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地域の衰退期に生まれて、繁栄期に生まれた親と創成期に生まれた祖父母と暮らして

これは、ただ自分が18年間地域社会で育ち、大学4年間は帰省の際などに関わってきた地元のことを自分なりに振り返るエッセイみたいなものです
研究でも、専門的知見もないので、ただの日記感覚でお読みください!

私は、人口3万人の市に生まれました。自分の地区は人口約1000人、コンビニもアパートもない地域で生まれ育ちました。

自分は、地域社会のつながりにとても感謝しています。自分が子供の頃はソフトボール大会があったり、地区運動会があったり、地域行事も盛んでした。

ただ自分の住んでいる班レベルの地区単位(※○○市○○地区○○班➡最小単位の地区分け)になると、
自分の地区は
「おさいど焼き」「ヤハハイロ」
と言われる行事がありませんでした。

”なんで同じ地域でも自分の地区にはお祭りがないんだろう”

と不思議に思っていました。

ヤハハイロの写真ですが、大迫力ですね!

➡地域のことは好きでした


じいちゃん、ばあちゃん同士で、周に何回かはお茶のみをしているし

父親は消防団に入っていたのもあって、消防団や地域のソフトボール大会への参加など

自宅に父親の知り合い、じいちゃんばあちゃんの知り合い、親戚などいろんな人が定期的に来るのが普通でした。

あとは、餅の会という自分の地区独自の集まりもありました。そして地区の夏祭りもあり、自分が住んでいる班レベルの行事も充実していましたし、地区レベルの運動会なども多くの地域住民が集まる機会がありました。

地域の伝統的な踊りを小学校4年生から習い、学校行事や地区行事で披露する特色もありました
やはり、自分の祖父母もやってきた踊りを引き継ぎ、地区運動会で披露して、地区の人に観てもらう事、お師匠さんや地区の方から褒められることは、とても嬉しかったし、お兄ちゃんとかだけ褒められているとしょげましたし。

そして、自分の地区には、有名な桜があり、学校の授業の一環でさくらの説明を観光客に向かって行う取り組みもしていました。

自分の地区に観光客が来ることが誇らしかったし、何より地域の一体感がありました。地域でこの桜を推すぞ!という熱気がありましたし、さくら会という桜の木の支援等をする団体が主体となり桜を守っていました。

自分の祖父は、桜の季節になると駐車場や桜の募金活動等のボランティアをしていたので、毎日、今日は観光バスが何台停まっていた!と数えるくらい自分も、家族も嬉しいことでした。

自慢の桜

それでも、地区運動会は祖父母の頃はもっと盛り上がっていたみたいで、
「昔はもっと人がいたんだ!」
「家族総出で行ったもんだ!」
という昔話を楽しそうにだけど途中からはめんどくさそうに聞いていました。

そんな中で、「今は役員とか小学校の子どもがいる家しか行かない」という話も聞きました。

➡自分が楽しいと思っていたものは、実は地域の人全員が楽しみではなかったり

、ある人には負担だったりしているんだと思いました。
”みんな”ってなんだろうなとかも思いました。
また、「あの家は地域行事に積極的だけど、他の家は出てこないこともあるよね、、、」
と言ったことも聞いたりしたような、うろ覚えなんですが!

ああ~地域で生きるって大変なのかもなって思ったりしました。
地域で生きるって、つながってさえいれば困ったときに助け合えるし、

だけど、地域の行事や清掃など、最低限はつながっておいた方がいいんだなと思いました。

子供ながらに、どこか閉塞的で息詰まる感じがたまにあったりもしていました。あんまり感じない人の方が多いと思いますが

ある有識者の方の中で
「そのような活動に出れない人はその地域に住めないのではないのですか」

という趣旨の内容を言っていただいたことがある気がします。うろ覚えなのであてにしないでください。

とても正論だと思います。
そのような活動に積極的に出れる人が地域社会に受け入れられるべき存在であると

自分も、地域社会で生きる上で、やはり共有地の清掃活動等は参加して一緒に汗を流すのが良いと思います。自分はどちらかというと行事に参加したがりなので、最低限しか参加したくない気持ちがあんまりないのですが(笑)

積極的に出れる余裕がない方も地域で生活し、そこまでつながりを意識せずに生活したい方が過ごしているのも事実です。

これは、「Z世代特有の考えだな」と言われてしまいますかね(笑)

まぁ、もう少し、上記の発言をした方と対話すべきでしたが、自分の対話力が不足していてその後は話していません!

