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最近の読書感想文(というエッセイ)

私にとって読書は趣味を超えた生活の一部で、常に何かを読んでいます。

そもそも両親共に読者家だし、本に囲まれて育ったので…骨董品屋みたいな古本屋兼カフェみたいな店を持ちたい憧れもあったりします。

さて最近読んだ本の書評みたいなことをしてみようかと…

すらすら読める養生訓(立川昭ニ)
手の治癒力(山口創)

まずはこの2冊。

最近良かったカラダの本です。

貝原益軒さんの「すらすら読める養生訓」…
とても素晴らしいです!

江戸時代の先生なのに、普遍的な内容だから(現代語訳なのもあり)、肚に落ちる内容です。

身のこなし
身につける
…の身とは…中身の身
身(中)体(外)ということかな?

そういう想いもあり…

私は一昨年…柔芯体メソッド➡️柔芯躰メソッドに(考案・発表10年で)進化させたのです。

たい…は
體、軆などの文字もあって、カラダを表すコトバって実に豊かですよね!

この本には呼吸や食養についても、詳しく書かれていて読み応えありました!

貝原益軒さんは、歌ったり踊ったりして発散し、美味い飯を食べて良く寝る…ということも言っていたそうです。

次の一冊「手の治癒力」も良かったですね。

皮膚と心理のことをわかりやすく書かれています。

触れる触れられるは、ココロに及ぼす影響が大きいし。

触覚は。五感の中でも脳に近い器官です。

優しく触れられるだけで、免疫力も高まったりするのですから。

本によって先人の思想に触れられるのだし…読書は大事。

映像が無い時代に想いを馳せた時、文字や文章から想像するチカラは、読書からしか養えません。

言語脳というけれど…

言語脳こそ想像〜創造に至る手掛かりとなります。

映像などで、見た目を真似出来ないからこそ…

先人が目指した世界を想像し、自分もそこに続けるのです。

真似して出来た気になる…という浅はかさでは、何も本質は理解出来ません。

もちろん真似ぶが学ぶなのだけど…
その先は自立に至らなくてはならず。

見えない本質を観る(視る)には、
読み取る訓練が必要なのです。

読み取る…観察力を養うには、集中の持続力も必要。

「時短」「タイパ」などのファストライフでは得られない境地。

それは内観にも通じること。

自身を内観出来る人は、他者の内面も読み取ることが出来るので…技芸の世界に於いて、必須条件とされてきました。

良い本は、自分の成長度合いに応じて…2度3度と読むにつれて、理解も深まるもの。

読むというのは受け身でなく、能動的行為だから。

本が好きで良かった!

さて次はちょっと想うことを強めに書きました。

「からだで作る芸の思想」

「からだで作る芸の思想〜武術と能の対話」と言う本についてのお話しです。

能楽師でロルファーの安田登さんが、学者の前田英樹さんと対談されだ本。

タイトルに惹かれて手にしました。

内容は悪くないながら…少し期待外れでしたね。

思考が狭すぎて、どうも「日本人」を一緒くたにしてるし…
西洋文化やジャンルに対し、先入観で「決めつけ語り」し過ぎ。

つまり⬇️
西洋はこうだけど、日本文化はこう…的論
古いものは良いけど、新しいものはこう…的論
に感じる矛盾や、偏見を感じたのです。

もちろん頷けるところもあるし、全体的には良かったと思えるだけに、少し残念というか…

以下は⬆️に貼り付けた写真部分へのツッコミです。

"あるバレリーナ…"と書かれた森下洋子さんの発言

「練習を1日休むと自分にわかり、2日休むと仲間にわかり、3日休むと観客にわかる」

に対しての
「外の筋肉はそうなんでしょうね」「外側から締め付けてしめつけて修正していく動きは…。」
という文章について

私はバレエの専門家でないけれど、40年以上のダンス経験から言わせていただきます。

バレエはインナーマッスル優位でなければ、動けない動作ばかり。

あんなに細いバレリーナ達が、足を高く上げて姿勢保持する動き…外側の筋肉を締めまくって出来ますか?

しかも、彼女達が踊る時に履くトゥシューズは…
中足関節でなく指先…つまり空手でいう貫手と同じ様に、足の指先で立つわけです。

外側の筋肉を締めているだけでは出来ません!

