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今は、まだ練習期間。

「綺麗な言葉を紡げる人になりたい」

きっかけはもう思い出せないけれど、
この言葉が浮かんだ時、すごくしっくりきたような気がする。

今年2月から再開した、3年ぶりの気まぐれ日記。
先日、ふと思い立ってページを遡ってみると、
そのときの感情や出来事が浮かび上がるよりも先に、心がそわそわした。

理由はきっと、思いつくままに書き残しているから。

気持ちは言葉にすると、
違和感か納得感を連れてきてくれる。

「なにか違うな」か「こう思ってたんだ」
しっくりくるか、こないか。

もちろん、どちらも強くは感じないこともある。
しっくりきた言葉のいくつかは、
いつか、全く同じ言葉で、ふっと頭の中に浮かぶ。
そのときもう一度、違和感か納得感を連れてくる。

私が日記を書き直すことはほとんどなくて、
文字にした瞬間に違和感を抱いても、そのままにしてしまう。

遡った時は、違和感のある言葉が多く目についてしまった。
そういうことなのかもしれない。

でも、ここでの違和感を感じる言葉は、書いた時と読んだ時の気持ちが一致していないもののことではなくて、
文字にした瞬間からしっくりこなかったり、
どんな気持ちで残した言葉かわからないくらい、瞬間的だったり、
もう一度触れるのが辛いと感じてしまうくらい強すぎる。
そんな言葉たちのこと。
読む時には考え方が変わっていたとしても、納得感を持って残した言葉ならばその時を思い出すきっかけになる。

それなら違和感は少ない方がいい。
気がついた時、思い出した。

「綺麗な言葉を紡げる人になりたい」

そうだった。
納得感を持って残した言葉には、もう一度触れても綺麗だと思うものが多い気がする。

それなら、私はどんな言葉を綺麗だと感じるのだろう。

美しい、易しい、長すぎない、あたたかい言葉。
そんな言葉をごく自然に扱っている人を、素敵だと思う。

ところで、綺麗とはどんな意味を持つ語なのか。
手持ちの電子辞書を引いてみる。

きれい【奇麗・綺麗】
・見た目が華やかで、美しく心地よく感じられるさま。
・音声が心地よく聞こえるさま。
・心の汚れや、やましさがない。また、未練がましくなく潔い。
・整然として乱れたところがない。
・余計なものが全く残らないさま。

明鏡国語辞典(一部抜粋)

私の思う “綺麗“ とは、受け取った時に心地良いということなのかもしれない。
もしくは、耳障りでない言葉。

あまり素敵な表現ではないけれど、
耳障りでないというのは、私にとって大事なこと。
発信されたこと以上を受け取りにいってしまうことが、よくあるから。

言葉の強さ、調子、発信のタイミング。
そういったことから、どんな気持ちで発信したんだろう。と考える。
考えすぎて、不安になってしまうこともある。

私が発信する時も同じ。
大きな発信をしたあとには、脳内反省会が開かれる。

だからこそ、話し方が素敵な人に出会うと、嬉しい。そんな人になりたいと思う。
内容だけでなくて、自分から生まれた素敵。好き。のプラスな気持ちも受け取ることができるから。
その一方で、苦手な話し方と出会った時は内容が入ってこないこともしばしば。

発信する時でも、受信する時でも素直に、言葉のまま受け取ることができる人もいる。
そんなことに気がついたのは、ごく最近。

だから、受信の時は気にしすぎない。でも、発信は意識する。
これが、なかなか難しい。
気にしすぎないは期待しすぎないに繋がっているみたい。
加減が難しくて、気にしないと期待しないが繋がってしまうこともある。
意識しすぎると、発信の数が減ってしまう。

今は、まだ練習期間。

noteは誰でもみることができる場所に置くものだから、いつもよりほんの少しだけ時間をかけて、丁寧に言葉を選ぶ。

綺麗な言葉で発信する練習。
今を納得感のある言葉で残す練習。

受信の練習の方が難しい。
負のフィルターをかけずに受け取ることを意識してみる。
あたたかい言葉を大切に受け取る。

誰かにとって心地良い言葉、大切な人たちに届く言葉を自然と選べるように。


なんだか、とても長くなってしまった。
これももまた、練習。
noteに慣れる練習。

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