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読書感想文「99%離婚」

*本の内容についてネタバレあります。

衝撃的な本に出会った。
ずっと探していた答えにようやく辿り着けたようだった。


こちらの本2冊セットは、モラハラを自覚した夫および父親が自分を変えようともがく物語。
表紙だけ見て、よくある一方を悪者としてかいて断罪するスカッとジャパン系かと想定していたが、実際は全く違った。
なぜモラハラをするのか、してしまうのか、どうしたら変われるのか、そういった加害者の構造のようなものが丁寧に書かれている。

私は自分の父親と絶縁状態だ。
でも、父が何なのか何だったのかずっと疑問だった。
頭も良いし、その気になればいい人のようにも振る舞えた。かなり身勝手ではあったが、寂しがりやで人間関係の必要性は理解しているように思えた。やさしさや愛情が全く存在しない人間にも思えなかった。
でも、子供の作ったご飯が不味かったら罰のようにゴミ箱に捨てるし、不機嫌になるとこれみよがしにモノに当たり散らしベランダから家電や私のゲーム機を投げ捨てた(余談だが、私がゲーム機を自分に買い直そうと思えたのは結婚して何年も経ってからだった)
出先や出かける際に、子供のわたしがもたつくと一気に不機嫌になり怒鳴りながら家に戻っていく。私と母を置き去りにしたまま。

疑問だった。なぜ、分からないのだろう?やったらいけないと分かりそうなものなのに。それすら分からないような頭の悪さには思えないのに。

本をたくさん読んだ。
サイコパスの本、境界線パーソナリティ障害について、愛着障害について。
中身は全部同じだった。
そういう人は、他人への愛がない、そういう生き物でありモンスターのようなものです。あなたには助けられませんし治りません。かかわるとこんなに悪いことがあります。逃げましょう。

本当に?父は人の心が分からないモンスターなのか?
その仮説は二重に私を苦しめた。父親がモンスターだと認めたくないというのももちろんあったし、もし先天的なものなら自分がモンスターだったりモンスターを産んでしまう恐れもある。

でも、この本を読んで初めて納得できた。
父はある一本の理念に基づいて行動していただけのただの人間だったのだ。
「俺は外で頑張って働いている。そして家族を養っている。だから家の中ではみんなが俺を気にしてケアをすべき」もう少し踏み込んだ言い方をするなら、「オレは家族からケアされるべきだが、おれは誰もケアしない」というケアの搾取だ。
先天的なものでもなんでもない。昭和の価値観が産んだ悲しい結果だ。
この本で初めて父の行動の全ての整合性がとれた。
自分のケアは求めるのに、他の家族がケアを要求するとわがままだと思ってしまう。自分が正しいと分からせるために罰を与えねばと考える。愛情があっても、あればこそその態度が正しいと思ってしまう。だって賢くて社会を分かっているのは自分で、分かってないほかの家族を導かなくてはならないから。
モンスターではないのでもちろん変われる。ただし自分の加害性を自覚して望むことができるなら、、、

1巻目はモラハラ夫の野沢さんが、子を連れた妻から別居を叩きつけられるところから始まる。

最初、夫は自分が何をされたのか全くわからず、むしろいきなり出ていかれて自分は被害者だと激怒する。
しかし、元モラハラ夫離婚済み子供と絶縁状態の、上司鳥羽さんからの助言を受け、自分の加害性に気づき、向き合っていく、という話だ。

印象的だったのは自分の加害性を意識するには、自分が受けた傷を自覚せねばならないということだった。
加害者はモンスターではないので、こうなってしまった原因がもちろんある。自分の生育環境だ。
間違ったコミュニケーションを学んだのでその方法でしか振る舞えない。
また自分が加害者であると判明すると、自分も親から受けたのは教育ではなく加害だと気づいてしまう。だから認められない。
「相手を害しようと思って振る舞っているのではない。自己防衛の反応としての結果加害してるのがモラハラ加害者である。」これは私が追い求めていた答えだった。
まさに、父が私を痛めつけようと意識しているようには思えなかったのだ、ずっと。

2巻目は、1巻目から仏の上司としてモラハラ夫野沢さんを導いていた元毒親の鳥羽さんと、その父親と絶縁状態の娘奈月さんとのお話。

奈月さんと私の境遇は、ほぼ同じなのではないかというほど似ている。
父親に虐げられる母親を見て育った反面教師で、自分のキャリアに固執する様。(私は彼女のようなバリキャリではないが、正社員として働き続けることに他の女性よりも強くこだわっている)
結婚式に父親を呼ばず、孫の顔も見せない。そもそもその事実を知らせすらしない。
でも、穏やかな父の現在の写真を見ると、愛されたかったと思うこと。
自分の傷を自覚しながら、会社の後輩にかなりきつい言い方をしてしまう(今はそんなことないが、昔きつい部署にいた時はそうだった)
あと、偶然だが、名前も一文字同じ。
奈月はまるで私のよう。読みながら少し泣き、奈月をなんどもハグしたくなった。作品の後半、奈月が過去の自分を抱きしめたように。

1巻目は加害者の更生と許しの話だった。
2巻目は、更生した元加害者と被害者のその後の人生の話になる。

2巻目が素晴らしかったのは、娘が父親を許さず、会うこともなく、父親からの謝罪の手紙すら破り捨てたまま関係が終了したことだった。
1巻目はではモラハラ夫は妻に許された。まだ関係が完璧に破綻する前だったということもあるし、また夫婦とは成人した大人が選んだパートナー同士なので、許しという結末は安堵があった。
でも親子関係は違う。親子にはスタートラインから変えられない強烈なパワーバランスの格差がある。
だから許すというのは並大抵なことではないのだ(夫婦だからといっても勿論並大抵のことではないが、、、)
許せなかったが、奈月さんは穏やかな現在の父の写真を見て泣く。その気持ちが痛いほど分かった。

本書から、私は2つのことを学べた。

1つは父は私を愛していたということだ、たぶん。少なくとも父はモンスターなので愛情など存在していないと考えなくて良さそうだ。野沢さんも鳥羽さんも娘を愛していた。結果的に加害になったとしても。
ただ、本書からは、被害者からのアプローチでは加害者は一切変わらないとある。加害者が自分から気付かないと意味がないのだ。だから私から連絡を取ることは今後もないだろう。

もう1つは、きっと私は大丈夫だということだ。大丈夫というのは、モラハラ妻や毒親にはおそらくならなくてすみそうということだ。被害者に必要なのは、自分の傷を認めることだ。そうしないと被害者は次の加害者になる。虐待は連鎖するというのはそういうことなのだ。産まれながらの加害者などそれこそモンスターくらいしか存在しない。加害者の多くは元被害者なのだ。
でも、私は傷を自覚しているし、必要あれば話し合いも自己開示もできる。完璧ではないが努力できていると信じたい。
あとがきに、加害的な行為をすることが問題なのではない。指摘された時に認めず反省せず責任転嫁することが問題と書かれていた。その言葉を心に留めて生きていきたいと思う。

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