しかし、そこまで地域のつながりを意識せずに生活したい方にも回覧板を渡したり、地区の役員を一緒に担当したりなどはしなければならないのが難しいところです。

これは地域で生きながら研究していくしかないと思いました。大学4年間でたくさんの地域に関わらせていただき、迷惑もおかけした分、地域での自分の役割やつながりのゆるさを少しは学べました。

”ゆるいつながり”これを体感したけどアカデミックに研究できなかったのは大学での後悔かなと思っています

自分は、中学3年生の時に地区運動会のボランティアをしました。その頃、もう中学生で地区運動会に関わっている人はそんなにいませんでした。

参加していた同級生に声をかけて、何人かでボランティアをした覚えがあります。目標や夢も特にありませんでしたが、地域の盛り上がりの一端になれたらなんて思っていました。

高校3年生の時も、地区運動会に参加したような・・・
その頃になると高校生で参加している人はほとんどいませんでした(笑)
逆に回りの人からどう思われていたんだろう・・・まだ参加してるの?

いや、いろんな地域活動で一緒にご飯食べたりしてきたから、むしろ歓迎された感覚でした!「来てくれたのね!」って感じで

その頃、自分の班の住民はほんっとに人が足りずで、中学3年生の時は他の班の人を借りてきて(敵なのに(笑))、なんとか競技に参加していました。
しかし、高3の時は、他の班の人口も減っているしで、種目によっては、参加を諦めたこともあった気が・・・


➡小学校1年生~高校3年生までの12年間の変化


人も減ったし、高齢化も進んだし、自分の親の年齢も上がり、父親は消防団を引退し、地域行事の重役を引き受ける年齢になっていたり(たぶん人がいないから役を兼任兼任している状態なんだと思います、しょうがない!)

自分は地域の消防団に入らなかったですし、(別の地域の青年団に入ってたけど(笑))地元を離れて県外に行くので、自分は責められる側かなと思います。でも、山形には必ず帰ってきます!鮭みたいに

やはり、「地元離れるのか残念」「ずっと帰ってこないでしょー」と言われることもありまして、その言葉は予想していました。

まあ、確かに自分達の親世代からしたら、次の世代が地域から離れるのは悲しい、寂しいことだと思います

また、あまり夢が無かったので高校時代から
「将来は公務員か?!」とたくさん言われてきました。

?「地域を良くしたい=公務員」なのか?


公務員しかないのか?!と思っていました。公務員しか挙げてこない大人の方々は、ちょっと怖かったですね(笑)

今になれば、公務員が給与面、福利厚生面でも安定しているからこそ、また、信頼される職業だからこそ公務員になれば安心して地域社会と関わり続けられるという意味で「将来は公務員か?!」と聞いてきた人もいるのが理解できます。

また、山形市にも米沢市にも南陽市にも長井市にも公務員の可能性を無限大に感じさせてくださる職員の方々がいらっしゃり、公務員って魅力あるな!と今更思っています

そんな中で「コミュニティデザイナー」という職業を知りました。
しかし、自分は春からは「カーディーラー」に就職し、自動車販売をします!

これがまた「地域社会とディーラーのどこが関係あるんだ!」と言われると説明が難しく、行ってみないとわからないことの方が多いです。

正直、全ての職業が地域を良くする可能性を秘めていますし、地域と関わらない職業を探す方が大変なんですよね(笑~

➡結果発表は

「まぁまぁ、車と地域がどうつながるかは5年後、10年後に」

と呑気に考えています。(笑)

カーディーラーに行って、地域社会との関わり方や地域社会との接し方を身に着けてきます!と言うと
今まで地域活動でお世話になった方々から「えー!でもいつでも帰ってきてね」「また飲もう!」「帰ってきたい時に帰っておいで」
と言ってもらえることがほとんどでした!ありがたい

もう、いろんな方々に「将来は公務員か?!」と顔を覗かれることがないし、そのような発言をする方はいなくなったので、ほんとに生きやすくなりました。

「ま~、やっぱり公務員になります!」と言って地元に帰ってきたら爆笑してください!「だから、言ったべした~!」って言ってくださいね!

ただ、大人に逆らいたかっただけなんです(笑)
地域を良くしたい人が全員公務員になったら、その地域ってめっちゃ面白くなるのかなって思って、子供ながらに

自営業や会社員だけど、地域を良くしたいって行動する人もいた方が地域としてより面白くなるんじゃないかなって思ったんです。地域のことを考えられる時間は減るけど、多様にはなるんでねーがいど思って!


