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ショートショート『常にもがもな』

ひとりの老いた男が、四十を越えた息子をまえにして、お盆の帰省で息子の妻が一緒に来ないことを怒っていた。叱られた息子は汗をかき、視線が定まらない。老人の言うとおり、息子の妻は口うるさい舅と会うのが嫌で、夫と高校生の娘ふたりだけを帰省させていたのだ。その娘ふたりも家につくなり退屈だと言って、近くの街にでかけていなかった。

「おまえの娘たちもなっとらんな。まるで男の話し方をしよるじゃないか。それに今の流行の言葉使いなんだろうが、まるで意味がわからんし、早口でうるさくてかなわん!」

「親父のいうこともわかるけどさ、歌も言葉も世につれというやつだよ」

老人は天井をみあげて、

「なんとも嘆かわしい日本になったもんだ。日本語が美しかった平安時代が懐かしいわい。わしはもう寝るぞ」

まだ夕刻で眠たくなる時間ではない。ようするにふて寝だ。

老人の妻に布団を敷かせ、そのままごろりと綿布団にもぐり込んだ。すぐには眠れまいと思っていた老人だが、久しぶりに興奮したせいだろうか、しだいにまぶたが重く感じはじめた。しかし、なにやら人の気配を感じ、まぶたをゆっくりと開けてみて驚いた。なんと、十二単の衣を着た、目も麗しい女性が優しげな顔をして立っていたのだ。

「あの、どちらさまですか?」

老人は恐る恐る訊いてみた。女性はその問いには答えず、

「人も恨めしあぢきなしぞ」

と誰かを恨めしいと思うのは無駄であるという意味のことを、小声で言った。その気品のある言い方に聞き惚れた老人だが、どんな意味なのかはわからない。そのあとも平安の頃の言葉で語りかけてくるが、老人にとってはちんぷんかんぷんだ。

老人の平安時代の先祖が、古き時代を懐かしむ心に誘われて夢枕に立ち、平安時代の言葉で話しかけてきたのだが、老人は意味不明の方言だと思ったようだ。

しだいに腹を立てはじめた老人は、

「どこの地方の方か知りませんが、標準語で話してもらえませんかね。だいいち、突然、寝床にやってきて失礼でしょう」

と、女性をにらみつつ言った。

女性は老人の思いを感じとったのか、袖で顔を隠し、

「世の中は、常にもがもな、渚漕ぐ、あまの小舟の、綱手かなしも」

と、鎌倉右大臣の和歌を詠んだ。世の中は、つねに変わらないでいてほしいものだという意味あいの和歌だった。女性は寂しげな顔を隠したまま、霧の如く、静かに消えていった。

(fin)

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星谷光洋MUSIC『 大好き 』


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