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渾沌胡乱な街

片脚義足のバレリーナは、一回転〈ピルエット〉の時に中心軸を任せられる自慢の左脚に油を差しながら、真空管ラジヲから流れる、音質の悪いニュースに耳を傾けていた。
天気予報で明後日の雨のことを知り、憂鬱になる。
神経痛に悩まされる日々には、仕方がないとはいえ、もううんざりだ。
その気持ちを、先日太っ腹なパトロンから貰った真絹のトゥシューズを箱から出して眺めることで、豊かな気持ちで上書きし、何とかその日を凌ごうとした。
蚕どころか、諸々の虫などはもうとっくに人の世から姿を消し、ゴキブリまでもが、なんとか齧り付いて、ようやく生き延びられる環境になっていた。
真絹と謳われたそのシューズは、見た目も触り心地も限りなく絹に近い合成繊維だったが、この頃で真絹と言えば、もう既にそれであった。
スラム街の小僧は、市場の店先にあった林檎の山から、ひとつを誰にも気づかれずもぎ取り、鼠のようにかじりつきながら家路につく。
ラジオのニュースキャスターは、捕まらない記憶泥棒の新たな事件を読み上げる。
他人の電脳に直接注射銃を刺して、記憶媒体部分の脳羊水を吸い出す。アンプル瓶の中に保存された記憶が含まれた液体を、仲介役を介して裏で高値で売りさばいていた。
悪徳の文字が効かない薬と化した金持ちは、世に遍くある享楽で満足できなくなった心を、他人の記憶で満足させようとした。
記憶アンプル瓶一つで、家を三軒四軒買えるほどの高値がつき、注射銃で己の脳に他人の記憶を注入した。昨今の科学技術の発達で、蚊の針よりも細く出来上がった注射銃の針の感触は、霞に触れるよりも分かりづらかった。
刺した穴は、倍率の高い廉子を何重にも重ねた専用の眼鏡を付けた脳外科にも、見分けられないほど小さく、被害にあった人々は全員何らかの処置で気絶したあと、記憶を奪われていた。
事件が発覚した後でも、すぐには通報されなかった。当の本人が今この瞬間にこの世に生まれ落ちた赤子のようになっているのだ。
逆に、困窮する生活に疲れ果てた人々が高値で己の記憶を売り、辛い思い出からの自由と大金を手に入れられたと思った人々は、この右も左も分からない世界で途方に暮れた。
世の小説のどんな悲劇よりも、世の映画のどんなハッピーエンドよりも、世界的な受賞をひけらかしている作家が、脳が煮だつ〈ショートする〉程考え込んでも思いつかないような素晴らしい体験を、どんな媒体の作品を視るでもなく、直に体験出来る。
金持ちは、初めてチョコレートを食べた猿のように飛びつき、むしゃぶりついて離れなかった。
けれども、何事も過ぎれば毒となる。
記憶ジャンキーと化した一部の富裕層は、一体どれが本当に自分の体験したことか、他人と自己の区別がつかなくなり、しまいには自我が崩壊してしまった患者もいた。
それらは、他人の記憶を膨大に注入したせいで、脳のキャパシティが耐えられなくなり、自己制御が効かなくなってしまったのかもしれない、と精神病棟の医師は言った。
不気味な鴉のようなマスクがトレードマークの、素顔も素性も隠した精神科医は、真鍮の枠と水晶硝子で出来た動画盤〈テレヴィジョン〉に出る度に、そうやって人々の不安を煽るような言動をした。
その人物は、裏社会で薬物の流通の全てを握っている鴉片窟〈あへんくつ〉の主人と同一人物ではないか、とも噂された。
黒鴉の文字を頂きに貰った阿片窟は、表向き精神を高揚させたり鎮静効果がある香を堪能出来る店であった。
タンクからのびた水煙管を咥えた、食客の口から吐き出される煙は、誰がどう見ても法律で定められた煙草や香の色では無かった。
その店から、籠を持って毎日路地裏などに出かけていく娘がいた。牡丹芥子から出来た薬物を売りさばく、清楚な顔をした少女。
瓶入りの金平糖でも売るように、限りなく本物に近く見える合成繊維でできた籠の中から、宝物を取り出すように大切な動作で、牡丹芥子のエキスを抽出した液体を、世に迷える人々に与えた。
本人によると、これは荒んだ世界から逃げ出したい者に対しての、「人助け」なのらしい。
なんでも、父からその大事な役割を承ったのだとか。その瞳は、疑いの影など一切挟まない、純粋な光に満ちていた。
街の一角の安いアパートメント、その埃っぽい一部屋に住む小説家は、度重なる原稿の締切に悩んだ末、これから釣りに行くと言って、飛び出して行った。
彼から駄賃を貰い、煙草を買いにいくお使いをたまに受け持つ少年は、まるで子供のように純真な嬉しい気持ちが全身に充ちた、彼の歩く後ろ姿を見かけ、声をかけた。
そんなにわくわく何処に出かけていくんだい、先生、と声をかけられて、小説家はくるっと少年の方を向いた。
「三日月を釣りに行くんです、ほらここに星の欠片が着いているでしょう?海老で鯛を釣るように、これがいい塩梅の餌になるんですよ」
何の変哲もない釣竿のてっぺんを指さして、生まれてきたことが嬉しくてたまらないような子供の顔で言った小説家の彼に、少年は呆気にとられて何も言えなかった。
海老やら鯛は、既に絶滅しマンモスと同じく本の中だけで知る生き物になっていて、中にはユニコーンと同じように、幻獣の中の一人だという新説を発表する学者もいた。
それらの生き物からまろび出た諺〈ことわざ〉は、今の世でも使われてはいるが、屋根裏部屋の埃を被った分厚い本の呪文と、同じようなものだった。
それらが棲む海とやらは、遠い過去に埋め立てられ、この街からは全く見えない有様になっていた。
