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労働判例を読む#402

今日の労働判例
【Hプロジェクト事件】(東京地判R3.9.7労判1263.29)

※ 週刊東洋経済「依頼したい弁護士25人」(労働法)
※ 司法試験考査委員(労働法)
※ YouTubeで3分解説!
https://www.youtube.com/playlist?list=PLsAuRitDGNWOhcCh7b7yyWMDxV1_H0iiK

 この事案は、地方のアイドルグループYのメンバーとして活動していた高校生K(後に自殺により死亡)が、「労働者」に該当するとして、遺族であるXらが未払賃金等の支払いを求めた事案です。裁判所は、「労働者」に該当しないと判断しました。

1.判断枠組み
 ここで特に注目されるのは、労働者性を判断する裁判所の評価方法です。
 判断枠組みについて見ると、裁判所は多くの裁判例が判断枠組みとして用いる①諾否の自由、②指揮命令、③報酬の労務対価性の他、④芸能的要素を判断枠組みとしており、それぞれについて詳細な検討の上で、該当しない、あるいはその要素が弱い、と評価しています。労働者性に関する一般的な判断枠組みを、芸能活動についてアレンジしたものと評価できます。この点に関して言えば、事案に適した判断枠組みを柔軟に設定する最近の下級審裁判例の動向に合致します。
 さらに気になるのは、この判断枠組みを当てはめて実際に労働者性を判断する方法です。
 たしかに、これらの判断枠組みについて、一つずつ事実を当てはめ、該当性を評価しており、これらの判断枠組みに該当する事実の積み上げによって労働者性を判断しているようにも見えます(結果的に労働者性を否定していますが)。
 けれども詳細にこれを見ると、労働者性に該当すべき事情の積み上げによって判断しているのではない、と思われます。
 具体的には、労働者性がどこまで強いのか、という労働者性だけを対象にその程度を評価している、いわば絶対的な評価ではなく、労働者性と独立した事業者(ここではアイドル)と比較し、どちらの要素が強いのかを評価している、いわば相対的な評価をしているように思われるのです。それは、以下のような裁判所の判断からうかがうことができます。
① 諾否の自由
 諾否の自由に関し、公演やイベントへの参加が打診された際、実際にこれを断ることもできたことなどが認定されていますが、その中で、一度参加を表明した後に不参加を申し出た際、Y側からそれは許されない、という趣旨の発言があり、申し出が明確に否定されたことが、諾否の事由の不存在の根拠としてX側から主張されました。
 これに対して裁判所は、一度参加が決まった後に一方的に不参加を求められないことは、「自らの先行行為に基づく当然の責任」としており、諾否の自由を否定するものではない、としています。一度約束したことを一方的に破棄できないことは、契約上当然のことであり、この義務は、労働契約ではない通常の取引契約であっても発生するものです。すなわち、一度約束したことを一方的に破棄しようとすることを咎められるのは、労働契約固有の問題ではなく、一般的な取引でも当然のことであり、このことが事業者として締結する契約としての性格を否定するものとはなりません。
 このように、諾否の自由について、それ自体を絶対的に評価しているのではなく、他のサービス提供の契約形態と比較し、相対的に評価していることが分かります。
② 指揮命令
 Xが問題にしているポイントの一つに、イベントに欠席・遅刻した場合のペナルティー等があります。これは、イベントなどに参加した場合に支払われる報酬が、支払われなかったり(欠席)、減額されたり(遅刻など)する、というもので、これにより指揮命令が認められる、というのがXの主張です。
 けれども裁判所は、参加しないメンバーに報酬が支払われないのは「当然のこと」と、上記①での判断と同様の評価を示しています。また、減額についても、活動の成果に応じて減額するというものに「とどま(る)」と評価しています。前者(これは上記と同様)だけでなく後者も、一般的な取引でも当然のことであり、このことが事業者として締結する契約としての性格を否定しない、という評価が前提となっています。
 ここでも、指揮命令について、それ自体を絶対的に評価しているのではなく、他のサービス提供の契約形態と比較し、相対的に評価していることが分かります。
③ 報酬の労務対価性
 この点は、相対的な評価であることがより顕著に示されている点です。
 すなわち裁判所は、報酬が支払われるようになった経緯から、「収益の一部を分配するものとしての性質が強く、メンバーの労務に対する対象としての性質は弱い」としています。さらに、公演の際の販促活動への報酬について、公演に参加したくても参加できずに「販売応援にのみ従事したメンバーに対し、公平の見地から支払われていたもの」であって、「販売応援という労務に対する対価としての性質は小さかった」としています。
 このように裁判所は、報酬の労務対価性についても、他の性格と比較して相対的に評価していることが分かります。
④ 芸能的要素
 芸能的要素については、この要素を考慮すること自体が相対的評価であることを明確に示しています。芸能的要素が強ければ、相対的に労働者性が小さくなっていくからです。
 実際、裁判所は店舗での商品販売を応援していたとしても、それは「販売活動そのものとはいえず」、労働者であったとはいえない、と評価しています。
 労働者性を否定すべき要素として、労働契約とは異なるサービス提供契約の性質を表す「芸能的要素」をあえて明確に示し、これが満たされることが労働者性を否定する根拠の一つとしていることから、裁判所は、労働者性について、他のサービス提供の契約形態と比較し、相対的に評価していることが分かります。

2.実務上のポイント
 けれども、このように労働者性を否定した場合に認められるべきサービス契約と比較する、相対的な評価方法と異なり、労働者性となるべき事情を積み上げる、絶対的な評価方法を取っているように見受けられる裁判例も存在します(「エアースタジオ事件」東高判R2.9.3労判1236.35)。
 しかし、このような絶対的な評価方法によると、一般の取引契約であっても当然に認められるような請求権(例えば①で指摘したような、約束を守れ、という要求)までも、相手を強制する契機がある(したがって、諾否の自由が無かったり、指揮命令があったりする)要因の一つであるとして、労働者性を肯定する要素として評価することになってしまい、極論すれば、個人がサービスを提供する契約は全て労働契約に該当することになりかねません。
 このような誤った判断方法ではなく、労働者性の問題は他のサービス提供の契約と比較して判断されるべき、すなわち相対的に評価されるべき問題であると正しく判断されるべき問題です。
 とは言うものの、絶対的な評価をしてしまう裁判官も存在する以上、実務上は、絶対的な評価がされたとしても労働者性が誤って認められてしまわないように、契約の文言だけでなくその運用まで慎重に管理することが必要となります。

※ JILA・社労士の研究会(東京、大阪)で、毎月1回、労働判例を読み込んでいます。

※ この連載が、書籍になりました!しかも、『労働判例』の出版元から!


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