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翡翠の碧、血の朱印

点翠職人の藍晶はその名を、かつて絹が通った道で繋がれている諸国まで轟かせるほどの、腕前の持ち主だった。
本物の鴗(かわせみ)の羽を、部品となる枠に糊で貼り付けて、一枚一枚花弁を作る。
それから出来た見事な牡丹や蓮の花飾りは、本当に翡翠を削いで作った花弁から、出来たようだった。
硬質な石の色を帯びていながらも、その光沢は生き物の熱が通った滑らかさがあり、筆舌に尽くし難い。
変わった材料の点翠仕上げてくれ、と言われた際には、なんと触れただけで破れそうな、和紙のような蝶の羽を使い、鳥の羽と同じく見事に仕上げた事もある。
それは異国の青であったり、冬を前に一国を南へ横断する見事な斑模様の橙の羽の蝶であったり、世で一際大きい南国の常緑色を掠めとった蝶の羽だったりしたが、それらはまるで結ばれたり束ねたりした髪を花だと勘違いしたように、羽を広げながら止まっている。蝶使いの仙女ならば、このような飾りをあしらっていても可笑しくないだろう。
これらは、本当に天女の翡翠飾りのようだ、と言われ、その腕前を認めた同業者達から、読みを同じく天翠という字(あざな)を付けられたこともあった。
時には、見た目だけそれらしいもので十分だ、と奮発する気のない客に言われて、造羽を使う時もあったが、天然物と人工物の材料の差を技量で埋めるように、藍晶は骨身を惜しまなかった。
金持ちから、出す金は惜しまないから、何十匹、何百匹の翡翠の羽を使っても構わない、というなんとも贅沢な注文も、少しだけ背伸びをしたくて、たとえ偽物でもいいから点翠細工が欲しいという守銭奴な客の見栄っ張りな注文も、聞き入れた。
生きていた鴗から抜き取った本物の羽を使えるのなら、我が腕の見せどころだとして、
造羽―比較的鴗に近い羽毛の鵲(かささぎ)の青い羽毛や、白い羽毛を藍染めしたもの―を使うのならば、それだけ鴗が無駄な犠牲にならずに済んだとして、良しとしていた。
やはり造羽では、どうしても生き物本来の美しさには適わない部分もあったが、そもそも見栄えだけ良くて、中身は頓着しない、見る目がないとも言っていい客にとっては、造り物の材料を使って拵えた点翠細工でも、出来上がりを見ると、王から褒美を賜った臣下ように喜んだ。

ある日藍晶は、知り合いの鳥屋を訪ねた。
そこは、通常の鳥屋と同じように、天井や軒下から数え切れないほどの竹の鳥籠を下げて、中に小さいものは多くても三羽、大きいものは一羽と、鸚鵡(おうむ)や鸚哥(いんこ)、九官鳥をしまい込んでいた。
珍しいものなら、一羽が米俵十俵にも値する天竺鳳翔までいる。これは鳳凰のような姿で鳴き声が縁起がいいとされる。
青く澄み渡った空のような羽色の澄鳥、これは庶民にとっては少しだけ値が張る小鳥だが、そこらの愛玩鳥のように家畜化されて、安定的な飼育数を保っていた。
馬鹿みたいに高い鴗の翠(みどり)とは、少し色味が違うが負けず劣らず、美しい羽だ。
こちらの羽根を使えれば藍晶も、毎月の出費やら、収支の計算やらに頭を悩ませなくて済むのだが、生憎、澄鳥の羽は雛鳥の羽毛のように柔くて、細工には向かなかった。
野生で生きている鳥は、被食者と言えども、やはりそれなりにしなやかなでありながら、体の部位は細工の過程に耐えられるくらいには、頑強なのだ。
今までは、売上が材料費を微かに上回り、なんとか赤字を回避して、食うには困らない程度だ。
藍晶自身が、自分の腕を振る舞える場があるだけで満足出来る、筋金入りの職人気質なのが幸いした。
これで妻子でもいたら、妻は愛想をつかして、子供の手を握り生まれ里へと帰っているだろう。
その鳥屋には、それ以外にも異国からやってきた物珍しい鳥が沢山いた。動物好きな子供ならば、見ているだけでも、一日飽きないで居られるだろう。
