■人生は「習慣」でできている

最近、毎朝5時台にキビの散歩に出かけ、小一時間歩いて帰宅したあと、ここで朝食前に何か書くのを習慣にしている。
いや、というか、まだ3日目なので、まだ習慣の領域ではない。「習慣にしようかな、と思っている」という表現が適切だろう。

「習慣」、いい言葉だ。
人生は「習慣」でできている、と言ってもいいだろう。

ここでふと考えてみる。
「私はこれまでの人生で、何を習慣にしてきたのだろうか?」

いや待て。そもそも「習慣」とは何だろう。
日本大百科全書(ニッポニカ)によると、

同じ状況のもとで繰り返された行動が、状況に応じて安定化し、自動化されて遂行される場合をさしていう。
日常の行動で、たとえば戸を開けるとか、箸(はし)を使うとか、着替えをするとか、定時的に反復するうちに、そのときの状況に適応して、行動が一定のテンポで自動的に経過するようになることである。[小川 隆]

普段から、ある種「職業病」と言ってもよいと思うのだが、私はふだん何気なく使っている言葉の「意味」「定義」を、その言葉を使う際にきちんと調べる習慣がある。

そうか、これがまさに「習慣」というやつだ!

「そのときの状況に適応して、行動が一定のテンポで自動的に経過するようになること」、つまりここで重要なのは「行動の安定化、自動化」という定義だ。私のこの「言葉の定義を調べる」という行動は、「安定化」し、かつ「自動化」されているのだ。

安定化、自動化されているからこと、「ずっと続けられる」。「ずっと続けられる」と、さらに安定化、自動化というシステムが盤石なものになる。
きっとそういうことだ。
何だか感動さえ覚える。まるで自然の摂理を発見したような気分だ。

御託はこれくらいにして(私はこの言葉が好きだな)、最初の自己質問へ戻ろう。

「私はこれまでの人生で、何を習慣にしてきたのだろうか?」

・・・・・・・・・・・思い浮かばない。

きっと「これまでの人生」などと言うから思い浮かばないのだ。「最近」という条件で考えてみよう。
安定化、自動化した行為・行動・・・か。まあしいて挙げれば、

・朝起きたら、まず窓を開けて部屋の空気を入れ替える
・一杯の白湯を飲む
・飼っているメダカの様子を見て、エサを与える
・新聞受けから東京新聞をとって、リビングのテーブルに置き、今日の天気をチェックする
・庭の草花、野菜の様子をチェックする(たまに水やり)
・神棚の御水をかえて、自分で決めた文句を唱えて祈る
 (ここで森羅万象、宇宙創造に思いを馳せ、感謝する)
・キビの散歩に行く
・散歩中には軽い「スクワット」と「ストレッチ」をする
・ごみの日には「ごみ出し」をする
・朝食を食べたら、自分の食器は自分で洗う
・乾いている食器は食器棚に戻す
・ビタミン系、胃腸系のサプリを飲む
・たまに玄関掃除
・たまにトイレ掃除

これらはたぶん、10年以上は続けているので、改めて見直してみると、おー、いいぞ、なかなか安定化、自動化しているぞ!と思う。

あとは何だ?
やはり思いつかないな。

これではダメだ。
さっき自分で、「人生は『習慣』でできている、と言ってもいい」と、ずいぶん得意げに言ったばかりではないか。

でもまあ、さっき書いた「朝の習慣」。とりあえずこれくらいできていれば、よしとするか。
だいたい私は「習慣」を軸に生活するよりも、「いきあたりばったり」にやるほうが好きだし、性にあっている。

そうだ、「いきあたりばったりにやる習慣」、これでいこう!
安定した「いきあたりばったり」、自動化された「いきあたりばったり」。
なにか大きな論理の矛盾があるような気がするが・・・。

まあいいか。
今日も細かいことは気にぜず、気分上々、ご機嫌な1日を過ごすとしましょう!(なぜか最後だけ「ですます調」にて悪しからず)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?