横隔膜や内臓を引き上げ、腸腰筋や内転筋をどれだけ使うか…

森下洋子さんが高齢でも現役を続けられたのは?を考えたら、わかるはず。

それを身体操作のプロが見抜けないとは、とても残念ですね。

しかも安田さんは、能楽師でありつつプロのロルファーですから。

ロルフィングで、深層筋や筋膜等の専門知識をお持ちなはずだし。

更に言えばロルフィングは西洋のもの。

日本の芸事と西洋の芸事という観点で、バレエなどのジャンルそのものを語るのも少し違うのでは?

「練習を1日休むと…」の部分に関しても、毎日練習しないと"ダメだから"じゃなくて。

毎日やり続け「られる」カラダが大事ということを、プロ意識として伝えた言葉なのに。

1年の1/3以上も舞台で踊るのは、かなりハードな世界。

ブロードウェイミュージカルなどもロングランになったら、ものすごいステージ数で、怪我をしない様に(ミュージカルはセリフや歌もあるので、喉を壊さないことも含め)演じているのです。

能楽師さんも同じ舞台人なのに…想像が及ばなかったのでしょうか?

もっといえば…
昔の剣術家さんは、高齢でも毎日数百回から千回以上も、重い木刀を素振りした…と何かの本で読んだことがあります。

これが事実なら…
外側の筋肉を衰えさせない為ですか?違いますよね?

千回も素振りする身体操作が出来ているから、習慣化されたということですよね?

つまりダンサーのトレーニングも、剣術家の素振りも…
毎日の食事の様に、生活習慣として行っていると想うのです。

それを西洋東洋で分けたり…
古流と現代文化で分けるのは
あまりに乱暴ではありませんか?

ブレイクダンスやストリートダンスはまだ歴史的に新しいけど…
彼らだってカラダの芯を使わないと、アタマで回転したり出来ません。

ましてやクラシックバレエは5-600年くらいの歴史あるダンス。

クラシックの名の如く古流でもありつつ、時代と共に受け継がれ進化している文化です。

古武術・古武道が現代に受け継がれているのと、何ら変わりません。

リズムに関しても、西洋音楽は規則性と決めつけていますよね?

西洋音楽にも不規則なリズムや変拍子はたくさんあるし…

規則性のリズムにも、譜面に書けないノリやグルーヴ感というものが存在します。

そもそも機械的な規則性だけなら、メトロノームと同じ。生きた熱や温度が感じられません。

そんな音楽が支持されるでしょうか?

もっと言えば、日本人のルーツが大陸から東を目指して渡りついた「初期縄文人」として…

それはアフリカやアメリカ先住民の音楽に通じる、スピリチュアルなグルーヴ感溢れるリズムがあったはず(音楽の研究家はオーストラリアの先住民・アボリジニとも、縄文人との共通点を述べていました)。

人種を問わず、胎児が羊水を通して聴いている母親の心音は…

クラブミュージックや、トランスミュージックに酷似していることも紹介されています。

日本の音楽…と限定したり
昔の日本の…と言うなら
いつの時代の文化を「日本の」と指すのでしょうか?

もし武士の時代である鎌倉時代以降なら…

武士の文化という「限定条件」を、日本文化の全てかの如く語ることに違和感があるのです。

西洋って広いですよね?
どの国の、どの時代で西洋を断定してるのでしょうか…
ヨーロッパ?英語圏?

私は20年以上前にストラビンスキーの「兵士の物語」で悪魔の役でソロを踊りましたが…

規則性のない音(メロディと変拍子)なので、カウントに起こせません。

CDで音のきっかけを覚え、生演奏なので指揮者や演奏の生音に合わせて即興交えて踊りました。  

全てが間と拍子。
楽譜という🎼発明以前から音楽はあったわけで…

西洋は…古い日本は…
と言うのは本当に狭い考え方だし。

誇りを持つのと偏見を持つことは別ですからね。

芸術や文化に関わる人こそ、先入観や偏見などなしに、モノを見ないといけません。

その視野があるからこそ、古典芸能も今の時代に通じる鮮度を保てると思うし。

普遍的な文化になるか…
古臭い化石になるか…

文化は人が繋ぐもの。

ジャンルじゃないのです。ジャンルや国、時代を一括りで語るのは、思考停止の証しだと想うのです。

私は著者の安田登さんや、前田英樹さんを存じ上げないので…彼らに対して、個人的な感情など全くありません。

ただ「決めつけ論」に一言書きたかっただけ。

あくまで読者として、ダンスや動きの指導者として、素直な感想を書きました。

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