見出し画像

夏空

早いもので今日から7月。ずいぶん暑くなってきましたね。ということで本日は
Galileo Galileiの夏空について。

この曲に関しては、もうね、ここ!ここよ!って部分があるんです。
それがこちら

好きだった歌が響かなくなったな
誰のせいでもない
僕のせいでもないんだろう

一番のBメロにあたる部分でしょうか、
この部分を聞いた時メロディはもちろんこの歌詞に大変感動した覚えがある。大変感動とは言っても、私がよくする「うぉおぉおおあぁあああ~(語彙力)」というパターンではなく、「ンハー、、、(遠い目)」という感動。どっちみち語彙力に欠けているという点では同じでありなかなか伝わらないかもしれないが、とにかくこりゃやられたぜ、、って思った。


いきなりですが大人になるの定義ってなんでしょうか。

さっきのンハー、、、な歌詞の前にはこんな歌詞があります。

捨てきれない自分 大人になったフリ
周りを見回しても大人の顔ばかり

自分を捨てきるということが大人になるということなのでしょうか、、

定義なんて言葉をつかってしまうとなんだか我が国では成人(20歳)を迎える、みたいなことが答えになってしまう気もするけどなんか本当にその答えでいいの?と思う自分もいたり。実際そこで納得すればいいものをこう反論しがちな大人げない自分も成人は余裕で済んでおり、そう考えると余計に20年生きたね!君は今日から大人だよ!てのはやっぱりちょっと寂しい気がする。

かといって、まだまだ子供デース(*^^)vってのもちがうし、困ったものです。
よく聞くというか一般的になんでも経験を通して成長して大人になっていくなんていわれるけど、たしかに年々経験とともにできることや知識は増えていって大人になったなあと感じることもある。

でも時折、大人に変わったなあと感じることもあるのだ。

好きだった歌にかかわらず、人、食べ物や趣味なんでもいいけど
あんなにのめり込んで追いかけたのにいつの間にか気にならなくなった
という経験も少なくはない。
さっきは経験から何かを得る、そして大人になると話したが
これに関してはどちらかというと経験を重ねるごとに薄れて無くなったという話で、大人に変わった(変わってしまった)につながるのかと。

大人になった、ではなく
大人に変わったこの違いは何、、という私の疑問に対する答えがこの歌詞から気づくことができて、こりゃやられたぜ、となったわけです。


さらにやられたぜポイントはもう一つあって、
大人になると大人に変わるだとなんとなく後者のほうが
ネガティブなイメージがあった。少し寂しいような。

でもしっかりこの歌詞には
誰のせいでもない 僕のせいでもないんだろう
とはいっている。
そーかそーか、仕方ないことか、おけおけ!
と単純ながらにもそう思えたし結果的に得ること失うこと含めて大きな意味合いで成長してる自分えらいぞと思えば毎日それなりに楽しく過ごせるし、
何が言いたいって、このことを考える機会を運んできた音楽はすごいてっこと(*'ω'*)

今回はめちゃくちゃ部分的に語ってしまったけど、もちろん一曲を通して素敵な曲です。大人になっていくことに対する葛藤のような歌詞にわりに爽やかで夏を感じることのできる一曲でしたっ!

ではでは!



この記事が参加している募集

スキしてみて

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?