「どうだい、最近の様子は」
「いや、渋いねぇ」
藍晶は、店に入るなりそこの店主に声をかけた。
店主は、客商売でありながら、水牛の角を削って金細工を施した煙管を吸い、吼える龍の香炉ようにもうもう煙を吐き出しながら、答えた。
顔なじみのその店主は、造羽の材料となる白い羽を、鳥籠の掃除を兼ねていくつか拾い、袋の中に集めてくれていた。
手渡された麻袋の縛ったところを開け、中に入った白い羽が、ぼさぼさとみすぼらしく無いことを確認した藍晶の顔に、店主は
「そっちこそ、どうなんだい」
という声を投げかけた。
「あぁ、こっちもあまりいい塩梅ではないね」
「はは。まぁ、最初はそんなもんだろうなぁ」
気心の知れた友人のように、少しだけほれみたことか、という意味の笑いを含みながら、店主は笑った。
実は、藍晶は新たな材料調達の仕方を考えていた。
自分で鴗の羽を手に入れられれば、それだけ必要な金が浮いて助かる気待ちも確かにあったが、藍晶は出来るだけ生き物を傷つけずに、羽を調達出来ないだろうか、と思案した。
生き物の死体を綺麗に飾り立てる、そんな商売をしていながら、綺麗事に聞こえるだろうが、人間の我儘の為に、出来るだけ野生の獣を傷つけたくなかったし、生きている鴗の絶対数が増えれば、それだけ入手出来る羽も多くなる。
今まではこの店主を通して、猟師を生業にしているものから、捕らえられて腐らないよう処理を施された鴗の死体や羽を買い取っていた。
その猟師らは、注文があって専門に鴗や他の鳥などを捕る者達も少なからずあったが、ほとんどが獲物があまりいない猟の閑散期に、片手間に鴗を捕る者達だった。
その者達は、何より山の生き物の均等を第一に考えた。今年は、長雨で山崩れが起きたり、猛禽が多かったり、小魚も少なかったりして、水辺にやってくる鴗の数が少ないと判断したら、例え注文の数に足らなくても、必要以上には捕らない。
もしくは店主を介して、今年はあまり捕らない方がいいと、藍晶に伝える。
藍晶もそんな彼らの考え方を尊重し、何よりも鴗の数を減らし過ぎないようにすることを優先した。
思い通りの数の羽を入手できなくとも、客には事情を話して、待ってもらえばいい。
今までは、運良くそれを理解してもらえる客ばかりであった。
ほとんどが懐事情も心にも余裕がある富裕層を相手にしているのだから、当然といえば当然だ。
猟師の中には、金に目がくらんで、希少な鴗を卑劣な罠で大量に捕らえるろくでなしもいたが、藍晶は、そのような者から呼びかけられても、絶対に鴗を購入しなかった。
全て、ここの店主が身元を明らかにして、信頼出来る猟師からしか、捕られた獲物を受け取らない。
「まぁ俺の見通しも甘かったんだろう」
藍晶は、反省するように呟いた。
藍晶は、店と工房を兼ねた自宅から、一番近い猟師の元を尋ね、小鳥を傷つけることなく、慌てた小鳥が羽をばたつかせて、何枚か羽根を落とすような罠がないか、と聞いた。
その猟師は、山の男を体現したような者で、岩男のような巨躯に、厳しい自然の中で命のやり取りをする者特有の、目の厳しさがあった。
猟師は最初、街の物好きが山の世界を舐めて、そのような世迷言を申してきたのだと思って、藍晶を相手にしなかった。
しかし、藍晶が真剣な目付きで、自分はこのような商売の者で、出来るだけ生き物を傷つけずに、材料を調達したいのだ、という事を説明したら、少しは分かってくれたようだった。
「体に傷をつけねぇで獲るだけなら、足に紐か何かを括らせるようにすればええ。あらかじめ、刃物かなにかで糸を梳いておけば、小鳥の力でも暴れるうちに切れるだろう」
これには、年老いた猟師の言葉に納得するしかなかった。
害鳥を捕らえるだけの罠の仕掛けを実際に見せてもらい、あとはお前の方で幾つか試して改良を重ねるといい、と言われた。
