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内か外かではなく、同じ方向を向いているか

仕事柄、『そと』とか『よそもの』とか『なか』とか『じもと』とかそういう言葉を聞くし、使うこともある。

私も今いる町の人からしたら『よそもの』の部類だ。

でも極論を言うと、こういう言葉って特に必要ないよな、と思う。

元々住んでいようが、住んでなかろうが、やるべきことをやって、普通に生活して、たまに他の町にいって、帰ってきて「やっぱり落ち着くわー」と言えるくらいで良いんじゃないか。

地元の人の方が良い、価値が高いという基準はどこにもないだろうし、余所の町から来たから凄いとか偉いとか、そういう魔法的なものだってない。

ここが好きだから、自分の出来ることで何かできたらいいな。

余所の人にこの町を好きになってほしいな。

小さいことかもしれないけど人を呼んでやってみようかな。

誰に頼まれたわけでもなく、そんな想いを持って各自が自由に、好きにやっているんだったら、他人がとやかく言う必要もないし。
目的や趣旨も違うのだから。

皆が自分の出来ることで、それぞれ楽しさや面白さを勝手に生み出してくれているなんて、それこそ本当に素敵なことだと感じる。

だから私は外とか内とか、関係ないしこだわる必要なんてないというスタンスで色々やっている。

もちろん、地元でいることで力を発揮してくれる人もいるし、地元の人には出来ないことができる余所の人もいる。
(私は日々、そういう人たちに沢山助けられている。ありがたい)

だったら一緒にやれば良いし、もし出来ないなら他に出会った出来る人たちとやればいい。

同じ方向を向けているか、ただそれだけだ。

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