世界通信網〈ネットワーク〉から掘り出された、大昔の海とやらの映像は、玉石混交でどれが本物だか分からない。
骨董市でたまに売り買いされる、海生物の一種とされる貝殻という不気味な造形の代物は、海の音がすると言うので、それらを砕いて音声記録円盤〈レコード盤〉に仕上げ、針を通して聞いてみた。
けれども、虚無の音しか鳴らず、やはりこれは迷信の一部なのだと社会に処理された。
裏町では、自律型人形〈ガイノイド〉の売春婦が安い値段で持て囃され、逆に生身の女は高値が着いた。
いくつかの動物の特徴を、一つの体に纏めたような生き物、合成獣〈キメラ〉が産み出され、やがて大人しい気性の個体の繁殖や小型化に成功し、人々の間で可愛らしい愛玩動物〈ペット〉として、大流行した。
鹿の角を生やした兎は〈ジャッカロープ〉と名付けられ、鷲の頭に獅子の体が着いたものは〈グリフォン〉、巨大な蛇のような体に、角や翼をつけたものは〈ドラゴン〉と呼ばれた。
しかし、じゃれあった時の主人の怪我などで血の匂いを覚え、凶暴化した合成獣が人喰いに成れ果てた。
生み出した生物学者にも予見ができなかったこれらの凶暴化は、様々な動物の遺伝子を掛け合わせたせいで、現代の暮らしは多重的なストレスとなり、その発散のために暴れだしたのだ、とされた。
神から授かった命を弄んだ為に、天上主の怒りに触れたのだ、と言い出したオカルティストも現れた。
そのオカルティストは、鴉片窟の常連で多量の薬物使用で、神の託宣を受けたり、千本の腕が生えた黄金の仏が蓮の花に座って浮かんでいるのを見たりした。
合成獣を駆除するために、確実に急所に当てる自律型機械〈ロボット〉が導入されたが、素早く逃げる合成獣を仕留める為に街中で銃を乱射し、合成獣の暴れようが可愛らしく聞こえるほど、多数の怪我人や死傷者まで出した。
一回も暴れたことも、人を襲ったことも無い小さく臆病な合成獣も無慈悲に乱殺され、それを守るためだったり、家族を殺され許せない気持ちで自律型機械に石を投げた人間も、もれなく標的と認識され、撃ち殺された。
その自律型機械を作っている最高責任者は、しどろもどろに認識回路の誤作動、もしくは初期不良であると言って謝罪会見を開いた。
表向き政府は、あんな恐ろしい悪魔を作るのをやめろ、という国民の声に耳を傾け、培養槽を稼働させている工場を全て止めたように見せたが、裏では己の護身用や、虐待する事で憂さ晴らしをするために、屈強な生物を作るように、多額の資金を出して
せがんだ。
何十本もの鎖に繋がれた猛獣たちは、隙あらば直ぐに主人の寝首をかくつもりでいた。
それらは、人の手で発達した歪な脳に宿った知能で、言葉がなくともこの世の全てを呪っていた。
一方で、蘇った魚などは、襲われる危険性がないどころか、珍味や美味として人々に受け入れられた。
中でも、古代に絶滅した深海魚などは、どこの誰が言い出したのか、食べれば不老不死を得るとして、どこの人間も馬鹿みたいに金を積み、手に入れようと躍起になった。
死を恐れたベッドから動けない身の上の孤独な資産家老人は、何とかして深海魚の肉の一切れを手に入れて、食んだ。
その瞬間に、優しい母親の腕に抱かれる幼子のように安心しきった顔で、事切れたのだという。
五体不満足で生まれた人間は、義足や義肢、自動車椅子や介護型自動律人形のおかげで、外見上も生活上も特に苦労することなく、生きることが出来た。
五体満足で生まれた人間は、この世界はなんてつまらないのだろう、と言った。
映画の中のスターは、年齢による肉体の劣化や撮影中の事故の心配のない自動律人形に置き換えられた。それらは、絶世の美女や美男子であったが、経年劣化や爆発シーンなどの撮影時の負担が原因で故障すると、全く同じ型の自律型人形に役を交代させた。
銀幕スターは、全員が絵画の中のような美貌を持ち、永久に代わり映えのない人員になった。
人々は、代わりに個性を失い、アイデンティティの獲得に奔走し、本性を剥き出しにした。
自分の人生や性活そのものをエンターテインメントとして売りだし、ネット上のアイコンを含めた個は、創作上のキャラクターと区別できないものになっていた。より多く賞賛を得ようとして、自分の身を削るような芸をしたり、自分の生活上の情報を売り出したりしたせいで、心を病むものまでいた。
重苦しい肉体の殻から抜け出したいあまりに、人々はネットワークの海の中に、救いを求めた。
中には、肉体から自己が抜け出たきり、一向に帰ってくる気配が無かった人もいた。
そのような人は、彼岸の岸へ渡ったのだ、涅槃の向こうを垣間見た、など言われ〈解脱〉と称されたその行為は、社会現象の一歩手前まで及んだ。
そのまま肉体を放置しておく訳にも行かないので、遺族が望んで遺体を冷凍保存して欲しい希望を出さない限り、有効期間を過ぎた遺体は、便宜上埋葬されるようになった。
例え冷凍保存したとしても、自分の肉体に戻った瞬間にその人間は、死ぬのだが。
全くそれらのものは、街中の立体映像〈ホログラム〉で出来た街路樹と同じように、見慣れたものになっていた。

画像はこちらからお借りしました。↓
<a href="https://www.photo-ac.com/profile/742504">はむぱん</a>さんによる<a href="https://www.photo-ac.com/">写真AC</a>からの写真

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