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響け!ユーフォニアム3期12話 ーーーーーでの一幕について

この記事は「響け!ユーフォニアム」3期12話「さいごのソリスト」のネタバレを多分に含みます。未視聴の方、ネタバレを踏みたくない方はご注意ください。














職員室での一幕について

音だけで判断できるように、どちらが吹いているか分からない形にしてください
 滝先生に手放しで賞賛されたその提案は、久美子がこれから果たす成長の萌芽であるといえる。

 しかしこのオーディションでどちらが吹いているか分からないようにするという仕組み。観客席に視聴者の場所を用意するようなその仕組みは、斬新で優れた演出であるその一方で、これ以上なく残酷である。なぜなら、私たち視聴者は演奏する久美子の視点に寄り添うことを禁じられた瞬間、オーディションの結果についての不満を述べられなくなるから。
 二年前のオーディション、実力を鑑みた結果ではなく、これまで部を支えてきた香織先輩にソロを吹いてほしいという私情から再オーディションが行われるという理不尽を久美子の視点で味わった私たちは、部員たちが下した決断に対して、私情で不満を述べられない。私たちだけは、それがどれだけ悔しくても、納得できなくても、受け入れざるをえない。受け入れなければならない。
 観客席に視聴者の場所を用意し、奏者である久美子の視点に寄り添うことを封じる。そのシステムはそんな残酷さを孕んでいる。
 しかし、私はそんな思い切った演出を採用した制作陣の胆力や覚悟を評価したい。私たち視聴者を作品内に取り込むことで逆説的に作品内で起こる結果に対しての不満の理を失わせる。そうすることで、オーディションでの一幕が純然たる北宇治高校の物語となる。その『響け!ユーフォニアム』を描くということに対しての、制作陣のストイックな姿勢に感服せざるをえない。

京阪宇治駅での一幕について。

 ここではまず、自動改札機で麗奈が止められるシーンについて言及したい。
 この描写から読み取れることの最たるものは、再オーディションに対しての麗奈の動揺であろう。麗奈がそういった面を表に出すことは相当に珍しく、久美子に対しての感情の強さが現れていると言える。
 また、それ以外にもう一つ考えられるものとしては、自動改札機が、一貫して正しい決断を貫く麗奈の暗喩なのではないかということだ。正しくないものは全部✖︎で一蹴し、正しいものだけに通過を許す。そういった麗奈の性質が端的に表されているとも読める。
そういった点と後の麗奈のセリフを併せて考えると、物語が一層深まる。

「私は、最後は、久美子とソリ吹くって決めてるから」


オーディション前の一幕について

 久美子と真由の会話シーンにおいて、真由は中学生時代の久美子に似ているということが改めて示される。
 久美子は中学生時代のトラウマを夏紀の優しさや麗奈の正しさによって克服した。謂わば、北宇治の実力主義に染まることで乗り越えた。
 しかし、その実力主義に疑問符を突きつけ続ける真由を、北宇治は救えない。オーディションの結果で親友を傷つけたというトラウマを実力主義の構図が救えるわけがない。救えるのは、オーディションで共に戦う久美子だけ。
 実際に、真由は久美子によって救われる。しかし、それは久美子から真由への一方的な救済、優しさではなかった。そのことについては後で触れる。

「音で決めるべきだ。3年間信じてきたことを裏切りたくない。これは私のわがまま」

この久美子のセリフから分かること。それは久美子と黒江真由の関係性においては、どちらが正しいか、どちらが善でどちらが悪かという論点は重要ではないということ。なぜなら、客観的な善悪ではなく、どちらも自分の信ずる正しさのために、わがままを貫いているだけだから。そしてそのわがままはオーディションの結果如何で肯定も否定もされない個人的なものだから。
 オーディションによって決まるのは、善悪ではなく、どちらがソロを吹くか、ただそれだけである。

オーディション後の一幕について


久美子の演説シーンは、滝先生が言う、「本当の意味での正しさ」を獲得した、その瞬間であると言える。
 また滝先生の言葉はアニメ「響け!ユーフォニアム」における、久美子にとっての正しさの代弁でもある。それは「みなに平等であること」
 その正しさを、久美子は自分がオーディションに落ちた直後、真由を救うことで獲得する。久美子から真由への一方的な救済ではない。何より久美子自身が「そんな人になりたい」から。
 この瞬間、オーディション後の一幕で、久美子は本当の意味での正しさを獲得した。そしてそれは、久美子にもう一つ、かけがえのないものをもたらす。
 作中内、少なくとも久美子の世界の中で、常に正しさを体現し続けてきた人物がいる。音楽という一つの軸の中で、「みなに平等」であり続けてきた人物がいる。例え、全国の舞台で親友と念願のソリを吹けなくなるとしても、北宇治にとっての「一番を選ぶ」人物がいる。
それは高坂麗奈だ。事実作中内において、久美子自身の口から何度も語られる。
麗奈はいつだって正しい」と。だから「麗奈は特別」なのだ、と。

