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■ハロウィンと銃社会アメリカ

世の中は「ハロウィン」シーズンらしい。
日本で「ハロウィン」だの「仮装パーティ」だのと言い始めたのはいつ頃からだろう。

もちろん、楽しみたい人は楽しんでもらって結構なのだが、私は毎年ハロウィンシーズンになると、ある事件を思い出す。
いまからちょうど30年前に、アメリカ南部の街で起こった、日本のメディアでも大きく報じられた「悲劇的な銃撃事件」である。

それは、1992年10月17日、ルイジアナ州バトンルージュ市の郊外で日本人留学生、服部剛丈君(当時16歳の高校2年生)が射殺された事件である。

先日の記事でも書いたが、実はこのとき、私はちょうどルイジアナ州・ニューオーリンズに住んでいた。
事件が起こったバトンルージュは、ルイジアナ州の州都である。

事件の概要はこうだ。

■日本人留学生射殺事件
1992年10月17日、米ルイジアナ州バトンルージュの高校に留学中だった名古屋市の高校2年、服部剛丈君(16)が、ハロウィーンの仮装パーティーに行く途中、訪問先を間違え別の住宅の玄関をノック。強盗と思った住民の男性が「フリーズ(動くな)」と呼び止め、動いた剛丈君に発砲して死なせた。

男性は傷害致死罪で起訴されたが、93年に正当防衛として無罪評決が出た。一方、民事訴訟では男性の過失責任が認められ、両親が勝訴した。

服部君の死後、両親は米国での銃規制を求める嘆願運動を開始。日米合わせ200万人分の署名を集め、クリントン米大統領との面会も果たした。
(時事ドットコムより)


事件の翌朝、この事件を報道する記事が、服部君の写真つきで、地元の新聞に大きく載っていたのを覚えている。
最初記事を見たとき、「日本人の高校生がバトンルージュで撃たれて死んだ? どういうこと?」とびっくりしたが、記事をよく読んで事の経緯はわかった。

当時、最初に通っていた大学をやめ、民間の英語学校に通っていた私は、その日も普通に学校へ足を運んだ。
その学校は、ニューオーリンズに語学留学している学生や移民など外国人が通う小さなプライベートスクールで、私も含めた日本人数人のほか、フランス人、スペイン人、コロンビア人、コスタリカ人、ブラジル人などさまざまな国の学生がいた。

登校してすぐに、若い白人の教師(30才位?)と、事件の話をした。私が、「先生、日本人学生がバトンルージュで殺された事件、知ってますか?」と聞くと、「もちろん! 悲劇的な事件で、とても残念だ」と顔をしかめた。
さらに彼は言葉を続けたが、その言葉に私は愕然とした。

その先生はこう言ったのだ。
「でも、撃たれて当たり前だよね。だって、他人の家の敷地に勝手に入っていって、『フリーズ(動くな)!』と言われたのに止まらなかったんだろ? その状況なら、俺でもすぐに撃ってるよ。撃ったほうは悪くない。どう考えても撃たれた日本人学生のほうが悪いね」

彼は少し笑いながら、いかにも「ごく当たり前のこと」という感じでそう言った。

驚いた。
そのへんのギャングの言葉ではない。普通のアメリカ人、しかも学校の先生でもそう考えているのか。それがアメリカという国の常識なのか。
すでにアメリカ生活も1年近くになろうとしていて、アメリカの銃社会の現状については十分わかっているつもりでいたが、改めてショックを受けた。

いまはどうか知らないが、当時ニューオーリンズは、ロサンゼルス、マイアミと並んで全米で最も治安の悪い都市ワースト3の一つだった。
ニューオーリンズでは、誰もが銃を持っている。車で移動するときは、必ず座席の下に銃を置いていて、何かあったらすぐ取り出して撃てるようにしている。

「撃たれる前に、撃つ」のだ。
ほとんど「戦場」である。

ニューオーリンズのダウンタウンにある「プロジェクト」と呼ばれる貧民街。
ここでは日々弾丸が飛び交い、幼い子供が命を落とす事件も少なくない。

ちなみに、加害者(ピアーズという人物)は妻と2人暮らし。夫婦はアメリカの田舎町に住む、ごく普通の中年白人夫婦だった。
夫のピアーズが撃った銃は、「44マグナム」だった。44マグナムは、昔人気を博した『ドーベルマン刑事(デカ)』という漫画で、主人公の刑事が「ドゴーン!」とぶっぱなしていた、大口径の拳銃だ。
民間人が護身用に持つ銃としては、殺傷能力が高すぎる銃といっていい。

そんな銃を、至近距離から人間の胸に向かって撃ったらどんなことになるか? 推して知るべしである。
実際、現地の裏情報で服部君の遺体の状態を聞いたことがあるが、ここで言葉にするのが憚れるくらいの悲惨な状態だったらしい。

この事件では、アメリカ社会にいまだに巣くう癌ともいえる「銃規制問題」が浮き彫りにされたが、もう一つ、ある問題が浮き上がってきた。
「人種差別問題」である。

簡単に言ってしまえば、「敷地内に入ってきた人間が、アジア人(有色人種)でなく、白人だったら撃たれていなかったのではないか?」、ピアーズは「白人でなかったから、躊躇せず撃ったのではないか?」という疑惑である。

バトンルージュが、あの悪名高い、白人至上主義の秘密結社「KKK(クー・クラックス・クラン)」の関連団体の勢力が強い地域である、という事実も、この問題がとりざたされる原因になった。

実際に、ピアーズの行動が「人種差別的要素をはらんだ行動」だったのかどうかは明らかになっていないが、近年の「BLM(Black Lives Matter)」の盛り上りを見てもわかるように、あの事件に人種差別的な側面がまったくなかったか?と問われれば、答えは明らかである。

ハロウィンの時期になると、毎年この事件のことを生々しく思い出す。
そして、つぎのような言葉を思い出す。
それは、以前読んだ伊集院静のエッセイに書いてあった言葉だ。
詳しい文面は忘れたが、確かこんな言葉だったと思う。

「街中で人がはしゃいでいるとき、歓喜にひたっているとき、そのすぐ傍らには必ず、どうしようもない苦悩を抱えた人間というものがいる。
人は、常にその事実を胸の奥に抱いて生きるべきだ。それが人の優しさというものだ」

毎年ハロウィンの季節になると、服部君のご両親、親しかった友人や知人たちは、この事件のことを思い出し、悲しみに浸っていることだろう。

そんなことを思いながら、街の雑踏を歩く今日このごろである。


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