NO4 おりど病院身体拘束裁判、カルテ開示してわかった事実 〜家族の思い〜

ふ2017.8 月に、おりど病院のカルテを開示してもらい、その内容を見て、初めて母がどんな目にあわされたのかを知りました。

① 身体拘束開始時の状況について
転院した日のカルテに、以下の記載があります。

17:20 訪室時、(点滴前から両手拘束をされていた) 上体を起こし柵を外していた為、3 点柵、柵カバー、セン サーマット、体幹・上肢拘束開始。

上体を起こし柵を外した理由について、愛知医大病院でトイレを済ませてから夕方迄、母はトイレに行っていなかった。時間的に母はトイレに行きたかったのだと思います。加齢に伴い排尿回数は増えるし、見慣れない場所に来れば、人は緊張して尿意を感じます。

② 母という人をきちんと見て欲しかったこと
人は誰も、見慣れない場所に来たら不安を感じます。愛知医大病院の看護サマリーの情報で、軽度のせん妄があると知っていたのなら尚更、看護師としては、母が何をしたかったのかと思い巡らせて考えるべきではないでしょうか。

ですが、T看護師は母を知ろうとも見ようともしませんでした。ただ、事務的に機械的に作業したに過ぎません。なぜ、T看護師はコミュニケーションを取り、母が不安を感じない様に配慮してくれなかったのでしょうか。母という人間を知ろうとしてくれなかったことが、残念でなりません。

母は重度の難聴の為、無音の世界で生きていました。補聴器無しでは周りの音は全く聞こえません。家族や友人とは、表情や口の動きで意思の伝達が出来ていました。愛知医大病院に入院中は、筆談でコミニュケーションが出来ていました。

母は 90 年間、トイレで排泄をしてきました。尿意があるから”トイレに 行こう”それでベッド柵を持ち上げようとしたのでしょう。だからと言って、身体拘束を受ける理由になるのでしょうか?

③ その後の再拘束で母が感じた恐怖
カルテによれば、その後、母が両手拘束をすりぬけて上体が起きていたという理由で、看護師2人がかりで押さえ込み、両手と胴体を再拘束されました。
母から見れば、2人組の見知らぬ輩に襲いかかられ、再び身体の自由を奪われたのです。看護師達が強盗犯か殺人者に見えても不思議はありません。

看護師達は、この一連の行為を、日常的に、通例として、漫然と行っている のでしょう。高齢の肺炎患者が少し動くだけでも、息が切れて呼吸が苦しくなるということは、全く考えてもいないのです。

母は”殺される”という恐怖から全身全霊の力を振り絞り、必死に抵抗したのでしょう。これは防衛反応であって、人として当たり前の反応だと思います。

看護記録には、拘束をしている時「人殺しー助けてー」と抵抗したとの記載がありました。母は、弱った小さな身体で、たった1人で大人2人と戦っていたのです。

④ 身体拘束が身体に及ぼす負担や危険
母の身長は 130 cm、体重 22.9 キロ、BMI15.33 であり、痩せています。小学3年生ぐらいの体格です。低栄養、低蛋白で足に浮腫もありました。骨粗鬆症の為、少しの圧力で骨折する危険性もありました。肺の機能は 30%しかありませんでした。

看護師達は、その肺炎患者に、ショックレベルの過度なストレスを与え、 全身の体力を消耗させる動きをさせたのです。

また、胴体拘束帯で横隔膜が動かない様に締めつけて、呼吸機能低下に陥らせました。人間は、横隔膜が動かせなければ、呼吸が出来ません。呼吸が出来なければ死にます。そんな基本的なことが、何故分からないのでしょうか?

これが、医療従事者、看護師がやる所業なのでしょうか。母にとって、私 達家族から見て、母は看護師達によって殺されたと言っても、過言ではありません。

看護学校の教師をされている方に尋ねたところ、"肺呼吸不全の患者に胴体拘束をするということは「死ね」と言っているのと同じ事だ"と言われました。

91 歳の呼吸不全の女性が、ベッド柵を外そうとしたと言うだけの理由で、何故、両手のみならず、胴体拘束をして、身体の自由を奪う必要があるのでしょうか。この不必要な身体拘束によって、母のせん妄と、全ての臓器の機能は急激に悪化しました。これは、看護師による虐待であり暴行だと思います。

⑤ 亡くなるまで身体拘束が外されることはなかったこと
母は、亡くなるまで、身体拘束を外されることはありませんでした。おりど病院では、医師の指示無しで、看護師の判断で身体拘束をする事が、 当たり前の様に認められて、行われていたと思います。そのため、患者に身体拘束が必要な状況、状態なのか、なんら議論されずに、身体拘束が継続実行されていました。

医師も看護師も、身体拘束の3要件を充たしているかどうかを検討することもなく、患者が弱って死ぬまで身体拘束を外すつもりはなかった、と思います。 おりど病院は、母がせん妄に陥っていたので、身体拘束をする必要があったとしています。

入院や転院などにより急激に環境が変われば、高齢者の 10 〜 40%でせん妄 が発症します。せん妄の原因は元々の素因(高齢、認知症、脱水、難聴など の脆弱性要素)に入院前後の誘因(全身麻酔、手術、環境が変わることによ る睡眠の妨害、過剰な安静の指示や身体拘束、頻尿、便秘などの増悪因子) が重なって発症すると言われています。

行動管理に関しては、看護の目が届きやすい場所への移動や、安心感を与え、精神的安定を図るのが一番効果的です。安全だけを考えて身体抑制をすることは、かえって興奮をもたらし外傷の危険が増したり、本人のプライドを傷つけ、人間としての尊厳を奪います。関東病院院長の梅川淳一先生が、そのように仰っているのを記事で読んだことがあります。