➡プレーするのが夢だったソフトボール大会


コロナもあり、地元のソフトボール大会は無くなりました。

小学校の頃、父親や地域のお兄さんがたが大人だけど楽しそうに、真剣にはしゃいでソフトボールをしているのに参加したくて、いつか自分も一緒にプレーするんだ!と思っていました。

小学校の頃は毎日、布団でソフトボール大会で打つ自分を妄想して寝ていました!(笑)

小学校の頃はなんとか、地域の人の力になりたくて、コーチャーをしたり、ファウルボールを取りに行ったりしていました。

試合で、勝った後の、公民館で、子供も大人もソフトボール大会に選手として出た人も応援していた人も混ざり合って一緒にご飯を食べる時間が大好きでした!

いろんな人がいろんな価値観の人が混ざり合って、話したり、遊んだり、来年のことをもう考えていたりする空間は自分にとっては心地よかったです。

そんなソフトボール大会が無くなりました。これをもう一回大学時代に復活させたかった!悔しい!うーん!自分のことが忙しかったり、遊びすぎた!

やっぱりいろんな地域行事や地域での活動は世代間交流を生むだけではなく、子供や大人の個性を出せる機会でもあったんだと思います!

だからこそ、高校時代から、ソフトボール大会や餅の会、夏祭りでのカラオケなど、普段の自分とは違う、会社や社会の役割に縛られていない自分を表現する機会としての地域行事は新しく作ったり、アップデートしたいなと思っています!

これはいろんな地域行事で、自分の役割を探し求めてきた自分だからこそ考えられる視点だと思っていますし、同じことを考えている方々と協力して実現に少しずつ近づけていきたいと思っています。

10年後は祖父母が90歳を越えます!あと10年後、この地域はどうなるんだろう。最近では地元の小学生の児童数が減ってる・・・なんて聞いたような

まだまだ学校は続いてほしいし、新しいことに悲観的にならない地域を維持・発展させていきたい

▶️2年半前の出来事

🔜今日不意に祖母からこんなことを言われた。


「無理して地元に残る必要はない、帰ってきてくれるのは嬉しいけど、かわいそうでな」あと昨日朝ドラでこんな感じのこと言ってた気がする

「地元に帰るってことはいろんなことを背負うってこと」

自分が住んでいた長井市の伊佐沢地区は人口約1000人、市内からもひと山超えないとたどり着けない場所。桜の名所で久保の桜に見守られて小学校時代をすごした。地域の高齢化は僕が生まれたころから始まっていた。僕たちは過疎地域が過疎地域になりかけていたころに生まれた。

僕の地元の地域は50代が一番年下になるくらい高齢化が進む。自分の父とおじで地域の役を一年交代で回すようになって約5年くらいだろうか。

地域にはいろんな役割がある。地区長、組長、民生委員、消防団、運動会、盆踊り、文化祭の運営委員、神社の役などなど、現役世代の負担が大きい役回りだなぁと子どもながらに感じていた。あと10年したらこの役を地域で回せなくなり地域が機能しなくなるかもしれないとひしひしと感じた。

コンパクトシティ政策が進めば、地区での役割分担を減らして役を回せるようになるかもしれない、しかし、高齢者だけ住んでいてはどんなに負担を減らして役割の数を減らしても地域が維持できるんだろうか。それが行政の仕事になるのか?

人口ゼロ地域に向かうとはどういうことかというのを考えされる機会に出会った。そんな中、役割を減らす動きも出ている。今まで地区運動会と小学校の運動会は別であった。地区運動会は高齢化と人口減少から無理やりやっていた競技も多かった。

そして名簿に名前があるから参加するだけでできれば参加したくないようなもので、子どもとその親と役員が参加するような寂しいイベントだった。

その地区運動会が今年度から小学校の運動会と一緒になった。地区の人たちが子供を見守るという形ができ、人数合わせで無理やりやっていた運動会とは違う良い行事になりそうだなと思います。

残る残らないを決めるのはまだまだ先の話のようです。

▶️自分はもともと地域の住民が参加しやすいと思えたり、高齢者でも参加できる競技を考えたい!という想いから地元を良くしたいと思い始めました

そんな中で高3の時の地区運動会で⭕️❌クイズ企画が新たにできました!確か
その時に最高齢クラスのお爺ちゃんが知識豊富で、一人勝ちで優勝した時は震えました!

🔜何歳になっても活躍できる場がある地域にし続けたいな


そう思ったのが僕の原点です!

じいちゃんたちが自分たちで作ったグランドゴルフ場

時間はない、けど、いったんもっと吸収して来よう



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