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このままがいい


 ある日。
 スーパーで新玉ねぎを手にしたとき。

 「あら、もう新玉ねぎがあるのね。やわらかくておいしいわよね。」

 銀髪を美しく結った人に、ふいに話しかけられた。そうして、話し始めたら気づいてしまった。彼女は耳が遠いのだと。

 わたしは彼女の真正面から、身ぶり手ぶりを交えて話す。はっきり発音するようにも心がけたが、やはり聞こえにくいのだろう。何度も聞き返される。たび重なると、彼女は申し訳なさそうに、

 「ごめんなさいねぇ。最近、耳が悪くなってしまって。」

 「いえいえ。わたしも一緒です。それで、両耳に補聴器をつけました。もう、そろそろ10年になります。補聴器、便利ですよ。初めは少し訓練がいりますけど。」

 そう言いながら、髪をかきあげて、補聴器を見せる。

 彼女は、びっくり顔。

 「まぁ、まだお若いのに大変ねぇ。」


 耳が聞こえにくいと……

 会話のときは耳をすますだけでなく、話す人の口もとをみて言葉を読んだり、聞こえる単語から内容を想像するようになる。

 それでも、内容がわからなくて、たびたび聞き返し、申し訳ない気持ちになっても、なおわからなかったら、謝りつつもその場を去るしかない。

 確かに、大変かもしれないな。けれど、人は皆、それぞれどこかに不具合を抱えて生きているのではないだろうか。

 わたしは、たまたま耳だったということ。ごくたまに、よく聞こえる人がうらやましくなるが、わたしはこのままがいい。

 不具合があるだけで、不幸だとは思いたくない。不具合のあるだろう人に対しても、勝手に不幸だと決めつけないようにしたい。不具合は、工夫でなんとかなることもある。

 それに、最近、耳が聞こえにくいことは、わたしを守ってくれていることに気がついた。わたしは、敏感にいろいろをキャッチしやすい体質だ。

 目から入ってくる情報が、わたしのキャパシティを超えると、気持ちが悪くなってくる。息子が大好きなトレーディングカード売り場、キラキラ過ぎて、ずっとその場にはいられない。

 匂いもそうだ。たくさんのいい匂いが溢れている、デパートの化粧品売り場には、30分もいられない。

 だから、たぶん耳からの情報もたくさんは無理だろう。聞こえにくいということは、クッション材に守られているようなものかもしれない。そう思うと、難聴がありがたく感じるのだから、不思議だ。

 補聴器という、頼りになる相棒たちもいることだし、わたしは、やっぱり、このままがいいなぁ。

 髪型を変えた。今まで隠していた補聴器が見えるように。恥ずかしいことじゃない。むしろ、今は知ってほしい。

 さぁ、わたしらしい春を、胸を張って、スタートしよう。これで、イヤリングも映える。



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