見出し画像

180日で会社を辞めるワニ、あと183日

2021年の仕事も昨日で終わり。在宅勤務だし、ここ数年は集まって飲み会とかは自粛なので仕事納めとかは無い。会社には自分の手垢の付いたものはパソコン本体1台しかないので、特に年末の大掃除とかもない。まー、これが今風なんだろうか。

さて、あと半年で会社を辞めて独立することは決まったものの、今後何をどうしていきたいのか、全くの「ノープラン」で会社を辞めるのはあまりにも無謀過ぎる。20代じゃないんだから。ここで、自分の今までの経歴と、今後どうしていきたいかを語りたいと思う。

生まれは1965年、地方の田舎で育つ。時代は高度成長期で、超バブル時期に工業系の学校を卒業して、社会人になる。当時は、超バブル時期なので、就職率は100%。東京の外資系コンピュータ会社に就職した。今じゃ考えられないくらいのバブルだったので、どこの会社もイケイケで、大量採用。情報系、コンピュータ会社でも理数系、工業系だけでは足りず、文化系も採用していた。同期には今まで全く、プログラミング、コンピュータと無縁だった人もいた。そんな時代だった。企業の業績もどんどん伸びていて、規模拡大、拡大の時代だった。最初に勤めたその外資系コンピュータ会社も入社当時は日本で社員数2000人ぐらいだったが、4000人くらいを目指していた。(最終的にはバブルは弾けてしまったので、4000人には到達していないと思う)自分が勤めているオフィスの隣の大きな会議室で毎月の月始めに、何十人という規模は中途採用者のオリエンテーションをやっていた。そんな時代だった。

そんな、物事が無限に右肩上がりで伸びることなんてありえない。そのうち1990年台に入って、バブル崩壊がやってきた。「きたか・・・」、「ウチの会社も影響受けるのかなー?」、「いや、これだけの規模なんだから大丈夫なんじゃないか?」とか、内輪ではのんきなことを言っていたが、その波がやってくるのは、予想以上に早かった。

まず、ハードウェアが全く売れなくなった。その会社は大型汎用機と小型との中間くらいの中型機をメインとして販売していたが、営業しても営業しても全く売れなくなった。日本の企業、官公庁がバブルが弾けて一斉に情報投資を絞り出した。今まで、イケイケで新製品をどんどん出して売れていた・・・あれは何だったんだろう?我々がやっていた仕事、情報産業、ハードウェア開発は世間では、そんなに水物だったのか?と悲しくなった。

バブル崩壊の波は更に押し寄せ、毎月の月始めにやっていた、中途採用のオリエンテーションの人数は数十人・・・十人以下・・・数人と減っていき、ゼロに。人事部はそれまでは採用する人数をノルマとして持っていたが、逆に首を切る人数をノルマとして持つようになった。社内でも、退職する人が多くなり、毎月知っている人が何人も辞めていった。「ああ、この人もか・・・」と。会社全体では毎月相当な人数が辞めていったのだと思う。

日本法人の社長も交代し、経営陣も入れ替わったが、バブルの波には勝てず。業績は回復せず。

そうこうしているうちに希望退職制度が発表。今現在でも、大手で希望退職制度が発表されて話題になっているが、退職金を上乗せするから辞めて欲しい。辞めたい人手あげてっていう制度である。これに乗っかって、退職し、田舎に戻ることを決意。

結局、その会社は自分が退職したあと、もう1回希望退職制度を実施したらしい。その後、何年かは持ちこたえたが、泣かず飛ばず。アメリカの本社が、他の会社に買収されることがニュースで発表。日本もそれに倣って、買収された日本法人の方に吸収されることになった。更に、その後にアメリカで、買収した会社がまた別な会社に買収されることになった。つまり、二重に買収される結果になった。今となっては、影も形もなく、ただ、ただ、伝説の会社となってしまった。

希望退職制度で少々多めに退職金を貰ってルンルン気分で田舎に帰ってきた。その頃は若いから、仕事なんてなんとかなるさ。別に業種はコンピュータ関係、情報系じゃなくてもいいし・・・てな、軽い感じで考えていたが、現実はそんなに甘くなかった。

日本の中央である東京がバブルが弾けてそんな状況なのに地方が景気が言い訳がない。ハローワークに登録しても、履歴書を何社にも送っても、さっぱり採用されない。今まで、東京の会社で頑張ってきた経歴も何も評価されない。完全に買い手市場だった。悔しいのと、人生で最大の挫折を味わった。自分はこんなに世の中で価値のない人間なのか・・・と。仕事が無くて、無くて、悶々としている自分がいる反面、普通に仕事して生活している人がいる。この差って何?なんでみんな、そんなに平然として生活できているの?と、落ち込んでいた。

そんな中で一筋の光が、今の会社に就職が決まった。船が沈没する一歩手前でなんとか助かった気分だ。今の会社は当時は電話系の工事会社だったが、そこからソフトウェア開発事業に乗り出していて、そのソフトウェア開発部門に採用された。ビジネスとしては典型的なSI業者であるが大手SIのような規模には遠く及ばず。二次請け、三次請けがメインだった。殆どは会社と会社間との付き合いで仕事を受注するようなスタイルなので、殆ど営業はせず(今も営業部門はあるが・・・営業が営業しているところは見たことがない。殆ど事務処理しかしていない)固定的に仕事が流れてくるようなスタイルだった。

自分はその会社の中で入社してから26年くらいになるが、トータル26年の内、23年くらいは客先に常駐で仕事をしていた。ただでさせ、中途採用なのに、入社してから、社内に居たことがほとんどなく、席もない。ずーっと、外で客先に居ることが多かった。たまに、会社に行っても、席がないので、空いてる席に座っているか、黙って立っているか、会議室にいるしかないような状態だった。3年くらい前(コロナが流行る前だったなー)、客先との契約が終了して一旦自社に戻った。「まー、そのうち、またどっか客先に飛ばされるんだろう・・・」的な感じで、「一旦、社内に戻るの無駄じゃねぇ?直接、次の客先に行けば?」的な感じで考えていたが、意外と社内に居た。当時はニアショアで社内に人を集めて、そこで人も回していたので、その流れでそうなったんだろう。

しかし・・・さんざん、23年間外で飼われていた犬を、突然、家の中で飼われていた犬と一緒にしても馴染めるわけがない。違和感たっぷり。しかも、23年間、外で、客先でさんざん叩かれ、修羅場を乗り越えたきた割にはその苦労は何も評価されておらず、23年ぶりに戻ってきたら、自分よりも年下や、後から入ってきた人の方が出世していて、アゥエー感たっぷり。もう、ここには自分のポジションはないと思った。

そうこうしているうちに年齢が55歳を超えて、シニアに入ってしまった。23年間、客先で叩かれ、修羅場を乗り越えてきたのが何も評価されていないというのと、年齢がシニアに入ってしまったのが、退職して独立しようと思った大きな要因のひとつだと思う。

会社を辞めるまであと183日

次回は、独立してどの様に行きていくかの展望を語りたい。

100ワニをパクって退職エントリでバズろうとしたけど、全然バズらなかったワニ。 副業のオファーあればよろしくお願いします。 Twitterのフォローもよろしくおねがいします。@180wani