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私が東京高裁に提出した陳述書(6)~一審判決に対して

私がAV事業者から訴えられた名誉棄損訴訟(控訴審)で、東京高等裁判所に私が提出した陳述書を順次公開しています。

これまでの陳述書はこちら。


第6 一審判決について  

 原判決が私に対しては名誉棄損と侮辱を認めたことが到底納得できません。すでに代理人から主張が出されておりますが、私の言葉で付け加えさせていただきます。


1 「鬼畜のような人たちはみんな」の趣旨

(1)  上記のとおり、私の意図は「鬼畜のような人たちはみんな」と書いた通り、 一般論として、AV出演を強要したり、嫌がっているのに撮影して作品を拡散する加害者には責任を取ってほしいという意図でした。「みんな」の中には、既に紹介したBさんや■さん、私がこれまで涙なくして話を聞くことができなかった幾多の被害者の方々に、一生に消えることのない深い傷を残した、AV強要の加害者たちみんなが含まれています。
(2)  特定の人物への言及とは誤読されないように、

私はあえて複数形を使って「みんな」

と書き、N氏の名前も社名も、いかなる■■会社かすらも示さず、記事のリンクすら張りませんでした。


2 原告を指しているとの認定の不当

  にもかかわらず、原判決は、私の言及が原告を指していると認定しており、明らかに不当な認定であり、事実誤認にほかなりません。


(1)  原判決は私のツイートに寄せられた第三者からの返信をもとに、

     「一般の読者の普通の読み方」

 を論じていますが、多くの場合匿名で返信してくるツイッターユーザーの返信を根拠にして「一般の読者の普通の読み方」を決めることは極めて危険です。
  ツイッターにはしばしば悪質なコメントが寄せられ、意図的に発言の趣旨を曲解され、それが独り歩きしてバッシングに使われる傾向があります。

 特に女性や少数派の人権擁護活動に携わる人々はいわんとすることをしばしば意図的に捻じ曲げられます。 

 こうした発言者の真意を歪曲するコメントの弊害は、(略)かねて問題とされていることです。

 ツイッターに匿名の悪質なコメントを集積すれば、それが「一般の読者の普通の読み方」だなどとされ、自己の言論をおよそ全く意図しない内容に歪曲され、それが裁判所の名において認定され、そのための制裁を受けるようなことがまかり通れば、インターネット空間での人民裁判に裁判所が加担することになってしまいます。これは非常に危険なことといわなければなりません。

 しかも、甲2を見ると、原判決が引用した第三者のコメントは、それらへの「いいね」や「リツイート」がせいぜい一桁か皆無というものであり、こうしたごく一部からしか支持を得ず、注目もされない投稿に依拠して「一般の読者の普通の読み方」を決するということは非常に危険です。


  また、原判決は甲2の最初の返信を意図的に見落としていますが、この最初の返信(略)は、最も多く「いいね」ボタンがついている返信です。
                                             (略)
  原判決の論理に仮に従ったとしても、最も反応する者の多かったこの返信を無視、除外して、ごく少数の関心しか得ていない返信に依拠して「一般の読者の普通の読み方」を断定した認定は著しく公正性に欠け、不合理であると考えます。

(2)    また、判決は投稿した私の意図を全く無視し、「本件投稿はこれを一体として読むのが相当であって、第一文と第二文及び第三文とを分断して読むべきではない」などと認定しています。
   裁判所のように権力を有する機関に、自分の文章の読み方を勝手に「べき」などと決定され、自分の意図を歪曲させられることは極めて不本意で、恐ろしいことです。

   しかも原判決は「第一文と第二文及び第三文とを分断して読むべきではない」と認定する根拠すら示していません。
  ツイッターは140字以内の短文投稿ですが、1ツイートごとにリツイートされるため、意図を誤解されないためにも140字以内で完結させるメディアといえます。
  引用ツイートなどによく言えることですが、報道された具体的ケースの報道のリンクを引用したうえで、取り上げられた事象(例えば性暴力、痴漢、児童虐待、通り魔大量殺人事件など)について、一般の人が、痴漢は許せない、レイプや児童虐待をする人は鬼畜だ、人を巻き込むくらいなら一人で死ねばいい、などと一般論をコメントすることはしばしばあります。
     一般の人は報道された事案について報道以上に知りえる立場にないものの、ある種事件は発覚し報道された段階で衝撃的な社会現象として人々の心をとらえ、社会的議論を巻き起こすからです。
   刑事事件の判決確定前であっても、事件について報道をもとに引用ツイートをするなどして、報道にあらわれた事象に強い非難や憤りの感情を表明することや、それに対する対抗言論が表明されることは、インターネットの言論としてむしろ健全なことです。

   司法判断が確定するまでそうした議論は一切控えるべきだ、ということになれば、社会的事象の報道を前提としたソーシャルメディアでの社会的な議論は成り立ちません。

   本件のように、一つのツイート内に複数の文章がある事例で、裁判所から第一文と第二文及び第三文とを分断して読むべきではないなどと勝手に認定され、名誉棄損の責任を負わされることとなれば、インターネットを通した社会的議論は萎縮しかねません。

(3)   X新聞E月J日記事(乙12-1)を見ると、本件に関する報道は、
1)原告らが■■■■容疑で逮捕された事実と具体的容疑、
2)背景にあるAV出演強要被害に関する実態の紹介、そして
3)私のコメントとして、AV出演強要への■■■■罪適用の意義と期待、
の三つの部分で構成されています。
   実は、ツイッター用に圧縮されていますが、私のツイート投稿も同様に、原告らが逮捕されたこと、AV出演被害の深刻さ、法的責任への期待で構成されており、X新聞の報道の内容、構成とほぼ同じです。