小鳥が自力で糸を切ったあとでも、足に長い糸が絡みつくと、それが死ぬ原因になるので、切ったあとの糸が長くならないよう、輪になる部分から出来るだけ近い場所を、薄くしておくこと、
弱った小鳥が猛禽の目につくと、格好の餌にされるので、あまり開けた場所に罠を仕掛けるのは賛成しない、とも言っていた。
藍晶は、枝が込み合った茂みの中の、木の枝の一つに罠を仕掛けた。
そこは、川の岸辺から離れてもおらず、小魚を捕らえた鴗が止まって食事をするのにちょうどよく、よく茂った枝のおかげで、猛禽類の冴える目からも、守られているような理想的な環境だった。
しかし、結果は芳しくなかった。
「鴗か何かが捕えられた形跡はあるものの、その小鳥自体が胸の短い羽毛二三枚を散らしただけで、逃げ去ってしまっていたよ。」
これだけでは、ほんの小さい部品のひとつでさえ購えないだろう。
そう言っても、紐の強度を強くしすぎると、今度は掛かった小鳥がどれだけ暴れても逃げ出せずに、疲労困憊したあげく、衰弱死してしまうかもしれない、なんとも加減が難しい仕事だった。
「まぁ、今度の罠でしばらく様子を見てみるよ」
二三度、そのような言葉を交わして、藍晶は鳥屋を後にした。

数日後、藍晶は新しく仕掛けた罠の成果を見に、山の中に入っていた。
その罠を張ったところは、前の罠の場所とは違うが、少し離れていただけで、環境としては微塵も変わらなかった。
今度は一体どうなっているだろう。少しだけ淡い期待を抱きながら、そろそろ仕掛けた罠が、目に入ってもいい所までやってきた。
「しまった!」
藍晶は、罠の糸の先端に何やら青色の小さいものが捕えられたまま、固まって動かないのを目にして、その言葉を吐きながら、慌てて駆けつけた。
見ると、やはり鴗がかかっていた。
けれども、その体には何重にも糸が巻きついて、体の肉にくい込んでいた。
あまりにも強く、鷹の爪のように糸がくい込んでいる所から、少し出血もしていた。
今度は、糸を強くしすぎたせいで、鴗は自力で逃げ出せず、暴れるうちに体に巻きついてしまったんだろう。それが原因で、鴗は身動き出来ないまま、死んでいったに違いない。
辺りには、幾枚もの碧い羽が散っている。
藍晶は、それらをかき集めて、懐にしまい込んでいた袋に入れた。
鴗の死体に巻きついた糸も、持ってきた糸切り鋏を使って、出来るだけ羽を傷つけずに、切っていく。あまりに固く引き絞られ、鋏が通らない場所は、指で丁寧に糸を解いた。
硬直して動かない鴗を、藍晶はまた懐から出した手ぬぐいの布で、赤子を包むようにやさしくくるんだ。
「すまない」
もはや、その声は鴗に届かないし、届いても意味の無いものだろう。
自分の至らなせのせいで、この小鳥は犠牲となっただ。
いきなり自分が何かに捕えられ、意味の分からない恐怖の中暴れるうちに、ぐったりとして死んでいったに違いない。
狩りの初心者だったから仕方の無いことだった、などという言い訳は、通用しない。
藍晶は手ぬぐいに包んだそれを、凍えている小さい動物を温めるようにして、懐の中にしまい込んだ。
荷物の中に、新しく罠を張る為に糸や他の道具を持ってきていたが、もう何もする気になれず、その日はそのまま、藍晶はその山を後にした。

藍晶は自身の家に帰った後、工房の机の上に、持ち帰った鴗の死体と、抜け落ちた羽根を広げた。
鴗の体から、ぎりぎり使えそうな羽の検分をして、幾つかを根元近くで切り取る。
羽の中には、一枚だけ血がついたままのものがあった。
藍晶は、商品にするのに問題ないくらいには血を洗い落としたが、どうしても跡が残った。
これ以上強く擦り洗いをすれば、羽事態が消耗してしまう。
藍晶は、いやこれで良いのかもしれない、と思った。
神聖に感じる程の碧い色の中に、一筋だけ遺された生き物の肉の熱が通った、血の赤。
これは、最期まで鴗が懸命になって生きようとしていた証拠だ。
