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新しいものは古くなる(ハラスメントについて)

時代劇、歴史ものはすでに古い?ものなので古さを感じさせませんが、とくにSFで未来を描いたものは、10年もたたないうちに、時代、社会が追いついてきて、SFに描かれたものがすべてではありませんがリアルになりがちです。

映画やドラマで、そのとき流行っている音楽や歌が使用されているのを聴くと、やたらと懐かしい気持ちがわいてきます。ですが、クラシック音楽、演奏はなぜかいつまでも新鮮に聞こえます。

あたりまえのお話なのですが、未来的で新しいものほど、時間がたつほど色褪せるといいますか、古く感じるものですね。

新しいものと古くなるものといえば、テレビやラジオを視聴していますと、今はその発言はNGです。コンプライアンス違反ですというトークにどうも引っかかりを感じます。

相手の容姿のことをいう。会社で女性にお茶くみをさせる。セクハラ、パワハラはいつの時代でもNGだと思います。以前は言いたくて言えない環境、社会だっただけで、以前も今もNGなのだと思います。
いまだにチームのコーチ、監督、上司、市長、町長のセクハラ、パワハラのお話を聞くたびに、人類も社会も進歩がないものだなと思います。

今は「まる(。)はら」やそれもセクハラ、パワハラなの? と驚くことも多いのですが、要は、「想像力」が希薄だからと思います。思いやりがないからだと思います。

自分だけをものさしにして、自分はそれくらいはOKだと、許容範囲だと思い込んでいるからセクハラ、パワハラになってしまうのでしょう。人によって許容範囲は異なりますし、相手によって許容範囲がかわるということなので、人間関係はほんとうに難しいものだと思います。

おたがいのことを、受け入れあえる人とのつきあいを大事にしたいものですね。
それにしても、とくに、自主規制が厳しくなって、筒井康隆さんが、「断筆宣言」をする前から、言葉狩りが多くなり、SNSでも日々、炎上が増え、窮屈な世の中になっているなとは思います。願わくば、もう少し、寛容な社会だといいなあと思います。

               (了)


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