TBSの報道(乙13-1, 2)は、
1)原告らが■■■■容疑で逮捕された事実と具体的容疑、
2)■■■■罪の説明、
3)私のコメント、
4)容疑者の認否に分かれています。


 TBS、朝日新聞、東京新聞が提訴された事案で東京地裁民事31部判決(甲26)は、TBSが放映した私のコメントについて「アダルトビデオ出演強要問題に関連する一般論」と述べ、「原告がアダルトビデオへの出演を強要したことによって逮捕されたとの印象を与えるものではない」と結論付けています。
同じことが私のツイートにも当てはまるべきだと考えます。

3 摘示事実
 以上述べてきたとおり、私は「原告が」嫌がる女性を無理やりアダルトビデオに出演させて(以下略)」と事実を摘示したものではありません。
   私は「鬼畜のような人なみんな」と一般論を言ったにすぎず、私の発言を判決の名において原告を名指しした発言だと断定されることは、私にとって冤罪と同視しうる不当な認定であり、決して容認できません。


4 社会的評価の低下に関する認定
 原判決は、「出演強要行為は、社会的非難の程度が非常に大きいものといえる。したがって、一般の読者の普通の注意と読み方を基準とすれば、本件投稿によって原告の社会的評価が低下した」と認定していますが、抽象論にすぎません。原審において、社会的評価の低下は何ら立証されませんでした。
   原判決は証拠に基づかずに社会的評価の低下を認定したと言えます。
  この点、別件東京地裁民事31部判決(平成30年(ワ)第27063号事件)は、

「本人尋問の結果によっても、近隣の対応が、本件各報道により原告がアダルトビデオの制作にかかわる業務を行っていることによることが知られたことや、業務に関連して淫行勧誘罪で逮捕されることによるものであるのかは明らかではなく、また、取引先の対応についてもいかなる事情で取引が中止になったのかは明らかでない」(甲26)

と認定して社会的評価の低下を認めませんでした。

   この事件の原告尋問を見ると、社会的評価の低下に関する原告証言は極めてあいまいであるうえ、私の言動に関する影響は一切言及されていません(乙24)。

  本件原審でも原告の本人尋問がありましたが、社会的評価に関する証言は極めてあいまいなものでした。


  「私のツイートについて連絡してきたのは業界関係者20名ほどと学校の父兄であり、業界関係者は「本当にそんなことしたの」「Nさん、そんな人じゃないよね」(尋問調書4頁)と連絡してきた」とのことであり、

 学校の父兄についても「Nさん、本当なんですかと、半信半疑で」(同7頁)とのことであり、それ以上影響を受けたとされる人物の特定がされていないうえ、裏付けもなく、さらに半信半疑などという反応から見れば、社会的評価の低下が立証されたとは認めがたいというべきです。


 さらに原審の内藤裁判官の補充尋問に対し、原告に連絡してきた人間は、私がAV業界に批判的な人間であると認識したうえで、心配して連絡をしてきたと原告は供述しています(尋問調書21頁)。
 原告尋問に指摘されているとおり、AV業界の関係者は私が同業界に出演強要が広がっており改善すべきだと提言していることを熟知しており(乙1、調査報告書参照)、関係者の多くは業界を脅かす敵対的存在として私のことを認識しています。

 そうした認識を前提に情報を受け取り、むしろ原告を心配して電話をかけてきた業界関係者の間で、私の言動による原告への社会的信用が低下したとは到底考えられません。

 原判決は、私が被害者や支援者などから聞き取り調査を行ったうえで報告書をまとめ提言を行うなどの活動をしたこと、TBSのニュースについてVTR取材に応じたことから、2にあげた事実を摘示すれば、閲覧者に対して、原告は、アダルトビデオへの出演を強要することを生業として利益を得ているとの印象を与える、と指摘しています。

 しかし、私の活動やAV強要問題に真摯に関心を寄せて様々な女性たちが被害を訴えてきた報道を見守ってきた人たちには、私が数多くの被害事例を認識し取り組んできたことを理解してくださるはずであり、「鬼畜のような人たちはみんな」との記載が原告だけを指すと誤解するとは考えられません。
   また、TBSに短いコメントをしたところだけを見た人にとっては、私がおよそ社会にあるすべてのAV被害に精通していると誤解することはないでしょうから、私の言動によって原告の社会的評価が低下するとは考え難いです。


 また、甲2の私のツイートに対する返信のなかで、私のツイートによって原告に対する社会的評価が低下したとの感想を述べている人はいません。

 なお、私が本年1月30日、「N」「AV強要」でGoogle検索をしたところ、乙25の検索結果となり、いまだ多数のサイトが原告とAV強要問題について記載していますが、私のツイートと関連しているものは確認できませんでした。
 私のツイートによって「社会的評価が低下」したとの原判決はこのように、証拠と事実に基づかない不当な認定です。


5 侮辱について
 原判決は私が原告を鬼畜と名指ししたと不当に認定していますが、私は「鬼畜のような人たちはみんな」と述べており、原告は鬼畜だなどと述べていません。この点は1,2に記載しましたので繰り返しませんが、「人たちはみんな」という文意を完全に無視したもので、冤罪に等しい不当な認定だと考えます。

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