おりど病院身体拘束裁判2022.5.11 証人尋問原告、後半

2017.7.7 14時30分頃、おりど病院に転院。

T看護師『入浴許可がでています。シャンプー、ソープは自宅から持参して下さい。オムツはこちらの物を使います』

7.10 17時 入院に必要な身の回り品に名前を書いて病室に向かう。
病室は四人部屋。入り口を入って左奥の窓際。
全てのカーテンが閉じていた。
"検査やリハビリで疲れて寝ているのだろう"とカーテンを開けて、私の全身の血の気が引いた。
頭が真っ白になった。
何故⁉️何故、何故何故、、
身体拘束を受けている?
何度も自問自答した。

母は両手と胴体を縛られて、死んだ様に横たわっていた。

鼻には酸素チューブを付け、ベッド左側は窓際の壁にピッタリつけられ、右側は2点柵、柵にはキルティングカバー。ナースコールは壁にかけられる。床にはセンサーマットが敷かれていた。
両手の拘束具は腕が全く曲げられ無い様にベッドに固定され、大人用の胴抑制帯は小学3年生ぐらいの体型である母の横隔膜をきっちりゆとりなく締めていた。

人間、横隔膜が動かなければ呼吸が出来ない。
肺疾患の患者に胴抑制帯はしない。
肺炎の患者に胴抑制帯をすると言う事は"死ね"と言ってると同じ事。

兎に角、呼吸が楽になる様、肺の面積を広げる姿勢の起坐いにしよう。しかしこのまま頭の方を上げれば両手が引っ張られる。
私は両手の拘束具を外そうとしたが紐が複雑すぎて、ほんの僅かしか緩めることが出来なかった。

母は面覚まし、穏やかに『この紐とれないかな?◯◯ちゃん車で来たの?貴女の服を作る為に布があるから、帰りに(家に寄り)持って帰りなさい。誰かに縫ってもらえばいい』と言った。
同室者の患者さんともよく話していると言った。

点滴を自己抜去して、身体拘束を受けたのか?
それなら愛知医大の様にミトンだけで対応出来るだろう。

酸素チューブを外そうとして、治療に影響が出るから身体拘束を受けたのか?

ナースステーションに聞きに行く。
夕方の申し送りの最中なのか、看護師は忙しそう。一人の看護師に『酸素をしている。酸素飽和度は?』と尋ねると『こちらで管理してるから大丈夫です』と目も合わさず奥に入っていった。

身体拘束をしていから、看護師は2時間おきに体位交換に来るだろ。それまで待とうと思った。

19時30分
誰一人、母を看にくる看護師は居なかった。
同室者に『面会時間過ぎるて看護師に見つかると怒られる。早く帰りなさい』と急かされた。

エレベーターに向かう途中、看護師の姿を探す。ナースステーションにも廊下にも見当たらない。

他の部屋から『この紐を外して❗️』と老女の叫び声が響く。

私は自分が約2時間の帰路、どうやって自宅に辿り着いたのか思い出せない。
カーテンを締め切った部屋の中で 母が身体拘束を受けて 死んだように横たわる姿を何度も何度も思い出し、ただただ涙が溢れた。
喉が締め付けられ息が苦しい。
胸に思い岩が乗ってる様に身体が動かなかった。
何も出来なかった。

身体拘束の三要件に"一時性"がある。
だからあの身体拘束はあの時だけだと考えた。
そう、思った。


7.14 主治医S医師と面談することになる。

7.13 18時
兄から写メが届く。
それは、まだ母が身体拘束を受けている姿だった。私は叫んだ。何故、まだ身体拘束を受けているのか⁉️ 酸素チューブが酸素マスクに変わっていた。病状は悪化していた。

兄『全身汗でベトベト。髪の毛もパジャマもシーツもベトベト』
私は、直ぐにナースコールを押して身体を拭いてもらう様に言った。
『身体拘束を外してもらう様に言って』と言った。

兄との電話を切った後、ケアマネジャーに電話した。『身体拘束が酷過ぎる。病状が悪化している。愛知医大に戻してほしい』
ケアマネジャーは愛知医大がokなら転院可能と言った。

兄に電話した。
『身体拘束は外してもらった?』
兄『面会が終わったらまた縛りますと言われた』

何故?何故?
リザーバーマスクしているほど酸素状態が悪いのに身体拘束を外さない?

19時30分
別の兄から"危篤"と知らせが来た。

"ジョーダン? 笑えない。 まさか、ほんと?"
病院に向かう支度をしようとした。

19時53分
別の兄から"死亡、もう急いで来なくっていい"と知らせが来た。

私の思考は停止。頭が真っ白になった。
同時に全身の血の気がひき、身体がガタガタと震えた。

友人に電話した。
『母が亡くなった、、でも動けない』

友人の運転で病院へ向かう。
私は 涙が溢れ、震えが止まらず、何故を繰り返した。

21時30分頃
病院に入ると非常灯だけが灯る一階ロビーに看護師と当直医がいた。
『主治医S医師はお休みで居ないので私が見ました。酸素が入らず、、残念です。』の様な言葉をかけられる。

元々の大部屋から個室に母は移動していた。
部屋のドアを開けると兄と姉が窓際に座って居た。ベッドには小さく、真っ白な母が横たわっていた。
苦しみの顔。口は開いたまま。
喉の奥に痰が見えた。
『何故、何故、痰が詰まってる、、』
私は泣き叫んだ。

22時頃
エンゼルケアを受けた母。
白装束に身を包んでいる。

母の身体の下には生前、母を縛りつけた胴抑制帯がそのまま敷いてあった。

死者への冒涜。

たった6日と5時間前まで、歩行器でトイレに行っていた。私達家族とは普通に会話していた。
お風呂も入っていた。
点滴も抜く事なくナースステーションで塗り絵に集中していた。
喫茶店でお茶していた。
毎日、新聞読んでた。
自分の洗濯物を畳んでいた。
身支度も自分でしていた。
笑っていた。

おりど病院に転院して、母の身に一体何が起こったのか。

知る必要がある。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?