自分のしている事は、完全に自己満足だろうと、藍晶は思う。
けれども、これが唯一自分に残された、弔いの形であろうことも。
この鴗が、山の中で必死になって生を紡いでいた事を、死んだ後にも、誰からも忘れて欲しくはない。
一つの命を、その上から偉そうな目で眺める事でしかものを語れない、傲慢な一人の人間である事は、分かっているつもりだ、けれども。
今ここで、自分にしかできない仕事があると、藍晶は思い、無心に机へと向かった。

ある朝、藍晶の店の前には人だかりが出来ていた。
久しぶりに、藍晶が店先に新作の飾りを見せたかと思うと、その中に一つだけ歪な赤が混ざっていたのだ。
その頭飾りは、他の飾りと比べて随分小さい。
小鳥一羽分の羽しか使われていないようで、それでも完成するのに足りたのが、不思議なくらいだった。
中心の丸い部分だけ赤に、周りは碧の花弁に囲まれた花の飾りの髪飾りは、形は周りの見事な細工とそれほど変わらないだけに、いやに赤が、人の目をひいた。
その赤は、まるで見ているものに何かを訴えかけるような、そんな力があるようだった。
藍晶が珍しい作品を出した、と噂を聞いて見に来る人々は、口々に色んなことを言い合った。
「あの赤い部分は、一体なんの鳥の羽が使われているのか」
「あれは藍晶の失敗だ。金を勿体なく思う余り、質の劣る羽を使ったのだ」
「作っている途中で、何かの染料を零したのか?」
「それを承知で店先に出したのか?あの藍晶が」
「あいつはついに、腕を落としたのか」
「いや藍晶は、新しい表現に挑戦したのではないか」
どの人も、それぞれ勝手な言い分を勝手に抱いて、噂しあった。
そのどれもが、全く的を得ていなかったが、藍晶にとっては、どうでもいい事だった。
自分の仕事は、やり遂げた。
それをどう感じるか、後のことはそれぞれ勝手に感じればいいが、あの鴗が間違いなく今まで生きてきたことを、点翠にする事で残したかったのだ。
あの鴗は、自宅の裏出にある墓に、埋葬した。
そこには、猟師から受け取った他の死体も、同じように埋めてある。
供養の為と、風切羽や他の羽根を切られた小鳥達が、あの世でもまた伸び伸びと飛べるようにと願いを込めて、毎月決まった日に近くの寺から坊主を呼んで、経と線香を上げてもらう決まりになっていた。
藍晶は毎朝必ず、自分が朝餉をするより先に、墓の前に水と穀物の餌を供えていた。
作業に熱中しすぎて、徹夜したまま朝を迎え、重たい瞼とはっきりしない頭を抱えても、それを怠る事は、絶対にしなかった。
彼等の犠牲があって、自分は毎日、食うに困らないで済んでいる。
それを思うなら、こんな事なんでもない。
穀物の餌は、あの鳥屋から買ったもので、偶に蟻や他の小虫を呼び寄せていたが、掃除を苦に思う事も無かった。
虫だけではなく、時には鴉を呼び寄せる事もあったが、腹が減った彼らを咎める気にはなれず、近所の迷惑にならない程度で、餌を食べるのを容認していた。
藍晶はあれから燃え尽きたように、机に向かう情熱を無くしてしまった。
いや本音を言うと、何十年慣れ親しんだ作業の動きを、今もしたくて堪らない。
天翠と呼ばれた男は、伊達や酔狂で細工師になってのでは、決してない。
点翠細工の仕事は、呼吸をするように、鳥が優雅に空を飛ぶように、藍晶にとって生きる上で当然で、当たり前の行為だった。
本当のところは、やる気がなくなったのではなく、自分の生業に対して、このまま続けてもいいのだろうか、と思い悩んでいたのが原因だった。
このままこの仕事を続けていけば、間違いなくそれによって命を落としていく鴗がいる。
それらは、ほかの家畜のように人間の糧になる訳では無い。
ただ貴婦人の頭や胸元を飾り、美しいものに仕立てられるだけだ。
食われる方がまだましだ、と言うつもりは毛頭ないが、装飾品など生きる上で、絶対に必要なものでは無い。
