病気になりたい

[1]吐き気の正体
 20代の話。初めて正社員になってしばらく働いていると、心に異変が顕れた。初めは職場の最寄駅に着くと小気味良い吐き気に襲われるようになった。毎日毎日、胃に軽いジャブを打たれているような、職場のデスクに着くまで小気味良い吐き気は続いた。
 もう少し経つと家の玄関扉を開けることが困難になった。もうこの辺りからあまり記憶がないが、朝起きてスーツに着替え、毎日家を出る時間ギリギリまで横になっていたが、ある日、いざ家を出なければいけない時間になっても鉛のように体が動かない、そして涙がわけも無く止まらなくなった。その日は会社を休んだ。そのまま1週間休み、年末年始を挟み、年明けに出社した。が、何も良くなることはなく、変わらぬ小気味良い吐き気に襲われ、数日してまた体が動かなくなり、そのまま仕事を辞めた。
 体がそうなるまでの職場のあれこれを思い出すことも多いけれど、今日は何故か、あの時期に通っていた心療内科のことを思い出していた。

[2]早く鬱と言われたい
 僕はこの毎日襲う吐き気と、鉛のように動かなくなる体と、わけも無く流れる涙に病名をつけて欲しかった。心療内科にいきありのままを話すと「これは鬱の一歩手前ですね」と言われた。
 違う、僕は早く病名をつけてもらって、自分は病気という、自分は病人という肩書を得て胸を撫で下ろしたいだけだった。あの吐き気は病気だったんだ、あの職場環境なら、どんなに普通の人でも誰でも病気になってしまうんだ。そう思えば多少前向きに生きれるはずだったのに「鬱の一歩手前」だとやっぱり元々僕はどこかが欠陥品で、普通の人なら根を上げないことに限界を感じてしまっているんだよと言われているような気がしていた。
 そんなに出なかったボーナスを使って別の心療内科にいき鬱と診断され、僕は胸を撫で下ろした。良かった、鬱だった、あの職場環境が、僕を鬱にさせたのだ。そう思えば多少は自分ではなく、他所に心がしんどくなった原因を押し付けることができた。

[3]クッキーの型
 病名というのは、ある種クッキーの型のように、どんな人のどんな症状もおしなべて同じ病気に変換してしまう。僕は職場から離れてしばらくすると回復したけれど、病名が決まった以上、一定の期間は薬が処方され続けていた。しかし薬よりも、職場から離れる方が効果はテキメンだった。職場を離れる代わりに当時の自分の経済は荒れ狂ったものになってしまったけれど、それはそれで楽しめてしまうほどに回復してしまった。
 病名は名付けられる安心と引き換えに、個々の現実を見えなくしてしまう。病院は個々の現実に向き合わない代わりに「お薬出しておきますね」で解決する方法を取ってしまう。勿論それで多くのことは解決するのだけど、全てに信頼を置いてはいけないのかもしれない。
 最近家族と連絡を取ったり電話をするうちに、何故か20代当時の自分を思い出して、色々と考えてしまった。なんとなく取った有給を使って実家に帰ろうと思う。僕は医者ではなく家族なので、まぁしょうもない話くらいしかできないけれども。それが必要なときもある。

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