おりど病院では、コミュニケーションが取り難いせん妄患者、認知症の高齢者は、「転倒、転落の危険がある」と言う理由で、安易に身体拘束するのが常態化していたと思います。

⑥ おりど病院の姿勢についてS医師の態度
2017 年 10 月、母の主治医であった、おりど病院のS医師に説明を求めました。S医師からは、「転院したときには非常に悪い状態であり、いつ急変してもおかしくなかった。リハビリは表向きの理由だった。転落して骨折したら寝たきりになるため、安全を期して、身体抑制を行なっている」などと説明されました。

母は、転院時に、歩行器を使えばトイレまで行けるほど回復していました。 愛知医大の先生からは、リハビリ目的の転院だったと聞いています。ところが、 S医師は、「転院時は重篤な状態だった」と事実と異なる主張をして、転院後わずか7日で死亡したことを、私達家族に納得させようとしました。

医師という立場でありながら、責任を逃れるために、事実と異なることを主張したことに、不信感を感じています。 S医師や、おりど病院には、身体拘束は原則として違法であるという意識が欠落しており、この先も、せん妄や認知症の高齢患者に対して、漫然と身体拘束を続けると感じました。


⑦おりど病院のウェブサイトや口コミサイトを見て感じたこと
(1) おりど病院の理念について
おりど病院のウェブサイトには、病院の理念として、"患者の安全"が掲げられていました。

しかし、おりど病院が、母に対して不必要な身体拘束を漫然と行い、死に至らしめたことから、ここでいう"患者の安全"とは、転落しない様にベッド に縛り付けて動けなくすることにより、病院における転倒事故発生のリスクを回避することを言っているのだ、と感じています。

そこには、患者の安心と安楽、尊厳を大切にし、その人らしい人生を送っ てもらえるように、という配慮はありません。

(2) おりど病院の看護師口コミサイト
母が死亡した後、この病院で勤務している看護師の投稿サイトを閲覧しました。そこには、おりど病院では”身体拘束が日常的に安易に行われている ”と数人の看護師が投稿しており、私は愕然としました。

この病院は、看護倫理も人の生きる権利さえも無視して、患者を人として見ない病院、不必要な身体拘束を漫然と続けている病院だったんだ、と知り ました。

⑶ 安易な身体拘束は、現在も続いていること

今も、おりど病院では、「患者の安全のため、転倒、転落予防」と言う建前で、医療倫理が欠如した医師や看護師により、不必要な身体拘束が行われていると思います。

おりど病院の医師や看護師が言う"患者の安全のため"という言葉を信じて、家族は身につまされながらも、親の治療の為だと自分に言い聞かせて、身体拘 束をするような病院に、親を託すしかありません。その結果、身体拘束により死期が早まったとしても、診断書には別の病名が書かれます。
家族が死亡原因を疑ったとしても、多くの場合は泣き寝入りで終わり、病院は身体拘束を止める事なく続けています。

⑧ 身体拘束廃止への思い
1 裁判を起こした理由
私の周りの親しい人は、「裁判をしてもお母さんは戻らない。裁判によって、 あなたが苦労するのをお母さんは望んでいない」と言いました。確かに、母は生き返りません。裁判をしても、母が受けた地獄の苦しみを消すことも出来ません。

でも、今も母と同じ様に不必要な身体拘束を受けて、苦痛を味わっている患者さんがいます。このまま誰も声を上げ無ければ、母の様に拷問に等しい苦し みを味わう人は後を絶たないと思います。

私は、5年経とうとする今もなお、横になる度に、「この紐を外して!」と いう母の悲痛な叫び声が聞こえ、呼吸が出来なくなります。身体拘束は、人としての尊厳を踏みにじり、拘束される事で生きる気力を失い、拘束死を招きま す。その家族もまた、救えなかった無念と後悔を背負って生きていかなければ なりません。

病院の不必要な身体拘束を無くすには、今回母に起こった事を、裁判を通じて広く世間に知って頂き、将来的には、法の整備を訴えて行く事が必要だと考 えました。

2 身体拘束に対する医師や看護師の意識の低さ
今回、母の身に起こったことを、看護師専用の悩み相談サイトに投稿しました。10 数人のコメントがありました。半数以上の看護師からは、"信じられないことだ"というコメントが寄せられましたが、一部の看護師のコメントには、" 身体拘束が嫌なら自分の家で看護しろ"、"裁判を起こしても病院に勝てるわけ はない"、"無駄な裁判を起こすから知人の弁護士が土日も休めず働く羽目になり、本当に裁判が必要な人が裁判出来なくなる"、"これ以上看護師の仕事を増やすな"などという、心ない言葉がありました。

私は、そんな考え方をする看護師に、医療現場で働いて欲しくないですし、 家族や友人を看て欲しくないと思っています。
私は看護師として働いていますが、自分が看護師であるからこそ、最愛の母を身体拘束やそれによる死亡から救えなかったことを、本当に後悔し、今もそ のことで苦しんでいます。

患者を人として見ていない医師や看護師に対し、、、純粋に、人として、本来あるべき看護についてもう一度考え直して欲しい。

最後に、看護倫理前文を記し(一部抜粋)、この意見書を終わりたいと思います。

看護倫理前文 『看護は、健康の保持増進、疾病の予防、健康の回復、苦痛の緩和を行い、生涯を通してその最期まで、その人らしく生を全うできるように援助を行うこ とを目的としている。

看護者は、人々の生きる権利、尊厳を保つ権利、敬意のこもった看護を受ける権利、平等な看護を受ける権利などの人権を尊重することが求められる。』

      以上


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