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「救い」と「カウンセリング」・「コーチング」

本日再開した「コトるラジオ」略して「コトラジ」。(勝手に略称したけれど怒られないかな..。)
テーマは「メンタルヘルスのマーケの難しさについて」という話でした。
後半部分しか聞くことはできませんでしたが、聞いていると「絶対的な救い」から派生していく話のように感じました。

そもそも絶対的救いはあるのでしょうか

救いの箇所が見えにくいですが、
「絶対的」と「救い」を合わせると「他の何物とも比べるようもなく人の気持ちをなぐさめ、明るくするもの。」となります。

この「他の何物とも比べるようもなく人の気持ちをなぐさめ、明るくするもの。」つまり、「絶対的救い」はある、私はそう思っているんですよ。

誰でも心の中に「こうあったら私は幸せと思える」、「これをしている時の僕は幸せだ」。という一種の救いの像というのはあると思うんです。
けれど、この救いの像というのは自分自身と常に対話していかないとハッキリとした見える像にはなりません。

”私自身も気づいたらなにを求めいたか忘れてしまうことが多々ありますので、そういう時は改めて紙に書き出したりしています。”

加えて「絶対的救い」は不変ではない、とも思っています。
仮に「絶対的救い」が得れたとします。けれど、当初「絶対的救い」だと思っていた「救い」とは違うものだった場合、「絶対的救い」はまた新しく更新される必要がでてくるのではないでしょうか。
そうすると「絶対的救い」というのは変わらない存在ではないのかなと。

もちろん思っていた通りの「救い」に辿り着く人はいると思いますが、
少なくとも私は「絶対的救い」がその時々で変わりゆくものであると思っています。


ハッキリとさせずらく、変化する「絶対的救い」に対して

「絶対的救い」があやふやになってしまった。そもそも見えない。
もしくは思っていた「救い」と違うものだった場合どうしたら。

そういう時にカウンセリングやコーチングを使う、もしくは信頼できる人に相談する。カウンセリングやコーチング、その人が勧めるものを通じて、自分の中の「救いの像」をハッキリさせていったり、新たに見つけていこう。ということをコトラジで語られていたと解釈しています。

流れ
① 自分にとっての「救い」は何なのだろう。
② 自分で考えてもわからない。
③ カウンセリング、コーチングを受ける。もしくは信頼できる人に相談する
④ 人(他者)を通じて自分の「救い」(幸せ)を発見していく
⑤ 見つけた「救い」を目指してみる


「絶対的救い」はある。少なくとも私はそう思っています。
けれど、それは自身の中から見つけるものであって誰かから与えられるものではないとも思っています。

だからこそ、カウンセリングを受けたから私は幸せになれる。
セミナーや講演会に行ったから私は救われるとは思いません。
(昔は思っていました..。)

あくまでも見つけてスタートラインに立つため、軌道修正するための手段でしかないのだなと今回コトラジを聞いて再認識できました。

ps.
前半部分も聞きたかったので、noteにリンク貼ってもらえると凄く嬉しかったです。
(届いたらいいなぁ)



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