて迷惑などをかけないことになります。一方で海外では、障がい者がいろいろなサービスを使ったり人に手伝ってもらって、親から離れて生活ができるように工夫するのが自立の概念として成り立っています。家族内で収まっていることは実は自立ではなくて、むしろ社会からの孤立なんです。様々なサービスなどを使うことで、家族だけに頼らず社会との接点ができて成長する。これが本来目指すべき姿のはずです。

黒住:他にも例えば「公平」とか「平等」という言葉の定義も今後深く考えて正しく捉えていきたいです。上原さんが話されることの一つに、「足が不自由だから自転車に乗れない」ではなく、お母さんが手こぎの自転車を用意してくれて皆と遊べたというエピソードがあります。障がいを持つ子供に対して限界を勝手に決めるのではなくて、やれるところは信じて任せてどんどんやらせてみる。子供はできるようになることで親離れが進む。その親離れこそが自立なのですね。

上原さん:私は毎日泥だらけで遊んでいました。川に入って魚やカニ取り、山での山菜採りなどが好きでした。時にはケガもしますが、「危ないからやめろ」ではなくて「行ってらっしゃい」と母は毎日言ってくれたので私の今があります。100%の「行ってらっしゃい」は120%も130%も子供を育てられると感じています。そして、親は待つことが重要です。待ってやらせてみなければ、子供は成功体験を得られない。例えば、障がいのある子供に私が話し掛けたときにも、子供が自分で答えるのをじっくり待てばいいのに、お母さんが答えてしまうことがある。信じて待って、時に諦めることが重要だと考えています。「あの子は幾ら止めてもダメだから、行ってらっしゃい」みたいなポジティブな「諦め」は大事ですね。

黒住:諦めるという言葉は元々仏教用語だと教わったことがあります。元は「あきらむ」という言葉からきていて「明らかにする」という意味。例えば、Aという選択肢が閉ざされてしまっても、落胆するのではなく、Bの方が自分に合っていたのだと思うことができると、前向きに進める。諦めるのは必ずしもお手上げではなく、進むべき方向が明らかになるということ。話を戻しますが、障害の有無を問わず子供に対する親心故に、良かれと思って子供の可能性にフタをしてしまうことが、どうしてもあるかと思います。その気持ちと高齢者に対する思いとは、似ているところがあると思うのですが、それぞれに対してどう接するべきか、アドバイスいただけることは何かありますか?

上原さん:フラットに分け隔てなく関わればいいだけの話だと思っています。子供も大人も高齢者も障がい者も、すべて結局は人間ですから。単純に、自分は足が悪い人間、目の見えない人間、三歳の人間、九十歳の人間なんです。できるできないを含めていろいろあるけれど、強み弱みは誰でも持っています。歩けるけれど○○できない人、歩けないけれど○○できる人。

黒住:あらゆる多様性がフラットに繫がり、真の意味での公平や平等が実現され、我々で言うところの「まること」な社会に近づく社会風潮が強まればなと思います。

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(写真は2019年)

さて、そんな中、いよいよ「東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会」が始まります。元パラアスリートとして、多様性を掲げるこの大会を通じて、日本がどうなっていくべきか、どんな大会にしていくべきか、上原さんの思う理想を話していただけますか。

上原さん:障がい者への配慮のみならず、様々な面でハード面の整備は進んできています。でも課題はまだ沢山あります。だから、海外の多くの人が日本に来て「こういう課題がある」と指摘してくれて、日本が気付きをもらえる大会にしたかったんです。例えば、こんなにバリアフリーの取り組みをやっているけれど、「観点が違ったんだ」「本質的じゃなかったんだ」という認識を今一度日本に与えてくれることを今度の大会に期待していました。ですから、海外から観光客が来られなくなって、日本は一番得られるはずのものを失ったと思っています。ですが、高齢者や障がい者、ベビーカーの人など、多様な人が「いる」ことを日本人皆が理解するような機会になってくれるといいなと思います。

黒住:「いる」ことを知ることによって、あまり理解はできなくても、受け入れることはできるようになりそうですよね。

上原さん:例えば、「手がないとアーチェリーはできない」と思っている人が多いですけれど、足でアーチェリーをする人がいます。実はパラリンピックというのは、できることを最大限に活かしてやっている超人たちの集いなんです。その超人たちを見て、「今まで○○だから○○できない、と思っていたのは自分の決めつけでしかなかったんだ」と、自分の固定概念を壊すキッカケにしてほしい。できない理由を並べるのではなく、どうすればできるかを考える習慣が世の中に増えてほしい。そう気が付けたのがあのパラリンピックだと。日頃から、困難や苦しい状況に向き合っても、工夫の方法は本当にないのかと、観た人すべてが考えて動けるようになる動機になればいいなと思います。
コロナ禍でも似たことが言えます。皆色々なことができないと嘆いていますが、私たちは生まれた時から毎日できないことだらけの中で生きてきているんです。だから、常に工夫して生きている。私の友人に、片手でとても上手に魚をさばく人がいます。そのための道具がないから自分で考えて創っていく。パラアスリートのみならず、障がい者はクリエイターなのです。健常者が、そのような能力や知恵を評価して、このクリエイターたちを使い倒してやろうと発想する時代になったら嬉しいです。その先に、障害のある人たちがもっと世に出て、社会の端っこではなく、中心で一緒にいることのできる世の中にしていきたい。

黒住:なるほど、それがポスト2020。貴重な気付きをいただいたので、東京五輪の存在は一つの通過点であって、そこから始まる新たな時代のスタート地点に今立っている気がしてきました。楽しみです。今日は有り難うございました。

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