金持ちの中には、美しく華美なものが無いと生きるのに耐えれない、という者もいるだろうが、その主張と鴗の命とを天秤にかけたら、どうしたって命の方が重く、鴗の方へ傾く。
それに鴗達だって、この世に生を受けた以上、それぞれが立派に寿命を全うし、死んだ後も土に還って、山の中の一部になることが、幸せなのではないか。
そのような考えが、ずっと藍晶の頭の中を巡り続け、答えが出ないまま、毎日を過ごしていた。
作業をしたい気持ちも、雪片のように積もるばかりであったが、こんな中途半端な気持ちのまま、机に向かうのは、点翠とそれに携わる様々な人達、これまで培った自分の技術、それから犠牲になった鴗達に申し訳ない気がして、それが勝っていた。
自分一人で考え込んでいても、仕方の無いことだが、これを人に話して答えを貰う事は、安易な道に逃げるようで、何となく出来なかった。
そういった気持ちのまま半月が過ぎて、もうこれならいっその事、職を変えて漁師にでもなって港町でのんびり暮らした方が、なんて半分冗談めかして考えるようになった。
幸いにも、まだ貯蓄は残っていたが、藍晶はそれを憂さ晴らしに、豪勢に使う事も出来なかった。
溜息をつきながら、気分転換に少しだけ外の空気でも吸おう、と店の外へ出た。
そこで、藍晶は一人の僧侶と目が合った。
店先にあれだけいた人混みも、今では飽きたように居なくなって、人々の間では他の話題が持ち切りだった。
娯楽の少ない半分田舎のような場所だから、仕方がない。だからこそ、店先に誰か一人いるだなんて思いもしなかったし、しかもそれが興味深そうに点翠飾りを覗き込んでいる僧侶だったから、藍晶は心の底で少しだけ可笑しく感じた。
僧侶は、旅の修行僧といった出で立ちで、長い旅路間、衣服や被った笠はところどころ、土汚れや破れが出来ていた。
それでも僧侶は、それを気にもしない、にこにことした人のいい顔で
「失礼、あなたは店主でございますか」
と聞いていた。
「あぁ、俺がここの店主でもあり、細工師でもある」
藍晶は、もう何回こういう受け答えをしただろうか、と感じながら、いつも返す答えを言った。
「おお、職人の方が店も営んでいらっしゃるとは、珍しいですね」
僧侶がそう言ったので、藍晶は他の店がどういう形態なのかなどとは知らなかったので、単純にそうなのか、と疑問で返した。
「ええ、都では金持ちの商人が、腕のいい職人を何人も抱えて、店の方は違う人間に任せているのが多いですよ」
藍晶は、驚いたように僧侶を見返した。
「へえぇ、そういうもんかい。まあそうした方が、沢山稼げて効率がいいのかもしれんな」
「それは、職人が店と交わした契約によるようですが」
そのまま、藍晶と僧侶は、話し込んでしまった。
藍晶は、仕事一筋でこの近辺の事しか知り得なかったから、人の出入りが激しい都で、どんな風な点翠細工の技術があるのか、また流行りの傾向はどうなのか、店の風貌などが純粋に気になった。
それから回り回って、話題は藍晶の店先の、一点が赤い点翠細工へと移った。
どう伝えたものだろう、と藍晶は考え込んで、そこでようやく、旅に疲れた僧侶を長い間立たせっぱなしである事に気づき、家の中へと案内した。
僧侶は、長い間そうやって旅を続けてきたのであろう、人の気持ちは有難く素直に受け取るものだ、と
本当は泊まらせてもらうつもりで、心にもない気持ちで断りもせず、ただ静かに感謝致します、とだけ言って、家の中に招かれた。
「ほう、それは大変な苦労をなさって、あの細工を作り上げたのですね」
この僧侶相手だと、なぜだかすらすらと自分の胸の内を白状できた。
どうせ旅の人間だから、僧侶なのだからこのような人間の弱音は聞き慣れているであろう、という気楽さもあったのかもしれない。
他の人間に、少しは気持ちを吐けたせいか、なぜだか清々しい気持ちになっていた。
