労働判例を読む#363
今日の労働判例
【国・人事院(経産省職員)事件】(東京高判R3.5.27労判1254.5)
※ 週刊東洋経済「依頼したい弁護士25人」(労働法)
※ 司法試験考査委員(労働法)
※ YouTubeで3分解説!
https://www.youtube.com/playlist?list=PLsAuRitDGNWOhcCh7b7yyWMDxV1_H0iiK
この事案は、トランスジェンダーの職員Xが、勤務先の経産省Yで女性として処遇されるように申し入れてきた事柄や経過について、Yの対応や決定に問題があるとして争った事案です。Xが問題にしたY担当者の言動や、Yの決定(Xの要求を拒否するものなど)は多岐にわたります。
1審はこのうち、女性トイレの使用制限(執務室の上下1階の女性トイレの使用を禁止)と、上司Aの「なかなか手術を受けないんだったら、もう男に戻ってはどうか」という発言について、違法であると判断しました。
2審は、後者の判断は維持しましたが、前者(トイレ制限)について判断を覆し、トイレ制限についてのYの責任を否定しました。
ここでは、トイレ制限の問題について検討します。
1.1審との違い
1審と2審で、特に目新しい事実が認定されたり、事実認定がひっくり返されたりしたわけではありません。また、トランスジェンダーの「性自認」に対する人格的利益は法的に保護される、とされる点について、説明の方法が若干変わったものの、法的に保護されること自体に変更はありません。むしろ、2審では「性自認」の重要性を独立した1つの論点として取り上げて強調していますので、法的保護の重要性について2審の方がより積極的であるとみることも可能です。
この中で、2審が1審の判断を覆したポイントは、国賠法(不法行為)上のYの義務違反の有無に関する評価です。ここが、本事案の中心的な論点でもあり、1審2審いずれも相当なページを割いて検討しているところですから、ポイントを絞ることは容易でありませんが、以下のように対比できるでしょう。
まず1審ですが、1審はこの事案でのX個人の問題であることを特に重視して、個別のXの事情とYの事情を比較考量している点に特徴があります。
つまり、一方で、Yが女性トイレを使用した場合の問題は抽象的で小さい(女性の格好をしている、個室である、女性ホルモンの使用などで男性的な性的衝動の危険が極めて小さい、社内説明会で女性参加者から否定的な発言が無かった、など)のに対し、他方で、Yが男性トイレを使用した場合の問題は具体的で大きい(女性の格好をしている、実際、男性トイレに女性の格好をしたXが入ったところ、そこにいた男性が慌てて外に出たことが何度かあった、身体的にも女性になるための性別適合手術をXに強制することになる、など)、という比較が、判決理由の中で大きな比重を占めているのです。
これに対して2審は、特にプロセスを重視しています。
すなわち、XがH7に経産省に入所、H10から女性ホルモンの投薬、H11に性同一性障害の診断、H19から私的な時間でも女性として生活、H21に上司に女性として勤務したいという希望を伝え、Yが検討を開始した、と認定しました。さらに、Xの希望を受けたYの担当者が、人事院に対して性同一性障害の職員への処遇の事例を問い合わせたり、X本人に性転換手術を受ける意向(後に、体質的な理由から手術を受けられなくなった)や、Xが医師から女性としての実生活経験を(性転換手術前に)積むべきと言われていることを確認したり、顧問弁護士から他の職員への配慮が必要などの助言を得たりしたうえで、Xの希望への回答を検討しました。そこではたしかに、ここで問題となっている女性トイレの使用可能箇所の限定が付されている部分のほか、通称名の使用は認めないものの、他方で、服装自由、女性休息室の利用自由、乳がん検診受診肯定、出勤簿のインデックス(男女で色が異なる)の男女の区別をなくす、など、Yの側もXの要望を相当程度受け入れました。
このように、Yはそれなりに手間と時間をかけてXと話合い、それなりにXの要望に応えてきました。
そして、このように一度合意が成立して女性としての勤務が開始し、周囲も受け入れ始めてきたところで、Xとしてはより踏み込んだ対応を求めるようになった、と言えるでしょう。2審も、Y側が、本件トイレの使用に関するルール(特に、使用可能な階が制限されている点)が簡単に変えられないとしている点の違法性が、論点である、と論点を整理しています。
そのうえで、①一度決定した階数制限のルール自体「著しく不合理」とは言えないこと、②それを変更すべき「客観的な事情の変更」が生じていないこと、を主な理由として、Xの請求を否定しました。
このうちの①に関して、相当程度のやりとりがあった上でなされた合意であることが、特に①を基礎づけていることが理解できます。
2.実務上のポイント
この経産省事件は、マスコミなどでもそれなりに大きく報道されました。そして、1審の判断が否定された、という結論だけを見て、トイレの使用制限が許された、と短絡的に誤解している人も一定数いるようです。
けれども、結論として逆となりましたが、2審は、「性自認」の法的な重要性を否定したり、低く評価したりしたのではなく、折に付け繰り返し「性自認」の重要性を強調しています。むしろ、トイレの使用制限が許容された、と評価するのではなく、従業員の要望に対して相当の検討と対応をしたことが重視されて、やっとトイレの使用制限が一部認められた、と評価すべきでしょう。
他方、実際に要望があれば(制限付きとはいえ)トイレ使用を認めなければならないのかというと、それも違うでしょう。この事案では、Xが男性としての性的な衝動をほぼ完全に喪失しており、女性トイレで女性に危険を及ぼす可能性のないことが医師によって証明されています。同じように、身体と「性自認」が不一致している場合であっても、トイレ使用に関して重要な要素となる性的な衝動に幅があります(バイセクシャルなど)。
さらに、男性の格好をしたまま女性トイレを使用する場合であれば、周囲への影響がより大きくなりますから、トイレ使用の制限の範囲や態様もより大きくなりうるでしょう。
このように、従業員側の事情の多様性と、実際の職場での状況の違い等を考慮すれば、この事案と判決から、トイレ使用の制限がどの程度可能であるのかを見極めることはできません。少なくとも言えることは、従業員と誠実に話し合ってルール作りの行われたことが評価された点が、今後の実務上の参考になるポイントでしょう。
※ JILA・社労士の研究会(東京、大阪)で、毎月1回、労働判例を読み込んでいます。
※ この連載が、書籍になりました!しかも、『労働判例』の出版元から!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?