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君たちはどう生きるか から一年。

映画終盤、純白の積み木が登場する。
異世界の創造主いわく、それが世界を形作っているらしい。

このメタファーは、監督が、スタジオ近くの幼稚園の子どもたちを見ながら思いついたのではないだろうか?
ドキュメンタリーを観ながら、そんなことを思った。

映画初見中、自分は、友達とサッカーをして過ごすのが好きだったが、一方で時々(なぜかは覚えていないが)、幼稚園の室内で積み木をしていたことを思い出した。
「この丸いのどこで使えばいいんだろう?」
「この三角二つ並べて、上に横長い四角の置けるかな?」
などと考えながら。

そのため映画を観ながら、「そうか〜、積み木かぁ」と感動した。

積み木はもしかすれば、子どもが初めて体験する、何かを「構築すること」「完成させること」ではあるまいか?
そしてそこから我々は、何が変わったと言えるんだろう?
文章を書くにしても、料理するにしても、生きてゆくにしても。いやこれは、全く大袈裟ではなく。
あのときの、あのドキドキしながら、ときに崩れたりしながら、また組み上げてゆくあの頃から、何が変わったんだろうか?

純白の積み木。いや積み石。あの石は、確かに純白だった。ワラワラと同じように。

だから眞人は、自分のそれまでの悪意を思い、「触れられない」と断った。
それでも最後、生みの親は、お母さんだけは、「お前いい子だな。素敵じゃないか、眞人を産むなんて!」と、言ってくれる。

眞人の行為は、態度は、確かにいけなかったかもしれない。しかしそれは、時代や周りの人間のせいでもある。自己責任論で片付けてはならない。
それに彼にはこれからがある。それはきっと、まだまだ先が長い。少なくとも、83歳までは生きそうだ。

だからこそ、「君たちはどう生きるか」。
そういうことだったんではないだろうか?

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