「俺は、仕事一本でここまで来た。ほかの取り柄なんて何もありませんし、難しい事はよく分かりません。」
「こんな俺でも、この仕事を続けていくべきでしょうか、それとももう一切合切やめにして、新しい道を歩むべきでしょうか」
僧侶は、老齢した古木のような雰囲気の、優しく齢を重ねた目元を細めて、藍晶に言った。
「正直に言うと、私も貴方がどういう道を選べばいいのか、分かりません」
「仏道の修行の道を歩んでいながら、未だ釈迦尊の足元にも及びない身、御容赦ください」
藍晶は項垂れながら、やはり自分で答えを出すしかないのか、と思った。
「……これで答えになるかどうか分かりませんが……」
その様子を見て、僧侶は重々しく口を開いた。
「殺生を禁じられた身でありながら、私は表に飾られたあの細工を見て、心の底から純真に美しいと思いました」
藍晶は、ゆっくりと頭を上げて、僧侶を見やる。
「確かにあの美しさは、生き物の犠牲があって初めて成り立つ。ですが、それを美しいと思う気持ちは、釈迦尊の足の裏を汚さないようにと、明かりを灯したように咲く蓮の花を見たのと、同じような物ではないのでしょうか」
藍晶は黙って、僧侶の話に聞き入る。
「私はこのような身でありますから、さすがに殺生を肯定できる訳ではありませんが、美しい物を美しいと思ったその時の純真な気持ちと感動、それは修行に明け暮れた身であったとしても、決して忘れてはいけないように思います」
「そんな気持ちも忘れて始めて、悟れるのかも知れませんが、私は感情を全てなげうって悟りへと至る独りよがりな道よりも、もっと人々の迷う声に耳を傾けたく思います」
僧侶は、困ったように笑う。
「貴方や猟師の方が、仕事の為生きる為に殺生をするのなら、その手を汚させているのは、間違いなくそのような品を欲しがる私達のせいです」
「そんな、さすがにあなたは……」
言いすがった藍晶の声を手で制して、僧侶はまた答え始めた。
「同じ事です、私がこうして腥(なまぐさ)ものを断ち、穀物や野菜を食べる事で命を長らえているのも、ひとえに他の人々へ食料を渡してくれる方々がいるおかげです。そうでなければ皆飢えて、世が荒れ果てる。私も僧侶になるどころではなく、飢えて死肉を漁っていたかもしれません」
神妙な面持ちで、藍晶は話に聞き入った。
「例え肉や魚でなくても、野菜や穀物を育てるのだって他の人の手が、いくらでも要ります。それにそれらだって肉や魚と変わらない命です。私達は……命は結局、他の命の犠牲無しには生きられません」
「太鼓を作るのにだって、牛の皮を剥ぐ人がいる必要が有ります。桶を作るのにだって、木を切り倒す人、その材木を運ぶ人、その材料を元に桶を作る人。一人の人が生きるために、最低限必要なものを揃えるだけでも、大勢の人の手が必要です」
「ですから、私達は貴方やそのような人達に対して、自分では負えない罪を、少しずつ被せているのです」
僧侶は、藍晶の気持ちを汲んで、そう言ってくれたのかもしれないが、藍晶は自分の所業を、鳥からすれば快楽殺人者であろう自覚だけは、しているつもりだ。
そして、点翠の輝きにどうしようもなく魅了されて、このような道を自ら進んで選んだ。
人から作れと言われたからやったまでで、自分はこれっぽっちも悪くない、などと宣うのは絶対に許されないであろう事も。
「私は、貴方や犠牲になった鴗達に対して、経を上げることしか出来ません。鴗達の魂が成仏できるよう、貴方がした行いを少しでも釈迦如来に許してもらえ増すように」
藍晶は、僧侶のその言葉を有難く受け取った。
例え、人の世で裁く程でもない、目に見えない罪を幾重にも重ね、死んだ果てにお前は地獄行きだと言われても、自分に出来ることはそれを甘んじて受け入れて、苦渋から解放されるその時まで耐えしのぶ事だけだろう。
そう思うと、今まで一人で考え込んでいたのが、途端に少し馬鹿らしくなった。