オーディションでの一幕で久美子にもたらされた、かけがえのないもの。それは、

麗奈と肩を並べてソリを吹けないと決まったことで、久美子は麗奈と肩を並べることができた

ということ。
 久美子がオーディションに落ち、麗奈とソリを吹けないと決まった瞬間、その結果をも肯定し真由を救った瞬間、久美子は麗奈と肩を並べたのだ。「みなに平等な正しさ」を獲得し、麗奈と肩を並べる、「特別な存在」になったのだ。

 更に、成長したのは久美子だけじゃない。
 麗奈もこのオーディションでかけがえのないものを得る。否、それはもしかしたら久美子が麗奈にとって「特別な存在」になってからずっともたらされてきたものなのかもしれない。それがオーディションでの一幕を通して改めて明示される。
 それは、ずっと当たり前に体現し続けてきた正しさが久美子への感情によって揺るがされたということ。逡巡してしまうほどに、最後まで決断を下せないほどに。
 今までずっと久美子の視点から「正しい麗奈」を見つめてきた私たちには、それがどれだけ尊いことなのかがわかる。感情によって正しさが揺るがされることが麗奈にとっての成長であると、私たちだけははっきりとわかる。
 それは、例えば入部当初は過剰なまでに平等な実力主義を求め、一歩引いたところから全体を見つめることに終始していた、謂わば麗奈と同じような正しさに雁字搦めになっていた奏が、その正しさをかなぐり捨て、久美子だけのために怒り悲しみ涙することが、私たちには疑いようもなく成長であると感じられるのと同じように。

 ではなぜ、麗奈は奏のように正しさをかなぐり捨てなかったのか?
 それは決断を下す直前、二年前の回想シーン、二人で交わした言葉が示している。
裏切らない?
もしも裏切ったら、殺していい
二年前、ここでの裏切りとは、久美子がオーディションで麗奈を選ばないことを指す。
 では麗奈から久美子にとっての裏切りとは何だろう?それは、オーディションで久美子を選ばないことじゃない。
「みなに平等な正しさ」を捨てて、情に流された決断をすること。特別じゃなくなること。
 それこそが麗奈の背中を追いかけ、特別を追い求め続けた久美子に対しての最大の裏切りである。だから、麗奈は逡巡しながらも正しさを貫いた。貫かざるをえなかった。

大吉山での一幕について

 オーディションでの一幕で描かれた、麗奈の成長、そして久美子が獲得したもの。
 それらは大吉山での一幕でより強く明示される。

 自分の正しさによって下した決断で、泣きじゃくる麗奈。久美子に出会わなければ、久美子が麗奈にとって特別な存在にならなければありえなかった光景。麗奈が流す涙こそが、久美子によってもたらされた成長の象徴であると言える。大吉山で、「愛を見つけた場所」で流す涙は、麗奈が正しさの外側にある、という存在を獲得することができた、その何よりの証明である。

 泣いて謝る麗奈に対して久美子は、麗奈が逡巡しながらも、正しさを貫いたことを「誇りに思う」と告げる。なぜなら、麗奈の正しさこそが久美子の理想だから。特別と肩を並べるために、その背中を追いかけ続けてきたから。だから、久美子にとって麗奈が正しさを貫き、特別であり続けたことが「何より嬉しい」。嬉しくて、その麗奈に選ばれなかったことが何よりも悔しい。

「死ぬほど悔しい」

 涙を流し、心の底から久美子はそう思うことができた。中学生時代には理解できなかった麗奈の気持ちや涙を流す理由。それを全身で感じ、あの日の麗奈と同じ温度の涙を流すことができた。だから、久美子もやはり、目指し続けてきた正しさ特別に辿り着いたのだ。
 二年前、大吉山で、麗奈によってもたらされた「特別」へと。

 額に人差し指を当て、唇に触れるその仕草。
麗奈は階段を降り、泣きじゃくる久美子の隣に立ち、寄り添い、手を取る。久美子は麗奈に向けて、誓う。

「この気持ちも頑張って誇りにしたい。どんなに離れていても麗奈と肩を並べられるように」


 大吉山での一幕が示すものは、
久美子が、麗奈と肩を並べてソリを吹けないと決まったことで、特別な麗奈と肩を並べることができた
というその事実。

 私はその皮肉が何よりも美しいと思う。
 本気で取り組んで結果が出なかったこと、その挫折。それによってもたらされるものが、悲しみの涙や後悔だけではないことを、これまで積み上げてきた全てを使ってこれ以上なく美しく表現してくれた「響け!ユーフォニアム」第12話、「さいごのソリスト
その全てのシーンに敬意と賞賛を送りたい。

そして、久美子と麗奈が三年間かけて作り上げた「最強の北宇治」の最後の演奏を、この目で確と見届けたい。

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