結局人間には、例え小鳥一羽の命でも、代償として払えるものは何も無い。どれだけ努力を重ねようと、その小鳥が生き返るわけでも、罪が許される訳でもない。
その罪を被って生きていくしかないのだ。
なんともありきたりな結論に至ってしまったが、大昔から今日まで、大勢の人間が考えあぐねた末に、出た答えがそれしか無いのだから、藍晶一人で頭を捻ったところで、素晴らしい解決法が出てくる訳では無い。
それがあるのなら、もうとっくに世界は、素晴らしいものになっているだろう。
「私は、先程のあなたの話を聞いて、良い試みだと思いました。鴗が可哀想だから、と点翠を作ることを辞めてしまえば、それまで培われてきた技術も何もかも、失われてしまいます」
「けれども貴方はその道を行かず、命を殺さずに、また点翠が作ることも可能なように、両方の道を選びました。」
「けれども、今こうして迷っています……」
情けない自分を恥じるように、藍晶は言ったが、僧侶はその気持ちを優しく包み込むようにして、答えた。
「それは、貴方が本気で点翠と鴗の命に向き合っているからです。」
藍晶は、頭上から一筋の光が差し込んできたような感覚を得て、はたと顔を上げた。
「もしかしたら、貴方が一生を費やして考え込んでいても、答えは出ないかもしれません。けれども、答えが出ないと、問う事を諦めれば、そこで道は終わってしまう」
「私から言えることは、そのような事しかありません」
僧侶は、話し終わったのだという態度で、顔を下に向けた。
藍晶も、心の底から感謝を込めて、僧侶に頭を下げた。
その日、藍晶はやっと机に向かう気になった。
今ここには造羽しかないが、色々とふっ切れた今の自分の技量を、試したかった。
僧侶は、それを傍らで店先と同じように、興味深く覗いていた。
僧侶は、作業の邪魔にならないように気を使いながら、工程を眺めているうちに不思議に思ったところを、藍晶に色々と質問をした。
藍晶も、勿体ぶらずに丁寧に根気よく、僧侶へ教えた。
その傍ら、頭の中でこう思った。
この僧侶は、きっとどこかの村へと着いた時、さっきのやり取りと同じようにして、長老かどこかの家に招かれるのだろう。
その家に子供でもいたら、珍しい旅の風景や、見てきたものの話をせがまれるに違いない。
そこでもし、点翠細工の話が出たら、僧侶は目の前で藍晶が作業をしているように、華麗に語ってくれるだろう。
その話に目を煌めかせ、興味が湧いた子供が、大きくなって村の外へ出歩けるくらいになったら、藍晶の店先にまで足を運んでくれるかもしれない。
それとも、弟子になりたいと門戸を叩くかもしれない。
どちらにしても、自分に都合がいい様に妄想している事は否めなかったが、そうやって素晴らしい芸術品が人から人へと伝わり、点翠細工が、昔から今まで伝わってきて、藍晶がそれをまた後世へと伝える一つの架け橋になっているように。
これからも、培われてきた技術とそれを十分に生かすための知識、その他の細工に携わる諸々が、もっともっと見た目の魅力を増しながら、人にも獣にも優しいものになりながら、未来へと伝わっていけば、そんなふうになれば、嬉しい。


翌日、もう十分世話になったと僧侶は店先から、出て修行の旅へと戻って行った。
沈みかかった夕日に重なるその背を、藍晶は夕闇の奥へと消えるまで、いつまでも見送っていた。


(ヘッダー画像はこちらから使わせていただきました→ <a href="https://www.photo-ac.com/profile/2407088">zinzin5625</a>さんによる<a href="https://www.photo-ac.com/">写真AC</a>からの写真
)






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